◇誕生日 | ナノ



カミツレの咲く丘で 7

ようやく見えた宍戸のその顔は、苦しそうに歪んでいた。その目は、今にも泣きそうに揺れていた。

「そんなこと言わないでください!宍戸さんは…本当にそんなこと思ってるの?」
「…離せっ…」

宍戸は鳳の視線を避けるように俯き、手を振り払おうと腕を引く。だが鳳はしっかりとその手を掴み、離そうとしない。

「宍戸さん。俺は最低なことをしてきたけど、それでもあなたが好きなんです。どうしてもそばにいて欲しいんです」
「…でもっ…俺はどうやったって過去の自分の代わりにはなれないんだよっ。…無理だ…!」

宍戸は震えそうになる声でそう言うと、より強い抵抗で鳳から逃れようとした。白い花がちぎれて宙を舞う。
しかし鳳はそれ以上に力を込めて宍戸を抱き寄せた。

「俺ももう二度と過去の自分と同じことはしたくないんです!!」
「……」

鳳はいつも穏やかで、こんな大声を上げることはない。驚いて宍戸がもがくのをやめると、鳳は宍戸の肩に顔を埋めたまま言った。

「ここで宍戸さんを諦めたら、また同じことの繰り返しになるんです。…宍戸さんは、宍戸さんだよ。俺が大切なことを隠してきてしまったのが全部いけないんです。もうなにも隠したりしません。だから、…離れて行かないでください…」

いつだって、ぶつかった壁を乗り越えられる確証はない。わかっていたはずなのに、愛する人のことになると怖くなった。しかし、この壁を乗り越えなければ宍戸はまた離れて手の届かないところに行ってしまう。そうなる方がよほど恐ろしい。

「…でも、…俺、は…」
「宍戸さんの手紙の言葉…大切にしたいと思います。でも、ごめんなさい。俺は宍戸さんに言われたからって、新しい人を見つけようとは思えません。……宍戸さんは、素直で優しくて、俺を一番大切にしてくれてます。…違いますか?」

耳もとに囁くと、強張っていた宍戸の身体から次第に力が抜けていく。
そっと背中に回ってきた宍戸の腕が鳳の背中を包み、やがて強く抱きしめてくる。
肩口が暖かく湿り、鳳は宍戸が泣いていることに気が付いた。
鳳は、宍戸の背を撫でながらもう一度尋ねる。

「お願い…答えて。素直に」

これまで宍戸にはっきりと気持ちを確かめたことなどなかった。宍戸の細い身体を抱きしめることしかできず、声はのどに絡みついてしまいそうになる。頷いてくれと懇願するような思いで、やっとそれだけを言えた。

「……ちょう、たろ……」

穏やかに吹く風にも紛れてしまいそうな、小さく弱々しい呟き。
宍戸は声を詰まらせながらも、鳳の言葉に答え始めた。

「…長、太郎っ、ちょ、たろ……ごめんなっ……。…怖くて、生まれ変わるの、やめて、ご、ごめんっ。…信じれ、なくっ、て、ごめんっ!…なにも、知らなく、て、ずっとそばにいて、本当にごめん!!…でも、俺、手紙の、言うとおりになんて、できない。長太郎のそばに、いたい……っ」
「宍戸さん」

鳳は渾身の力で宍戸を抱きしめた。
それでも宍戸はごめんと繰り返し言い、涙を流した。その言葉は、きっと鳳だけでなく手紙を届けてくれた宍戸に対して言っていたのだろう。何度言っても、謝りきれなかったのだろう。
鳳はそんな宍戸をひたすら強く抱きしめた。もう離さないというように。安心して、というように。
宍戸の呼吸が落ち着いてくると鳳はそっと身体を離し、宍戸の顔を正面から見つめた。

「もう、謝らないで。俺が悪かったんです。これからは宍戸さんのことちゃんと話します。過去のことも、これから先にあるかもしれない辛いことや悲しいことも、きちんと受け止めて宍戸さんと幸せになっていきたいです。だから、今の言葉…絶対って約束してください」

宍戸は俯いていた顔を上げ、まっすぐに鳳を見た。漆黒のような瞳にはこぼれおちそうなほど涙を湛えている。
鳳はそれをそっと指先で拭った。

「…俺で、いいのか…」
「宍戸さんしかいません」

鳳は宍戸の髪を丁寧に梳き、頬を撫で、優しく微笑んだ。もう一度目元を指で拭うと、宍戸は恥ずかしそうに顔を背けて目を擦った。

「あんまり擦ると赤くなっちゃいますよ」
「……こんなに制御できなくなるとは思わなかった」

宍戸はほんの少し悔しそうに呟いた。
鳳も宍戸がこんなに動揺したところは初めて見たが、目や鼻の赤い顔はなんだか可愛らしく、別に悔しがらなくてもいいことのように思えた。人一倍負けず嫌いで照れ屋な宍戸らしいといえば、らしいのだが。
宍戸はどこか泣き顔を隠すように鳳から顔を逸らし、隣で風に揺れるカミツレの花を見ている。そして一呼吸置くと言った。

「長太郎。俺は…おまえから見れば、昔の俺と…全然違うかもしれない」

今の生活の中には、宍戸の昔の面影もたくさんある。そしてもちろん、新たに知った一面も。そのどれもが鳳にとっては愛おしく、かけがえのないものに感じた。
それに変わったというのならおそらく長い間生きてきた自分もそうなるだろう。
鳳はそう思ったが、宍戸はまたすぐに口を開いた。

「だけど、おまえを好きって気持ちは何一つ欠けることなく宍戸から受け継いだものだ。それに、」

宍戸は胸に手をあて、目を閉じた。

「それだけじゃなくて…新しく命をもらった俺も、ちゃんとその気持ちを育ててる。だからこんなに幸せな気持ちでいられるんだ」

そう言って宍戸は顔を上げた。もう怯えたような目をすることなく鳳と視線を合わせる。

「好きだ、長太郎。これからもそばにいるって約束するよ」

鳳は、じっと宍戸を見つめるばかりだった。
そのうち、鳳の瞳がうっすらと潤み出してくる。
宍戸は目尻に溜まる涙に気付き、拭おうと鳳の頬に触れた。

「宍戸さん…」

途端に手を取られ、唇にキスが落ちてくる。宍戸は突然のそれに驚きながらも受け入れた。
温かな感触。それは、今までのどんなものよりも幸福を感じるキスだった。
宍戸がもう片方の手を鳳の首に回すと、腰に長い腕が伸びてきて、二人は強く抱き合った。

「ずっと愛し続けます」

唇が離れた時、鳳はそう囁き、ほほ笑んだ。
そよぐ風に乗り、青い空へカミツレの香りが舞う。
どうしようもなく愛しい気持ちが込み上げて、宍戸も優しく笑みをこぼした。


たった一日ですべてのことは修復できない。
けれど今日をきっかけに、二人は前へ進み、これから一生分の時間を掛けて幸せな未来を築いていく。




ゆるやかな四季に恵まれたこの町は、二月の半ばだというのに春のように暖かい。
二人の暮らす家。一面に花を咲かせる庭。すべての場所に、愛が満ち溢れるように陽が照らす。

今、ようやく二人は赤い糸を引きよせた。














カミツレの花言葉:苦難の中の力/仲直り/あなたを癒す





End.


(Happy Birthday,chotaroh Otori!)






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