◇誕生日 | ナノ



かわいいビックバード 1

滝がそれに手を伸ばすと向かいに正座する女性からあら、と声が漏れた。

「萩之介さん、持って帰るんですか。お茶菓子」
「ええ。……いけませんか?」

困った表情をした滝に、彼女は口元に手を添えて笑った。

「あら違うのよ。ただ、珍しいわと思いましたの」
「そうですか」
「どうぞ、持って帰って下さいな。松屋の一級品ですよ」

滝は安心して、和紙で包装されたそれをそっと巾着へ忍ばせた。

「見た目もとても可愛らしいですね。……喜びそうだなぁ」

これを渡した時の相手の反応が目に浮かぶ。
滝の綻んだ目元を見て、女性はピンと何かを思いついた。

「どなたかに差し上げるの?」
「はい。甘いものに目がない子に、と」

あいつはお菓子だとかケーキだとかが大好きなんだ。

「まぁまぁ。萩之介さんも隅に置けないわね」

彼女が勘ぐる様な相手に渡す予定ではなかったが、滝は微笑むだけに止めた。






秋のコートは夕方にもなると昼間の晴れやかさが嘘のように冷たい風がびゅうびゅう吹く。
それでも再び訪れる激動の夏に向け、テニス部のみならずおおよその部活動は活気づいている。

「鳳。お疲れさま」

その中で一人黙々とラケットを振る後輩に声をかけた。

「あ、滝先輩。お疲れさまです!」

鳳は険しかった表情をゆるりと解いた。

「なぁ、お腹空いてない?」
「平気っすよ。俺、まだまだ練習できますっ」
「本当?」

滝はテニス部の正レギュラー。
ダブルス要員に在籍している。
鳳は準レギュラーだが、最近滝のペア候補の一人に抜擢された。必殺のサーブもさることながら、素直で温厚、加えて従順な鳳は数人いる片割れの中でも滝の気に入りだった。
一年生にして準レギュラーへのし上がるだけでもすごいことなのだが、現状に満足することなく努力を怠らず、成長を見せ続ける鳳。
そんな後輩といずれ正式に固定ダブルスペアとなるだろう予感が、滝にはこの頃からあった。
だが、今はハードな練習について行くだけで、鳳は精一杯だろう。
滝が健気に頑張ろうとする後輩を立派だと感心したのは一瞬で、目の前の高い位置のへそ辺りからごう、と腹の虫が大きく鳴いた。
鳳は慌ててパッと腹を抑えた。

「あ、……あは。お腹空いてないのは、嘘です。すみません」

顔を赤くして照れ笑う鳳は、自分より体格もがっしりしていて背も遙かに大きいのだが、どうしてかいちいち愛嬌のある動きしか出来ないようだった。
滝は微笑ましくなりクスクスと笑った。
「いいものあげるから部室においで」
滝の言葉に大人びたまなざしをふと幼くしてキョトンとした鳳は、やはり愛らしかった。

「はい、これ」
「わ、お菓子。可愛いですね。えと、モミジですか?」
「そう。食べてみなよ」
「あ、それじゃあ、いただきます」
「どうぞ」

ぱくっと一口で半分ほど食べると、鳳は柔らかに破顔した。

「うまいっす」

鳳の腹を満たしてやるだけなら、帰りにファーストフードなりコンビニなりに寄れば済む。
けれど滝は和菓子を食べさせてみたかった。
鳳はきっと、それを口にする機会もあまりないだろう。
どんな反応をするのか見てみたかったのだ。
餡を包んだ皮についたでん粉を口の端に付けた鳳に、滝もつられて笑った。

「ここについてる」
「あ、すみません」
「それね、昨日の茶会の時、お点前に添えられてたものなんだ。おいしいって有名なんだって」
「へぇ。滝先輩、お茶を習ってるんですか?」

鳳は残りの椛を平らげると言った。

「うん。そうだよ。鳳は習い事してる?」
「はい。ピアノとヴァイオリンを……、けれど今はテニスばっかりです。俺は人より練習しないと、ついていけないですし」

鳳はその凄まじい速度と威力で放たれるサーブで、一年にしてかなりの注目を浴びていた。
しかしそのサーブもいまだにコントロール力不足という弱点を克服出来ず、焦りばかりが募り、疲れ果てるほど遮二無二頑張らないと準レギュラーという位置への不安も消えないようだった。

「ま、頑張ろうよ。俺らはダブルスなんだから、全部一人で抱え込むこともないしさ」
「ありがとうございます」

鳳が下手な作り笑いをしたとき、部室のドアが乱暴に開かれた。
驚いて部室の入り口を振り返る滝と鳳。

「クッソ!」

現れたのは宍戸だった。
長くきれいな黒髪をなびかせて――と思ったが、どういうわけかみすぼらしいほどぐしゃぐしゃに髪を乱している。
歩いた先から紅葉した木の葉が髪や肩からひらひら落ちた。
宍戸は八つ当たりのようにロッカーを荒々しく開けた。

「何やらかしたんだよ」

滝も鳳も呆気に取られて宍戸を見た。
宍戸は忌々しげに舌打ちをすると怒気を含んだ声で話し出した。

「ジローの奴、中庭に集めてあった枯れ葉の山に俺を突き倒しやがったんだ。それから自分も飛び込んで、ポカリがどうのとか………ったく、何考えてんだあの野郎っ。おかげで髪の毛に小枝絡まっちまったぜ!」

バン、とロッカーを閉じると、宍戸は鞄から取り出したハサミと部室に常備してある鏡を持った。
そしてソファへどっかり座り、髪を解いた。

「切るのー?」

滝と鳳が見守る中、宍戸は黄や赤の葉を髪から払い落しながら答えた。

「切る」

宍戸がそう言った瞬間、鳳が小さく、え、と動揺を漏らした。
近くにいた滝にしか聞こえなかっただろう。ちらりと横目で伺うと、鳳は何か言いたげな表情をして宍戸を見つめていた。

「……いいの?傷むよ」
「面倒なんだよ」

そう言って宍戸は右手にハサミを持った。
瞬間、鳳はおろおろし始め、何かを堪えるように拳を何度も握りしめた。
滝はというと、宍戸の行動に特に何の感慨もない。
それなのにそんな後輩を見てなぜか小さく危機感が芽生えた。

「もったいないよ、きれいに伸ばしてたのに。ねぇ、鳳?」
「え……っ、あ、はい。……もったいない、です」

宍戸は一瞬、鳳を睨みつけた。
それからハサミを掴んだまま滝に視線を向けた。

「うるせぇな。仕方ねぇじゃんか。このまま帰れっかよ」
「枝毛だらけになっても知らないよ」
「こんなん大したことねぇっての」

宍戸は小枝の絡まった髪を鏡の前にかざしてハサミを構えた。
気が付くと、滝は自分のかも判らない動悸の激しさを感じていた。
すぐ隣からは鳳の緊迫した空気がビシビシと伝わる。
文房具の刃が蛍光灯の光を受けて紫電一閃を放った。

「待てよ!」






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