ひだまりの席 なんや、珍しい。 忍足が小さくそう呟いてしまうほど、図書室で宍戸を見かけることは少なかった。 だがしていることと言えばいつもの宍戸らしい。 週に一度の部活休みで放課後まもないこの時間帯、西向きの読書スペースは直射日光を受けるため、夏はブラインドを下げないと暑い。しかし十月も中旬の今ならば、今日みたいに天気の良い日なら、そこは小春日和にぽかぽかとしてつい眠りを誘ってしまうほど暖かいのだろう。 「宍戸」 ここは高くそびえる本棚に遮られてカウンターからは死角になっている。 一応は図書委員の非難を浴びないようにと努めて小さく呼びかけた。 宍戸は腕枕をして木製の長机に伏したまま、微かにすうすうと寝息を立てていた。忍足の声に対する反応はない。 別に用事があるわけではなかったので、忍足はそのまま隣の席に腰掛けた。 宍戸を見つける前に、ずらりと並ぶ本棚を興味のあるところはあらかた見て回った。 びっしり敷き詰められた作者もジャンルも様々な書籍の中から慎重に選りすぐった本を数冊、机の上に置くと一番上に重ねた淡い水色の装丁の物を手に取った。 「この作家、最近好きでなぁ」 独り言のように宍戸に呟いてみるが、熟睡しているのかぴくりともしない。 もしかして、こうしているのが自分ではなくて他人だとしてもこの男はそうなのだろうか。 (それは、あかん) もう少し人の目を気にした方が良い。無防備過ぎるのはいかがなものか。 授業中も今と変わらない様子の宍戸が、まさかどこでも居眠りするとは知らなかった。 忍足は友人の新たな一面に少しの不安を覚えた。 そんなに退屈ならば帰ればいいのに。 「ここにいるんなら読書せえや」 咎めるというより呆れて言った。 だが宍戸が目覚めることはなく、忍足はここに座った目的である手のひらの本に視線を戻した。 陽射しに暖められた机は心地良く、窓の外に広がる中庭の色づき始めた雑木林もなんともいい眺め。 眠るのも良いが、ここで読書に耽るのもなかなか贅沢なことかもしれない。 「ええ場所見つけたなあ、自分」 ハードカバーの表紙を捲りつつ宍戸の頬に目を遣ると薄い傷跡を見つけた。 それは忘れもしない、伝説のレギュラー復活の特訓時についたものだろうか。 あれから激動の日々を越えて忍足達3年生の夏は終わった。 だが引退しても良いだろうこの時期にテニス部はまだまだ忙しかった。 運良く出場した全国大会で熱戦の末に惜しくも再び青学に敗退したことがまたテニスへの情熱を煽ったのだろう。傍若無人とも言えるキングの一言で、一癖も二癖もある仲間と駆け抜ける青春はもう少しの間続くこととなった。 「まったく結滞やわ」 しかしそんなことを言っても、再び充実した毎日を無味乾燥な自分が楽しんでいるのは否定できない。 けれどそれが終わった後は、どう過ごしていくのだろうか。 別に成績に問題があるわけではないが、面倒な進学準備に追われるのだろうと考えると溜め息が出た。 「なのに、おまえはテニスしか眼中にないし」 夢の中にいる宍戸は鋭利な雰囲気が削がれて、とても幼く見える。攻撃的な普段とはまるで別人のようだ。 その子供のような寝顔は、こうしている間にも変わっていく現実をどこまで把握しているのだろうか。 もう仲間達と真剣勝負をすることも、後輩と特訓に汗を流すことも終わる。 それをちゃんと理解しているのだろうか。 宍戸がこんなところで居眠りなんてしているから、ついあれこれと思い巡らせてしまう。 「……やなくて、これ読まんと」 なんとなく本に集中できていない。 もうここへ来てからかなり経過している。 「宍戸はいつ帰るんかな」 どうせ宍戸は爆睡中だ。それなら起きるのを待ちながら読書して、たまには一緒に帰ろうか、そんなことを思いついた矢先、後ろから柔和な響きの声がした。 「宍戸さん」 あ、忍足先輩。こんにちは。 灰色の髪をした長身が駆け足で近付いて来る。 「鳳」 目を丸くして驚いていると隣の席から呻き声がした。 「……ん……」 忍足が隣を覗くと、身じろいで宍戸が目覚めた。 「長太郎。遅せぇよ」 眠たそうに目を擦って顔を上げた宍戸に鳳はほのぼのと笑い、謝罪した。 「すみません。ちょっと先生に話し込まれちゃいまして」 日誌を渡したら担任の先生がどうのこうのと続ける鳳の話を耳に流しながら、宍戸はうーんと伸びをした。 「帰るか」 文句を言った口の端を緩く上げて宍戸は穏やかに言った。 「はい」 素直に返す鳳も大らかな空気を醸し出している。 トントン拍子に進む二人の会話をついポカンと眺めていたら、鳳がこちらを向いた。 「忍足先輩は読書ですか?」 言われて急に手に本の重みを感じる。いつのまにか意識の外になっていた。 「ん?あぁ」 今日は部活も休みで、久しぶりに自分の時間を味わおうとここへ来たのに。 どうしてだか、ないがしろになっている。 「え……?うっわ、忍足!いたのかよ」 宍戸はようやく忍足の存在に気付いてその上、嫌そうな声を上げた。 「はあ?何言うとるん、ずっと隣にいたやんか!」 「俺は一人だったぜ?」 宍戸はしれっとそう言うと頬杖をついた。 「そら眠る前の話やろ。だいたいなぁおまえ、呼んでもびくともせんかったくせに」 鳳に一度呼ばれただけで目を覚ますとはどういうこっちゃ。 そう言おうとしたのに遮られた。 「そんな寝てないぜ、俺。おまえマジ気配ねぇな」 忍足って忍者になれるって。名前もシノビって漢字ついてるしな。 などど言って笑い出した宍戸に忍足は怒りを通り越して心配になった。 「……宍戸は現実が見えとらん。周りも見えとらんし」 寝ていても起きていても、宍戸は宍戸。 人の思いも知らずに能天気甚だしいというか、マイペースというか。 「は?」 「何でもあらへん。ほら、帰るんやろ。早よせえや、アホ助」 「ああ?」 「おっちゃん、これから読書するねん。図書室なんやから喚かんでよ」 「んだよ、バカ忍足」 しっしっと追い払うと宍戸は眉間にしわを寄せながら、鳳に「帰るぞ」と言って席を立ち、一人でずんずんと歩き出した。 忍足は宍戸に気付かれないように鳳の肩をぽんと叩くと言った。 「ほんま頼むわ、あのアホのこと」 鳳はびくりとした後、困ったように笑った。 「長太郎!」 「っはぁい、今行きます!……忍足先輩、失礼します」 「おう。ほなまた明日なぁ」 少し不機嫌の混ざった声に急かされて鳳は走って行った。 忍足は軽い疲労を感じて本を閉じた。机の上に重ねて置いておいた数冊を持つと貸出カウンターへと向かう。 「読書の秋」に便乗してやろう、という気持ちだったのに。 けれどまあ、鳳に釘を刺してやったから良しとしようか。 バタフライ効果を期待してもいい気がする。 陽の温もりの移った淡い水色の装丁は、結局一頁も繰られなかった。 End. (Happy Birthday! Yushi Oshitari) 前 次 Text | Top |