差出人は夜の淵に1 つい先日、小さなアパートの一室に俺と母さんは暮らし始めた。 小6の時に父親が亡くなって、一軒家を売り払ってからは、貧乏暮しをしながらいろんな場所を転々とした。 「亮。そろそろ出ないと会社に遅刻するわよ」 「やべ、いってきます!」 母さんに見送られて、俺は朝日のなか自転車を漕ぎ出した。 貧乏暇無しなんて言葉のとおり、働けるようになってからはバイト三昧の生活だった。 でも好きなテニスはずっと続けてこられたし、母さんは大学にも入れさせてくれた。 大変なことはたくさんあったけど、それでも幸せに生きてきた。 20分も自転車を漕ぐと、下町のような風景がまたたく間に都会のビル群に囲まれていく。 そのうちの一つのビルをエレベーターで昇っていくと、俺の務める会社がある。 「おはようございます」 挨拶をしながら席に向かう。 「はよー」 「おはようさん」 いつも決まって最後に挨拶をするのは向かいに座る、同僚の忍足だ。 忍足は、社長の親戚だとかで、俺と違ってエリートの道を進んでいく予定の男だ。賢くて澄ました感じのヤツだけど、同じくテニスが趣味っていうので、気が付くと仲良くなっていた。 資料を出そうとバックを開けると、一通の白い封筒が顔をのぞかせる。 爽やかな朝の気分が台無しになった。 「あー、そうだった…」 「なんや宍戸。出勤早々けったいな溜め息ついて」 忍足が丸い眼鏡越しにこちらを見る。 「最近ポストにイタズラされてるんだ」 「ほぉ?」 差出人も何も書いてない真っ白な封筒を渡すと、忍足がチラリと俺を見上げる。 ひらひらと手を振ると、未開封の手紙の淵に定規が当てられ、カッターの刃がスーッと当てられた。 俺はそれから意識を逸らすようにパソコンの電源を入れ、仕事の準備を始める。 〜〜〜〜〜〜〜〜 Dear R おはようございます。 ついこの前まで暑さにうんざりしていたのに、もう長袖じゃないと寒いですね。 風邪なんて引いていませんか? すごくすごく心配です。 でも、僕は秋ってけっこう好きなんです。 公園の、紅葉した並木道を、一緒に歩きたいな。 きっと素敵ですよ。 時間のできた時で構いませんので、あなたの書く文字が見たいです。 ……本当は、会いたいですけど。 僕は時々『croix』にいます。 また、手紙書きますね。 〜〜〜〜〜〜〜〜 「…えぇと、綺麗な文字の元カレやね?」 内容は見てもいないが、俺は忍足につられて引きつった表情になる。 「そんな野郎、顔も知らねぇよっ」 「宛名の“R”っておまえ?お母さん?」 「残念ながら俺しかいない」 「ストーカーかぁ」 明確な答えは、分かっていただけに重く圧し掛かってくる。呻き声を出すと、忍足が「黙っとったら胃痛になるで」と笑いまじりに言った。 前 次 Text | Top |