30 病むに病まれぬ8


髪に手が触れる感覚で目を覚ました。
何の気になしにそれに擦り寄ると、その手が強張った。
ああ、これは、ソニックじゃない。

「い、いや、その、なまえ? 起きたか?」
「サイタマさん、ですか」
「あ、あー、俺も6時からずっと寝顔を眺めてたとかじゃなくて、今のも、その、調子に乗ったっていうか、役得だなとか思ってなくてだな」
「……」
「わ、悪い! 嫌だったか……?」
「……こちらこそ。6時から交代だったんですね」
「ああ。なあ、なまえ」
「はい」
「おはよう」

なんだか少し、安心した。
私はどんな顔をしただろう。
そんなことはいつも見えないけれど、今日はもっと想像できなかった。

「おはようございます」
「あー、っと、着替える、よな? 服とかはソニックがいつものところに用意しといたって言ってたんだけど」
「はい、ありがとうございます」
「で、朝飯食える?」
「頂きます。着替えたらリビングに行きますね」
「おう。ああ、あと、床とかにはもう何も転がってないから大丈夫だぞ」

部屋を出て行ったサイタマさんを、見送ったあとに、ふと撫でられていた頭に触れる。
おそらく両親も兄弟も撫でてくれた事はあったのだろうけれど、覚えているのはやはりソニックのことばかりで。
サイタマさんの遠慮がちな手のひらはなんだか新鮮だった。
私は着替えて洗面所へ行き最低限の身支度を整えると、リビングへ向かった。
確かに床になにかが転がっている様子はないし、それどころか少し綺麗になっている気がする。
思った位置に全てがある、たぶんソニックだろう。

「サイタマさん」

壁に手をついたままで言う。
みそ汁のいいにおいがここまで届いている。

「おー、座れよ」
「いいにおいですね」
「……俺が作ったんじゃないんだけどな」

ぼそり、と言う言葉に、ソニックは一体どれだけのことをやっていったんだろう。
九時半頃には眠ったけれど、それにしたって、随分たくさんいろいろとやっていってくれたようだ。それはサイタマさんへの対抗心か、他のものなのかはわからないが、とにかくありがたい。

「サイタマさんはもう食べましたか?」
「……俺も食っていいのか?」
「え、そりゃあ、いいと思いますよ。ついでに料理を褒めてあげたらきっと喜ぶと思います」
「うーん、あいつを喜ばしてもなあ」
「それもそうですね」
「俺も、料理しないわけじゃないぞ」
「? 知っていますよ」
「うーん、と、まあ、いいか」
「?」

サイタマさんはまた私の頭をぐしゃりと撫でた。
私がぼうっとサイタマさんの居るであろう方を見ていると、そのうちサイタマさんの手がびくりと震えて、ひゅ、と引っ込んだ。
無意識の行為だったらしい。

「あー、調子はどうだ?」
「大分いいですよ。風邪とかじゃあありませんからね。相変わらず目は見えませんが」
「そうか」
「はい」
「なあ」
「はい?」
「えーっと、」
「……」
「散歩、しよーぜ」

確かに、営業所にしばらく営業を休ませてもらう旨を記した紙を貼りに行きたいと思っていたところだ。
留守番電話にはメッセージを入れたけれど、店のほうに来てくれるお客さんには申し訳ない。

「なら、営業所のほうまで行ってもいいですか?」
「おう!」
「ありがとうございます」

◆ ◆ ◆

営業所ならば毎日通っていた。
見えなくても行けそうではあったのだけれど、サイタマさんが、「掴んでいいぜ」というのでパーカーの端をつかませてもらっていた。
何か言いたげではあったが、そのまま先導してもらって、怪人に遭遇することもなく、営業所へたどり着いた。
特に中に用事はないので、入り口のところに張り紙を貼って、では帰ろうかと言う時。

「あ! なまえさん!!?」
「え?」
「ああーーーー! なまえちゃんじゃない、大丈夫なの!?」

お客さんたちの声。
こんなZ市の果てまでどうしたのだろう。
サイタマさんははじき飛ばされてしまったようで、近くにはいない。

「あの、まだ、視力が回復していなくて。もう少しお休みさせて頂くんですけど……、すみません」
「やあねえ、そんなのいいのよ! あ、これ、よかったら食べて!」
「これも!」
「え、あ、あの、あ、ありがとうございます」

ひとしきり心配された後に、去って行ったと思ったら、続けて違う人に声をかけられる。
声をかけるひとかけるひと全てが何か手土産をくれた。
何をくれているかはわからないし、最終的に誰が何を置いて行ったのかわからなくなってしまった。
声をかけてくれた人は全員わかるから、復活したらなにかキャンペーンでもはじめようか。
それにしても。
営業所の前に残されたのは私と、とんでもない量の手土産と、手持ち無沙汰なサイタマさん。

「お、お待たせしました」
「すっげえなあ」
「見えないんですが、結構な量ありますよね?」
「まあ、こんくらいなら持って帰れるって」

食べてね、というのもあった。
ケーキ、という単語も聞こえた。
営業所においておくのも微妙だろう。

「……お願いしても大丈夫ですか?」

サイタマさんは近くに歩いてくると、再び私の頭を撫でた。

「おう。まかしとけ」

見えたらいいのに。

「早く治さないとな」

暗い世界っていうは、こんなに不便だったんだなあ。


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2016/1/17:また家に物が。
 
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