◇誕生日 | ナノ



差出人は夜の淵に1

つい先日、小さなアパートの一室に俺と母さんは暮らし始めた。
小6の時に父親が亡くなって、一軒家を売り払ってからは、貧乏暮しをしながらいろんな場所を転々とした。

「亮。そろそろ出ないと会社に遅刻するわよ」
「やべ、いってきます!」

母さんに見送られて、俺は朝日のなか自転車を漕ぎ出した。
貧乏暇無しなんて言葉のとおり、働けるようになってからはバイト三昧の生活だった。
でも好きなテニスはずっと続けてこられたし、母さんは大学にも入れさせてくれた。
大変なことはたくさんあったけど、それでも幸せに生きてきた。


20分も自転車を漕ぐと、下町のような風景がまたたく間に都会のビル群に囲まれていく。
そのうちの一つのビルをエレベーターで昇っていくと、俺の務める会社がある。

「おはようございます」

挨拶をしながら席に向かう。

「はよー」
「おはようさん」

いつも決まって最後に挨拶をするのは向かいに座る、同僚の忍足だ。
忍足は、社長の親戚だとかで、俺と違ってエリートの道を進んでいく予定の男だ。賢くて澄ました感じのヤツだけど、同じくテニスが趣味っていうので、気が付くと仲良くなっていた。
資料を出そうとバックを開けると、一通の白い封筒が顔をのぞかせる。
爽やかな朝の気分が台無しになった。

「あー、そうだった…」
「なんや宍戸。出勤早々けったいな溜め息ついて」

忍足が丸い眼鏡越しにこちらを見る。

「最近ポストにイタズラされてるんだ」
「ほぉ?」

差出人も何も書いてない真っ白な封筒を渡すと、忍足がチラリと俺を見上げる。
ひらひらと手を振ると、未開封の手紙の淵に定規が当てられ、カッターの刃がスーッと当てられた。
俺はそれから意識を逸らすようにパソコンの電源を入れ、仕事の準備を始める。






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Dear R

おはようございます。
ついこの前まで暑さにうんざりしていたのに、もう長袖じゃないと寒いですね。
風邪なんて引いていませんか?
すごくすごく心配です。

でも、僕は秋ってけっこう好きなんです。
公園の、紅葉した並木道を、一緒に歩きたいな。
きっと素敵ですよ。

時間のできた時で構いませんので、あなたの書く文字が見たいです。
……本当は、会いたいですけど。

僕は時々『croix』にいます。
また、手紙書きますね。



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「…えぇと、綺麗な文字の元カレやね?」

内容は見てもいないが、俺は忍足につられて引きつった表情になる。

「そんな野郎、顔も知らねぇよっ」
「宛名の“R”っておまえ?お母さん?」
「残念ながら俺しかいない」
「ストーカーかぁ」

明確な答えは、分かっていただけに重く圧し掛かってくる。呻き声を出すと、忍足が「黙っとったら胃痛になるで」と笑いまじりに言った。





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