◇誕生日 | ナノ



三.艶やかにしなやかに 前編

「どうして電話に出なかったのよ」
「ごめんなさい」
「掛け直してもくれなかったじゃない」
「すみません」
「謝って済むとか思ってるの?理由を聞かせてよ」

目の前で怒り全開に言い募る彼女に鳳は平謝りするばかりだった。
あの最高に幸福な一日を終え、鳳には大きな代償が還って来た。
翌日、鳳は電話口で一言短くしおりに呼び出された。

「友達と一緒にいたから」

さっきからずっとそう言っている。
それでもしおりは鳳を追求することをやめない。

「もっと、ちゃんとよ」
「図書館だったし、言い合いしていて。時間作れなかったんだ」

鳳は余すことなく全てを話した。
もう20分は前に。

「……下手な言い訳だわ。私に電話しない理由になってない。しなかったのは長太郎の問題よ」

下を向くしおりの表情は怒りなのか悲しみなのか分からない。
こんなふうにするしおりは初めてだった。
自信に満ちて、プライドが高くて我儘で、優柔不断を許さない。
それが鳳の知っているしおりなのに。
晴れやかな鋭気に満ちた顔は陰りを見せて、風に煽られる髪ですら心細く感じた。

「本当に、ごめんなさい」
「ねぇ、誰といたの?……本当のこと言って」
「友達です」

どこかいつもの諍いと違う。
解決への道筋は複雑に絡まり、出口など見えやしない。

「……信じられない」

鳳はとうとう何も言えなくなった。
ふいに胸の奥にじりっと焼けるような感覚がした。
そこが糸口なのだろうか。
何か怖い。
まだ見たくない。
それに蓋をして、鳳は祈るように思った。

信じて。
信じて下さい。
あなたが信じてくれないと俺の足もとが崩れていきそうなんです。









自室の鏡の前で日吉がネクタイを締め終えたとき、隣の部屋からけたたましいベルが鳴り響いた。これで2度目だ。
どうやら亮がうるさい時計に八つ当たりしたような騒音がした後、ドタバタと慌てて部屋を出ていく足音がした。
毎日こう繰り返されると慣れてしまったが、初めの頃は――もう10年以上も前だが――無性にイライラした。誰だってそうだろう。朝は静かに支度をしたいものだ。
今現在のように稽古が大詰めに入った時や舞台興行の期間、日吉は宍戸家へ居候の身となる。
自宅の部屋と同じくらいの時を過ごしているこの部屋は、朝と、亮がストレスを溜めて大音量で音楽を聴く時以外は非常に快適だ。自宅の部屋よりも広いし。
日吉はリビングにいる亮の母に「行って参ります」と言うと、ダイニングで朝食を掻き込む亮を一瞥して学校へ向かった。


日吉は先日の鳳にどうにも解せない気持ちでいた。
鳳は学園でも有名な部類に入る。
数多の富豪や著名人の子女子息が通う氷帝学園でもそのヒエラルキーの頂点近くにいるのが、顔馴染みでもある跡部やあの鳳なのだ。(いや、跡部は頂点に君臨している)
そのこと以外にも、鳳という男は大人達から見れば成績優秀で外面も良いのだろうが、同年代の自分達の間ではかなりの遊び人で名が通っている。
その割に痴情のもつれや修羅場があったという噂は、別に待ち望んでなどいないけれど一向に届いて来ない。
だが目にする度に別の女を連れているのだ。
いかに巧く遊んでいるのかと、あの大らかな笑顔の裏に計算高さを疑わずにいられない。

「おい若、待てって」

いつものように亮がようやく追いついてきた。

「もっと早く走れよ」

日吉は歩く速度をわざと速めた。

「……はぁ、おまえなぁ。困っている人には手を差し出せよ」
「亮は自己管理のツケをきちんと払えよな」
「母ちゃんみたいなこと言うなよ」
「まったく、毎日毎日……」
「そうそう。今日も稽古だよな。あっ、学校で台本読もうと思ってたのに忘れてきちまった!……っくしょお」
「バーカ」

わざとなのか本気なのか。さらりと話をすり替えられたが日吉は指摘する気も起きなかった。
鳳は、自分や跡部とは違う。
こう言うのは妙だが、鳳は亮にとって身内のような友人ではなく、外の世界で初めての友人だ。
外部の人間と生まれて初めて親しくなったということだ。こう気もそぞろなのはいたしかたないのだろう。だがそこがかえって不安だ。
だからと言って鳳の噂を亮に話すことはできない。きっとショックを受けるだろう。
それに。
日吉が呆気に取られた鳳の言葉と、差し迫った声。
そして、あの真剣な表情。
常の気抜けた笑い顔はどうしたと言いたいくらいだった。余裕のないくせにどこか落ち着いた態度だった。
裏も表もないまっすぐな瞳。それどころか、鳳があんなにきれいな目をしているのだとあの時初めて気づかされた。
髪と同じに、光彩が変わった色を放っていた。
それがずっと頭に焼きついて離れない。
あれは本当に嘘なのか?
やはり自分が鳳に投げつけた言葉の通りに亮を見ているのだろうか。
しかしあの瞳が引っかかる。
そもそも、嘘なのだろうか。
真実でないのなら。
あれは一体何だと言うのだ。

「休日は有意義に使わないとな」

大急ぎでワックスを撫でつけてきただろう髪を気にしながら亮が言った。
今週末、土曜日の午後は稽古が休みだ。
ふと嫌な予感がする。

「どういう意味だ?」
「んー?」
「亮は有意義に過ごすのか。休日」
「おう、まあな」
「予定、あるのかよ」

亮はにかりと笑う。
日吉はふいに自分の顔が強張った気がした。

「長太郎と遊ぶんだ。ほら、あいつってなんかヘラヘラしてっからさ、こっちも気ぃ緩んじまうだろ?息詰まりそうな稽古の気分転換にはもってこいだぜ」

亮は分かっていない。知らないから、そんな能天気に幸せそうにしていられるんだ。
けれど亮も、そして日吉も薄々は、知っていた。
あの真剣なまなざしに強く感じたこと。

どうして。
どうしてだろう。
なぜあの男の言葉を信じてしまうのだろうか。





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