二.浅き夢見しいろはの恋 後編 宍戸が音楽室を出ていき、特別棟の廊下を並んで歩きだした鳳に跡部はおもむろに話し始めた。 「あいつは歌舞伎の役者の中でも女形だ。女の、それも姫君や花魁など美しい女性を演じる専門だ」 「ええ」 「……そのせいか舞台での宍戸を知ってる奴らの中には勘違いする馬鹿が時々いるんだ。あいつが男に言い寄られるのも日常茶飯事だ……。俺様も目を光らせてはいるが、不埒な輩が後を絶たない」 跡部は事務的な口調で話していたが眉間には不満を刻んでいた。 「……そうだったんですか……」 鳳は小さく震えていた宍戸を思い出し、不憫に思った。 彼があんなに怯えていた理由がやっとわかった。確かに何度もそんな目に遭っていたら恐怖に竦まずにいられないだろう。 「宍戸は無意識に男を惹きつけてる。だから」 跡部は立ち止まり、鳳を見据えた。 「おまえみたいに惚れっぽい奴は近づかせたくねぇ。興味本位で口説かれると迷惑だ」 その言葉に鳳は跡部を振り返り瞠目してしまった。 「なにもしないと約束できるならまた舞台に連れて行ってやってもいい。宍戸と親しくなることも止めたりしねえ」 跡部は鳳にすら警戒していたのだ。 信用されていないのがショックというわけではなくて、そこまで用心深くなるほど跡部にとって宍戸は特別な人物だというのが、ただ単に珍しいこともあるものだと驚いた。 「まさか。男を口説くほど恋人に不自由してませんよ。景吾さんも知ってるでしょう」 「おまえに好きな女がいるなら、俺だってこんなこと言わねえ」 跡部にしては発言が突拍子もないと鳳は苦笑する。 「あの、俺にはしおりさんがいますけど……それは無視ですか?」 しかし跡部は態度を変えない。 「何度も同じことを言わせるな」 「……」 跡部は真剣に言っているようだった。 さすがにここまでいくと頭の切れがいいのも困りものだ。 それは被害妄想というものだ。 「今日だってお前と宍戸がはち合わせるなんてとんだ誤算だった」 「景吾さん」 鳳はなるべく呆れた態度を取らないように話しかけた。 「確かに俺はあの舞台で宍戸先輩に本当に心を奪われました。それは彼が全身全霊込めて舞台に立っている姿はとても素晴らしかったし、格好良かったからです。……でも、だからと言ってこんな唐突に、その上同性相手に恋愛感情が芽生えるなんてありえないでしょう?それに今どき一目惚れなんて運命じみたことなかなか無いですよ」 実は一目惚れではないが彼に興味はある。それもかなり。 だがそんなことを言えば跡部に不信感を抱かれるだろうし、口には出さないけれど。 「景吾さんも意外とロマンチストですね」 「調子に乗るな!」 「えへへ。すみません。とにかく俺は宍戸さんを気に入ってますけど、友達になれたらなぁくらいの気持ちですから心配しないで下さいね」 「……」 「“ナンパ野郎は信用出来ない”って顔してます。ごめんなさい」 そればかりは本当にすまない気持ちだった。 決して口には出さないが、跡部が自分のそんなところを気にかけているのを知っているから。 嘲るでも、呆れるでもなく。 「ふん」 「俺、行きますね。次は榊先生の授業だから遅刻できないし」 「長太郎」 「はい」 駆け出そうとした鳳に跡部はそっぽを向いたまま言った。 「来月、また宍戸の舞台に付き合ってもらうぜ」 「……はいっ」 「とっとと行け」 「はい!またね。景吾さん」 今度こそ走り出した鳳を見ながら、跡部は不安を拭いきれていなかった。 「………みんな初めはそうのたまうんだよ……」 前 次 Text | Top |