Because you are a friend 視線の先に逃げ水。 汗は止めどなく流れて、太陽が容赦なく身体を焼く。熱気は地を這い、ペットボトルに残るぬるいドリンクも、拭った汗がすぐ乾いてしまう乾燥したタオルも何の気休めにもならない。 わずかな休憩時間とこれから延々続くであろう単調な練習を思うとすぐに決断した。 向日は重たい足取りで水飲み場に向かった。 水道の蛇口をひねり、頭から勢いよく水を被った。 こんなことは滅多にしない。 後で半乾きの髪がボサボサになるのは自分のポリシーに反する。 それに暑さを忘れられるのはその一瞬だけだ。すぐにまた太陽に照りつけられて熱を持つ。 それでもひと時でいいから逃げたいと思うくらいに暑かった。 後頭部に冷たく打ちつける水に朦朧としていた頭が冴えてくる。 目を閉じて、口で呼吸した。 不自然でしにくい。 でもそうしないと水を飲んでしまうから。目を開いたら水が滲みるから。 忘れ物に気がついて、忍足と別れて引き返した。 いつものように部室の扉を開く。 まだ誰か残っているだろうとは予想していたが、そこには思いもよらない光景が広がっていた。 弾かれたように鳳が顔を上げる。 その顔は、泣いていた。 いつもあどけなく笑う後輩の柔和な表情は辛辣そうに歪み、涙の筋が残っている。 鳳はドアを開ける音に気付くと壁に押し付けるようにしていた宍戸の肩からパッと手を離したが、向日の視界にはもうすでに映ってしまっていた。 入口に呆然と立つ向日はとっさに何か言うことも出来なかった。 何を言うべきなのか、考えてしまった。 違和感の残る状況を払拭しようとする声はどちらからも一向に届いてこない。 鳳は険しい顔を俯いて一言も発しない。少し覗いていた横顔も白い髪に見えなくなった。 宍戸は扉が開いた時こそ目を見開いて驚いていたが無表情だった。 時間すら凍結したような室内に、宍戸の声がやけにはっきりと響いた。 「……岳人。悪い、今は外してくれ」 「…………」 向日は頭が真っ白なまま他人に操作されているかのように走り出した。 部室に背を向ける瞬間、視界の隅で鳳の手が震えているのを目が捉えた。 なんだったのだろう。 わからない。 でも、見てはいけないものなんだとすぐに理解できた。 どうしてあんなところで、あんなふうに。 なぜ居合わせたのが自分なのか。 見たくなかった。 見せて欲しくなかった。 忘れたい。 なかったことにしたい。 嘘だと言って欲しい。 どうしたら、いい? 学校からずっと遠くまで走り息が切れ、足がもつれてようやく止まった。 身体は激走をやめたのに、心臓はまだ走り続けているかのように動悸がいつまでも治まらなかった。 「いつもみたいにぎゃあぎゃあ聞いてこないのな」 背後でした声に髪も絞らずに振り返った。 赤い毛先が水飛沫を飛ばす。 向日は突然現れた人物に瞠目した。 「昨日は悪かったな。これ取りに来たんだろ?」 宍戸はそう言って向日にプリントを差し出した。 「一言余計なんだよ。……聞かれたって、困るんだろ」 ムッとしたように宍戸の手からそれを奪い取った。 想像していたよりも自分が普段通りに宍戸と話せていることに、向日はどこか頭の隅で驚いていた。 宍戸は力なく笑った。 「分からね。今、もう困ってる」 「………………」 何か困るような事を鳳に言われたのか。 昨夜の光景から必然的にそう考えてしまった。 そんな風に笑ってしまうくらい困っているのだろうか。 鳳はあんなに涙を流していたけれど、それでも宍戸が苦しげでないことになんだかほっとしたような気分になった。 「なんか、しゃべれよ」 「勝手なこと言うなっつの」 こっちはまだおまえらと顔を合わせたくなかったんだ。 向日は地面を睨み、次々染みを作る水滴の数を数えてぼそりと言った。 こんなのは自分らしくなくて嫌だ。 けどそんな態度しか今は取れない。 まだ考える時間が必要なんだ。 もう少し悩んで、拒絶して、嫌悪して。 そうしていたって壊れてしまった物が元通りになるわけではないけど。 宍戸は昨日の事など何でもないというように話し続けた。 その胸の奥でもそう思っているのかまでは分からないけれど。 「岳人がうざくないとしっくりこねぇ。バカみたいにふざけてねぇと調子狂う」 「……マジで一言余計だし」 「事実だろ?」 カチンときた向日は顔を上げた。 「うっせ、おまえほどバカじゃねーよ!おまえはなぁ、バカに加えて頑固で自己中でおまけに鈍いし」 「はぁ?俺は氷帝一俊足だっつの!」 「とにかくなぁ!おまえはバカだし頑固だしすぐ暴力振るうし、バカだけど、」 「バカって何回も言うな」 「嫌いじゃ、ねぇから」 宍戸はきょとんとして、また俯いてしまった向日を見た。 「……宍戸のこと、嫌いじゃねぇから」 きっと、壊れたわけじゃない。 「鳳だって、……図体でかくて見降ろされんの腹立つけど、俺より女子にモテるのムカつくけど………可愛いもんだぜ」 そう言うと向日は意を決したように再び顔を上げた。 「宍戸はダチだかんな。鳳も」 ひっそりと隠して誰の目にも触れさせたくないものがある。 それは、いつしか自分にも言えることかもしれない。 きっと壊れたわけじゃない。 新しいかたちになっただけ。 目の前の宍戸の笑顔に、昨日あれから荒んでいた心が穏やかに晴れていくのを感じた。 「おう」 たった一言の返事はとても明るく満ちていた。 屈託のない心地よい声色だった。 宍戸が立ち去ると、向日はゆっくりと目を閉じた。 目を閉じて、深く呼吸した。 鼻から酸素を吸う。 口から二酸化炭素を吐き出す。 未回答の問いには待つという答えがあった。 End. (Happy Birthday! Gakuto Mukahi) 前 Text | Top |