◇記念日 | ナノ



漏電プラグ:手

特別棟にある図書室は学年の壁を作らない。
素晴らしい空間だ。

そこに、黒い頭と、それより少し高い銀色の頭が隣り合い、来週行われる学年考査に向けて勉強をしていた。




「鳳くん」

向かいの擦りガラス製のついたてからひょっこり覗いた同級生。
礼儀正しく宍戸に会釈すると、釣り目がちな瞳が和らぎ、鳳を優しく見つめた。

「テスト勉強は進んでる?」

ふふ、と笑うと黒いストレートロングがさらりと揺れた。

「まぁまぁ、かな」

正直、今日はまったく進んでいない。……つい、右隣が気になって。
学年の違う恋人が勉学に励む姿など滅多に拝めることのない、貴重なショットなのだ。
ちらりと横の黒い眼差しを伺うと、それはノートへまっすぐ落ちていた。
宍戸の方は真面目に勉強中らしい。

「あまり進んでないのね」

少し、ドキッとする。
今考えていたことがばれてしまったようなタイミング。
けれど深い意味のない言葉だとも分かっている。

「うん。まだこれからって感じ」

鳳はシャープペンシルを握っていた手をテーブルから降ろして、勉強を放り出すような仕草をした。
机の下に手が落ちる。

「でしょうね」

その時。

「えっ?」

二重の意味。
疑問と驚き。

――その時、宍戸の手が鳳の手に触れてきたのだ。

「忘れ物よ」

宍戸は素知らぬ顔で頬杖をつき、静かにノートを見つめている。
けれどその左手は大胆にも鳳の指を絡め取ると強く握った。少し痛いくらい。
正面からは仕切り板で見えない。背後には本棚があってここは死角になっている。
手を繋いでいるなんて、当人達にしか分からない。
指先が手が腕が、頭が顔が心臓が、溶けそうに熱い。

「このプリントないと、相当点数落とすでしょうね」

艶やかな横髪を耳にかけて、華奢な手が鳳に忘れ物を差し出した。
同時に緩む秘密の左手。

「あ……ごめん」

緩く甘い檻に囚われている右手。
逃れられるはずもない。
捕まって、縛られていたいといつも切望しているのだから。
鳳は彼女に不自然に思われないかドキドキしながら左手でプリントを受け取った。

「ありがとう」

彼女は差し出された左手に疑問を感じることなく紙から手を離した。
鳳は一人ホッとする。

「いいの。……あ、でもそうね。今度、お礼に数学みてもらおうかしら」

それも束の間、彼女が困った提案をしてきた。
そして。
触れあった手が急に緩まる。
それは開いた鳳の手を撫ぜだした。

「え、俺が、菊池さん、に、勉強見てもらった方がいいん、じゃない?」

彼女は自分より成績が良いと鳳は知っていた。

(こんな言い方したら、だめだってば)

宍戸の手は鳳の長い指にじゃれつく。
いたずらに摘まんで、引っ張って、握ったり。

「私、数学だけはどうもダメみたいなの」
「俺、そ、そんな得意じゃないよ」

鳳はそこまで謙遜する必要もないほどに左手をブンブン振って否定した。

(あぁ、何言ってるんだ、俺)

右手が気になって頭が沸騰しているし。
女の子に勉強を教える約束など、宍戸に良い印象を与えないし。
それは承知している。だから丁重にお断りしないと。
いや、けど、焦る。
手が。指が。

「教科一位が何言ってるの?まぁ、気が向いたらお願いね」

それじゃあね。お邪魔しました。
散々机の下に翻弄された鳳の努力はやっぱり空回りして、彼女は断る隙も与えずに去って行った。




「……宍戸さん」

鳳が手を強く握り返すと、それまで沈黙していた宍戸は堪えきれなくなったように笑いだした。

「ダッセェ、長太郎。離しゃあいいじゃん」
「そんなこと無理に決まってます」

鳳は繋いだ手を自分の方へ引っ張った。
宍戸が口の左端をクイと上げた。

「だろうな」
「もう」

火照った顔で弱く睨んだ。
俺の気持ちは、すべてあなたに明け渡しているというのに。こんなこと。

「びっくりした?」
「……うん。けど、うれしい」

恋人繋ぎなんて。

「単純。バーカ」

宍戸は肩を震わせた。
鳳は唇を尖らせる。

「どうせ俺は単純ですよ」

あなたのことなら。
周囲の目にはばかられて、言えない言葉を飲み込んだ。
鳳が俯くと宍戸も静かになった。
鳳はなんだか試されたような気がしてちょっと悲しくなっていた。
宍戸からしてみれば小さいことでも、鳳はとても簡単に悲観的になれる。
鳳は目を閉じた。
自分でも思うけど、重い。

すると左手がするりと離れていく。
消えた熱に小さく不安が押し寄せたとき、すぐさま首を引き寄せられた。

「わ」
「なぁ、長太郎」

そして、そっと耳打ちされた言葉。

「俺以外に数学教えんなよ」

バチンと鳳の背を叩いて、宍戸は勉強態勢に戻った。

「痛っ……、宍戸さん、あの、俺は」

俺はあなたしか、

宍戸は唇をツンと尖らせて言った。

「キレイな髪に見惚れてんじゃねーよ。変態」
「ちがっ……、……え?えっ?!」

それってもしかして、やきも、

「うっせぇ、静かにしろ」


皆一様にテストへ向けてペンを走らせている。
静かな静かな図書室。
鳳だけがそれどころではない幸福感に酔い痴れていた。




End.

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