四.椿、おしろい、雪化粧 後編 鳳は一気に疲弊して、今まで好き放題遊んで来た自分を散々呪った。 気が重たいながらもどうしても一目会いたくてベットを囲うカーテンを開けた。 「宍戸さん……」 起きているかも、今の会話を聞かれていたかもと思いつつ、やはり気配が無かった通りに宍戸は眠っていた。 鳳は盛大に安堵の息を漏らした。 静かにベットの端に腰かけて、宍戸の様子を伺った。 どうやら汗をかいたようで毛先がしっとりしていた。 こめかみに名残が光る。 それから目を離せないでいると視界がくらりと揺れた。 「……ん……」 「あ、宍戸、さん」 「……長太郎か?」 「……そ、うです………」 目を薄く開いた宍戸は目の前の人物を確認すると微笑んだ。 起きたばかりで熱の籠った頭で、弛緩したその笑顔に頭がどうしようもなく熱くなった。 思考が宍戸だけに占められて、身体が勝手な行動をしようとしているのを傍観しているしかなかった。 いままで何度もしてきたことに自然と身体が動いていく。 どんな順序を追うかなど、頭を使わなくても。 「ちょう、」 椿のような赤みの差したその唇に触れた。はじめて。 温かい血の通う柔らかな心地に、ようやく胸に芽生えた感情の名を知る。 彼が好きだ。 そっと離れると愛しい人の顔が映る。この気持ちをすんなりと受け入れてしまえばすべてに合点がいった。 彼の何もかもが恋しいと思った。彼の何もかもが欲しいという思いに胸がいっぱいになった。 彼が好きだ。 愛している。 しかし淡い想いに包まれたのも一瞬で、どん、と宍戸に突き飛ばされ、現実に引き戻された。宍戸は動揺と体調不良のせいかこの行動が精一杯だったようで、上半身を起こしたまま現状が理解出来ずに硬直している。 「……宍戸さん」 鳳は正気に返った。 宍戸の気持ちを無視してキスしてしまった。 宍戸の望んでないことをした。 嫌なことをした。 鳳は謝ろうとして宍戸の肩に手を伸ばした。宍戸は虚ろだった目をパッと見開くと反射的にその手を払い除けた。表情が強張り、浅い呼吸に肩がわなないている。 宍戸の拒絶反応に鳳は動けなくなった。 頭が真っ白だ。 宍戸はハッとして、まだかすかに肩を震わせたまま掠れた声を発した。 「ご、ごめん。俺……」 宍戸が自分を傷つけないように平静なそぶりをしようとする。 それが返って鳳の胸を締め付けた。 眠るように。死ぬように心が闇に落ちていく。 自分の恋心が判明したところで、男に恐怖心を抱いている宍戸とどう恋が実るというのだ。 「もう、宍戸さんの傍に居る資格ないね」 ちぎれて砂のように。さらさら、さらさらと胸の奥に降ってゆく。 細く落ちる感情の死骸が身体に重たく積った。 さらさら、さらさら。 初めて宍戸に出会ったあの舞台を軽やかに舞う桜吹雪のようには到底なれやしない。 「でも、最後に言わせて下さい」 刹那だけでも形を、意味を持たせたい。 この想いは短くも鮮やかに生まれ生きたのだ。 「好きです」 その黒い毛の先端まで緊張が走るのが分かった。 「あなたが好きです。初めに観た舞台の上のあなたを好きになったのかもしれないけど、俺が愛したのは着飾ってない、今のあなたです。ありのままの宍戸さんが、好き」 言い終わると鳳はようやく切なくなった。 感傷に浸れるほど繊細な想いではない。 恋い慕う相手は目の前でその感情に恐れわなないている。 やさしくして、守ってあげたかった。 笑わせて、愛したかった。 「俺、は」 「無理しないで下さい」 そんな理想とは裏腹な現実はもう見ていられなかった。 宍戸も辛いし、自分も辛かった。 「気持ち悪いでしょう、……怖い、よね。……俺、もう行きますから」 耐えがたい恐怖だろう。薄気味悪いだろう。こんな感情を押しつけられて。 そう思われるのは堪えられなかったし、これ以上ここにいても宍戸を穢してしまうようだった。 鳳は出て行こうとして宍戸に背を向けた。 「あ、ちょう、」 そういえば、せっかく出来た友人もこれでまたゼロだ。 信頼しきったところで残酷に裏切られて、また彼は一人ぼっちになる。 跡部や日吉はいるだろうけど、外界では元通り、孤独だ。 鳳は同情した。掠れた声で名を呼ぶ宍戸に、依然として庇護欲を募らせてしまう。 自分を最後に許してしまった。 もう一度振り向くとその細い身体をきつく抱きしめた。 一瞬だけ、どうか許して下さい。 これで最後だから。 困らせるのも怯えさせるのも、これで最後だから。 「本当に好き」 自分が離れるというよりも宍戸を無理やりに引きはがすと、彼はすとんと腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。 鳳はもう振り返らなかった。 目が眩むような椿の赤に過ちを犯した。 現実のものじゃないみたいに、 赤い、赤い花びらに。 いっそ夢の中であればよかった。 前 次 Text | Top |