◇誕生日 | ナノ



カミツレの咲く丘で 4


「それ、どうしたんですか?」
「……ごめん…」
「え?」

鳳はもう一度手紙を見た。
宍戸の謝る意味は分からなかったが、その字には見覚えがあった。宍戸の字にそっくりだ。

「宍戸さんが書いたんですか?」

ふと、草の上に封筒が落ちていることに気付き、鳳はそれを持ち上げた。だが、そのまま固まってしまった。


――“鳳長太郎様”


宛名にはそう書かれていたのだ。
よく見ればずいぶん年季の入った封筒だ。真っ白なはずのそれは日に焼けて薄い黄色になっていた。


「ごめん、勝手に開けた。俺じゃなくて…本物の宍戸が書いたやつだよ」
「……え?」

本物の、宍戸が、書いた手紙……?

「きっと、死ぬ前に書いておいたんだと思う。実は今日だけじゃなくて何度も……毎年おまえの誕生日の二月十四日に届いてる」
「…嘘、」
「嘘じゃない。全部俺が持ってる。…隠してて、ごめん」

動揺する鳳に、手紙が渡された。宍戸はまっすぐ鳳を見つめて「見てみろよ」と言う。
不安と緊張に襲われながらも鳳はゆっくりと白い紙に浮かぶ文字を見た。


“誕生日おめでとう。
これから先もずっと幸せに過ごしてくれることを、誰よりも願ってる。”



一枚目にはそう綴られていた。
鳳は生前の宍戸の姿を必死に思い浮かべたが、彼の口からこれほど深く思いやりを感じる言葉を聞いたことなどなかった。鳳はいつも「誰かの次」という存在だったから。

「宍戸さん…」

自分ではどうにもできないほど胸が熱くなって、息をすることもままならなくなる。
鳳はとうに読み終えた手紙の文字を繰り返し繰り返し目で追った。
信じられない。
でも、この文字は間違いなく宍戸のものだ。鳳が最初に好きになった宍戸のものだ。
不意に手を握られて、鳳は思わず肩を跳ねさせてしまった。

「あ…、ごめん」
「……ししど、さん……」

重ねられた手は、宍戸のもの。鳳が一度失い、再び手に入れた人のもの。
一瞬、過去の宍戸なのか、今、恋人として暮らしている宍戸なのか分からなくなる。

「しし、ど…さん」

途切れがちにそれだけを繰り返す鳳に、宍戸の表情は苦しげだった。しかし、両手をさしのべ、なだめるように鳳の頬を包み込むと、宍戸は優しく問いかけた。

「大丈夫か」

鳳が頬に感じるぬくもり。それは『生まれ変わり』をしてようやく得たものだった。
手の中にある手紙は過去の宍戸が書いたもの。それなのに、二つはどこか似ていた。
だから少し混乱してしまったのかもしれない。鳳は平常心を取り戻そうとするように何度か深呼吸した。
ゆっくりと宍戸と視線を合わせたが、もう二人が重なることはなかった。

「…大丈夫です…、すみません」
「いや、俺がこんな姿してるからな。長太郎、落ち着いたら全部の手紙を見て欲しいんだ。その持ってるやつも、まだ二枚目がある」

鳳は驚き、再び手紙を見つめたが、宍戸に制止された。

「でも、昔届いた手紙と一緒に読むほうがいい。家にあるから一緒に来てくれないか」


居間のテーブルに見たことのない小さな木製の箱がそっと置かれた。木箱は目立たない地味な色をしており、錆びた錠がひとつ付いているだけのシンプルなものだった。
宍戸は一緒に持ってきた、これもまた錆の付いた小さな鍵で蓋を開け、鳳に木箱を差し出す。
中を覗くと何通も古い手紙が保存されていた。そして、そのどの封筒にも宍戸の字で鳳の名前が記されてある。
宍戸の言っていたように、これが数年をかけて一通ずつ届けられていたのかと思うと胸が苦しくなった。宍戸が隠していなければ、自分は毎年この日に宍戸のことを思い出していただろう。でも、どのように思い出していたのだろうか。
今の鳳は手紙などなくともあの夢をみて十分に思い出している。悲しく辛い過去ばかりを。
早く見たいと思うのだが、ひどく恐怖も感じる。鳳が躊躇していると、宍戸はすっと立ち上がった。

「席外した方がいいだろ。俺、庭の方にいるから」
「あの…」
「いいから」

宍戸は少しだけ頬笑み、居間を出て行く。上手い言葉も見つからず、鳳はその背を見送ってしまった。
鳳は木箱に向き直ると、封筒に手を伸ばした。
何が書かれているのか鳳には分からないが、ずっと手紙を開けてきた宍戸は複雑なのだ。ひどく自分を責めるような顔をしていた。宍戸を作ったのは鳳の身勝手からだというのに、きっと罪悪感のようなものを感じている。
心配だけれど、このまま宍戸の背を追うわけにはいかない。目の前の手紙を読まないことには宍戸にかける言葉もない。
そもそも、今まで過去の宍戸のことをうやむやにしてきたからこうして彼を傷つけてしまったのだ。生まれ変わって、絶対に宍戸と幸せになろうと決めたのは鳳なのに、真逆の状態になってしまった。
鳳は迷いを振り切り、消印の古いものから順に過去の宍戸からの手紙を読み始めた。

一枚目はすべて同じ文面だった。



“誕生日おめでとう。
今年も幸せに過ごしてくれることを、誰よりも願ってる。”



それから、数年分の手紙の二枚目だけを続けると、それはひとつに繋がった。





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