ひとまずは、必ずまた来るからと約束をしていつも通りに父と母と一緒にいた。
母に「何故お父さんと結婚したの」と聞くと「世界を回るのって楽しそうでしょ」自分の楽しみを最優先した答えが返ってきた。父にも同じことを聞くと「こんな俺についてくると言ってくれたからだ」と笑った。ついてこないとなれば引き止めることはしないのだろう。
「私を連れてきたのは?」まさか、こんな風に戦えるようになると予測していたとは思えない。他に、子供がいた方がいいことがあっただろうか。その質問は喉に引っかかって出てこなかった。聞く必要がないと思っているような気も、聞きたくないと思っているような気もした。いくつか、最悪の返答を予測したが、何を聞いても私がショックを受けるイメージが浮かばなかった。最終的にバラバラにして売るためだと言われても「なるほど」などと言うに違いない。家畜なんかはみんなそんなもんだ。
立ち寄った町をふらふらと散歩して、絡んで来た大人を撃退し、迷惑料としていくらか小銭を貰いチュロスを買って来た。三本だ。一本は食べながら戻って来た。残りは父と母の分である。はじめてお小遣いを貰った時からこういう使い方をしている。いつだったか、二人へパンを買って持って行ったらとても喜んでいたので、以来、そのようにしている。
ホテルの部屋へ戻るが、室内はがらんとしていた。
「あれ」
荷物だけが残されている。二人で出かけているのだろうか。私の腰くらいの高さのキャリーバックが二つ、開いたままになっている。旅の持ち物、と言うよりは父の商売道具だ。やることもないのでがさがさと荷物を漁る。あまり値打ちのありそうなものは入っていない。
布や緩衝材の奥に繊細な絵の入った陶器などを見つける。これは少し高そうだな、とベッドの縁に置いた。更に鞄に入っていたものを片っ端から並べて行くと、そのへんの露天商と大差ない。様々な国で見境なく集めてくるものだから統一性ながいことが統一感となっている。
更に奥から埴輪が出てきた。胴が太めで、なんとも言えない顔をしている。ぽっかりとあいている丸い目と口は何かを訴えているように見える。眼と口の闇が存在に深みを出している感じがした。何年か前は土偶を持っていた。あれはどうしたのだろう。気が付いたらなくなっていたが、どこかで売ったのだろうか。
いつだか父は「ブローノへのお土産に困ったらこの中のものを持っていっていい」と言った。埴輪は案外悪くないかもしれない。これは大きいので邪魔だが、もっと小さなものであれば。埴輪を元あった場所に戻そうとした時、何の気なしに手の中で埴輪をぐるりと回した。底から中を覗く。中になにか貼り付けられていた。内側に、テープかなにかで固定されている。後からもとに戻る様に、慎重にテープを剥がす。支えを失い、張り付いていたものが滑り落ちて来る。手の上に落ちて来たのは白い粉だ。透明な袋にパッケージされている。
必要以上に狙われていることもそうだが、私はいつかの船の中での父の動きを思い出していた。父は私に「好きなものを選んでいい」と言ったくせに、これだけは大切そうに持っていたし、他のものを全て放置で、これだけ必死に守ろうとしていた。私が触るのも嫌な様子だった。
小麦粉とか、塩とか、洗剤とか。そういうものだとよかったのだが。音もなく部屋に入って来た父に聞いた。
「これって麻薬?」
父はあまり驚いた様子がなく、それどころか穏やかに笑って立ち尽くしていた。手には、おそらく私が先程買った店と同じ店のチュロスの袋を持っている。三本、袋の口から出ている。
「ああ、そうだ」
麻薬でなくとも物をあちのちへ運ぶ仕事はやりやすかったに違いない。そういう副業をしていた可能性は大いにある。いや、古物商のほうが副業なのかな。私は小さく笑う。
「お母さんはこのことを?」
「知らないだろうな。俺のことはちょっと柄の悪いのに絡まれやすい男程度に思ってる」
私は反応に困ってしまっていた。そういうことも有り得るだろうし、できただろうなとは思うが、それを知ったところで何という訳でもない。「いいか」私が黙っているので、父は言う。
「いいかよく聞け。俺はこれを、おまえくらいの子供にだって届けている」
それもまた、そういうこともあるだろう。である。ただ、周りの人は悲しむだろうし、本人だって、心から望んで薬を欲しているとは限らない。
私は黙って考える。昔から襲われることはあったが、最近の頻度は異常で、敵は当然のように武装していた。これはただの予想で、いくらか身内贔屓な仮説だが、父ではなく母ではなく、誰かが私の噂を聞きつけて、父へ任せる仕事を増やしたのかもしれない。
私が一掃してきた彼らに、一度くらい、尋問しておくんだったかな、と能天気に考える。
