◇誕生日 | ナノ



雪とセロハン紙 1


「あーあ。負けちゃった」

宍戸さんにいいとこ見せたかったのに。
そう呟いて、鳳は大きな溜め息を吐いた。

「詰めが甘いんだよ、鳳」

隣のロッカー前に立ち、余裕ぶった口調で水分補給をする日吉も相当息が荒い。
師走に入ったばかりの今日、久しぶりにシングルス対決をした二人は外の寒さとは対照的に火照った熱い身体を休めていた。

「でもさ、日吉とテニスするの楽しいよ。緊張感が違う」
「フン。そんなことは勝ってから言うんだな」

鳳がムッとする。

「この前は勝ったぜ」
「でもその前は負けたぜ」
「――!次勝てばいいんだろっ。土曜日にまた勝負だ!」

日吉は悦に入った。

「次も速攻で叩きのめしてやるよ」

睨み合った二人の間にビリビリと電流が走った。
のも、束の間。
鳳はパッと花のほころぶような笑顔になり、ソファに座る人物を見た。

「宍戸さぁんっ。また勝負が決まりました!ぜひ俺の勇姿を見に来て下さい」

日吉は思わず肩の力がガクッと抜けてしまう。
ライバルへ放った電光がしゅんと床へ落ちて消えた。
どの辺りから宍戸先輩を誘うと考えていたのか……それとも何も考えていないのか。

「え〜?またかよ。俺、一応受験生だし、負け戦見に来るほどの余裕ねぇんだけど」
「今日は負けちゃったけど、次は絶対勝ちますよ!ねぇ宍戸さん。俺ね、サーブ以外もうまくなったんですよ。もちろんサーブも毎日鍛えてますが」
「あーはいはい。分かったって、見に行くから。早く着替えろよ」
「やった!……では、さっさと着替えてしまいます!」
「おう。そうしてくれ」

鳳は上機嫌で着替えを始める。これまた周りに花が咲き乱れ、白い鳩が一斉に飛び立ち、ついでに教会の鐘の音が鳴り響いたようだった。
日吉はその様子をちらりと横目で伺って、宍戸先輩は鳳の扱いが上手いな、と感心するでもなくただ思った。

「あ、そうだ日吉」

鳳が笑顔のままこちらを向く。

「なんだよ」
「勝ってスッキリした?今日はそもそも日吉が勝負を挑んで来たんだから。ほら、あのことを根に持って、ね?……ふふ」

鳳は嫌な笑みを浮かべていた。
一見、暖かな微笑に見えるそれも、瞳の奥にはかすかに嘲笑が宿っている。
日吉はそれを敏感に感じ取った。

「!……フン、弱者になんと言われようが痛くも痒くもねぇな」
「ふっ……今日の日吉おもしろかったなぁ。あははは」

鳳は嫌味さを引っ込めて、本当に可笑しそうに笑い出した。

「〜〜〜るっせぇな!おまえ授業中にふざけんなよ!勉強の妨害なんだよ」
「だってあんなおもしろいこと友達に教えないわけにいかないだろ?……ふふふふ」

鳳の言う”あんなおもしろいこと”に日吉は多大な迷惑を被ったのだった。









それは授業中のこと。
席順に教科書を読んでいて、次は日吉の番だという時だった。

「……よし。おい、日吉……」
「?」

後ろの席の鳳が日吉を小声で呼んだ。

「……なんだよ」

もうすぐ自分は当てられるのに一体なんの無駄話だと、日吉は怪訝な表情をした。

「見ろよ。チャック、開いてる」

見ろ?
チャック?
開いてる?

「えっ」

先程の休み時間。
トイレへ行った自分。
まさか。
日吉は焦って自分のズボンの前を確認した。
1ミリも開いていない。

「ぶーッ!!くはははは!ち、ちが!……違うひよしっ、日吉じゃなくて……せ、先生だよ……先生の、ズボンの前だよっ。ひ、ひよしじゃな……くくく」

鳳は噴き出し、小さく笑い続けた。
日吉はその切れ切れな言葉の断片を繋いで、ようやく自分がとんでもなく恥ずかしい勘違いをした事を悟った。

「!―――紛らわしいんだよテメェの言い方が!!」

背後の鳳が声を出さずに笑い震えている気配がする。

(この野郎っ……!!)

日吉が怒りに教科書を握りしめたとき。
前の席の生徒が着席する。

「えー、では次。日吉、読みなさい」
「!っはい」

慌てて席を立つが、どこから読むのか分からずに目が文章を泳ぐ。

「冬はつとめて、からだよ」

鳳がひそひそと教えてくる。その声はもう笑っていないが、おそらく顔は少し笑っているだろう。

「………」

日吉はもうコテンパンにのされたような気分になっていた。
さらには弊害も発生していた。一度気付いてしまうと、教師の開け放たれたままになっている社会の窓が、気になって気になって仕方がないのだ。
日吉は自分であったならあれほど焦り恥じたであろうことに、教師に大変失礼だと思いつつも漏れそうになる笑いを必死に堪えていた。

「……冬は、つとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、また……」

余計なことを教えてくれた鳳へ怒り、勘違いした自分の浅はかさを呪い、放課後の部活で奴を叩きのめしてやろうと復讐を誓いつつも、やっぱり教師のチャックの開いたズボンを見ると吹き出しそうになってしまった。
自分は今、きっと不気味な表情をしている。
どうにか葛藤に打ち勝ち、情緒豊かな随筆を読み切ることができた。





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