私がぼうっとしていたからだろう、父は私の意識を引き寄せるように告白した。
「ブローノの住む村で受け渡しをしたことだってある」
数秒思考に空白が生まれた。私はその間にナイフを手に取り構えている。目標は、父だ。ナイフを持つ自分に気付くと、次いで、手が震えていることにも気付いた。父はそんな私を前に冷や汗を流す。
「隠し通すつもりだったが、こうなった時、どうするかも決めていた」
父の右手がピクリと動く。これは反射だ。父の動きを視認するより早く、足が前に出ていた。父はジャケットの内側から銃を取りだし、銃口を『自身の頭』に突きつけた。私は首元に差し掛かったナイフをピタリと止める。父の目からは涙が流れている。
「……お前は幸運だ」
よく見ると、父の手も震えていた。
「俺は落ちるところまで落ちた。お母さんと出会ったのは、三十を過ぎた頃だったよ」
ある日、商品の仕入れと副業の届け物の為に日本に立ち寄ると、熱心に船を眺める女性を見つけた。不思議がって見ていると、やがて目が合った。アプローチをかけたのは母だったが、本当は目が合った時にわかっていた。同じだ、と。父は、母を連れ去るようにして国を出た。
「お母さんも、俺も、そして俺とあの人がそうだということは、お前もそうなんだ。わかるだろう?」
その他大勢に馴染めず、暴れてばかりいた。あれはなんだったのだろうと思うが、生きづらくて堪らなかったのだと今ならわかる。癇癪だ。集団に何かを強いられることが、嫌で嫌で堪らなかった。
「お義母さんからの手紙を見て、同じなのだと思ったよ。良かれと思って日本に残したが、失敗だったんだ。だから、俺たちはお前を連れ出した」
父の手は震えが止まっている。私の手も、もう震えていないし、呼吸は酷く落ち着いている。お互いに、これから起こることを理解していた。
「俺はもう戻れない。麻薬は邪悪だ。関わってしまったのなら、抜け出すことは許されない」
父の語調は強くなっていく。
「いいか! お前はどんなことでもできるッ!」
私はただ見ている。映画でも見ているような気持ちで、父が最後に笑うのを見つめていた。
「さよならだ」
銃声が轟き、血が私にもかかった。
母には、どう話すべきなのだろう。全てを話したほうがいいのだろうか。麻薬について知らないのなら、話すべきでは無いのだろうか。父ならば「好きにしなさい」と言うだろうし、母もまた、私が何を語ったとしても「そう」としか言わないだろう。
死体を処理する為のシートを広げて移動させて、しばらく父の死に顔を見下ろしていた。
数時間後に母が帰ってくると、私は結局起こったこと、言われたことをそのまま話した。嘘をつくに足る理由は見つけられなかった。母は案の定「そう」とだけ言って、静かに泣いた。
それでもレストランで食事をすると、いくらか元気になった様子で提案する。
「久しぶりにネアポリスへ、あの村へ行きましょうか。あなただって、そろそろブローノと会いたいでしょう?」
「うん」
「あの村でしばらくゆっくりして、これからどうするか考えましょう」
「うん、それがいい」
「あなたはどうしたい?」
瞳の色と、声色と、纏う雰囲気とがちぐはぐだ。虚勢を張っているのだろう。こうしていないと、食事などとてもできないのだろう。
「私はどちらにせよ、もうお父さんにもお母さんにもついて行かないつもりだった」
「まあ、そうなの」
母は目を丸くして言った。「お母さんは」どうしたいのか。私が聞くと、母はハッとし「どうしましょうね」と、か細く笑った。やりたいことをすぐには思いつかないようだ。ネアポリスへ行く、と言ったのはつまり、母自身の為ではない。ゆっくりするなら日本に戻るのが一番のはずなのだ。まだ祖母も健在で、生まれ育った家もある。
「けれど、そう。あの子なら安心ね」
母の提案は、私のためを思ってのことだ。
きっと母は、今まで通りに生きることは出来ないだろう。一人にしたら、破滅してしまうかもしれない。
「やりたいことがなければ、ネアポリスに住めばいい」
私は、もし母がブローノの父親と再婚するようなことがあれば兄弟だな、と考えた。考えた後、母は同じことを言って笑った。
「そう。ーーそうね。あなたに養ってもらおうかしら」
「うん」
「家族っていいものねえ」
母はそう言って、吹っ切れたような顔をしていた。けれど、次の日、ホテルに母親の姿はなかった。父の死体も消えていた。残されていたのは、幾らかのお金と私の荷物だけであった。充分だ。私は二人を探さなかった。


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20220506
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