目覚める群青の光 明日、宍戸さんが部活見に来てくれるって。 昨夜の鳳からのメールでそう聞いていた樺地は、先輩に失礼のないように練習開始時間30分前には部室に到着していた。 只今の時刻は午前7時28分―― 早過ぎるということはない。 なにしろ宍戸は現役の頃いつも一番乗りに来て練習を始めていたのだ。そしていつしか鳳もそれに一緒に来るようになり、一番乗りは二人になった。 なので早過ぎるくらいがちょうど良い。 先に来てコートの準備等しておくつもりなのだ。 待たずとも宍戸と鳳は連れ立ってすぐにやってくるだろう。 樺地がコートとマフラーをロッカーへしまい込んでいると扉の開く音がした。 一月の冷たい空気がドアの隙間から舞い込んでくる。 もう来てしまったのか。 あと少し早く来ていればと樺地は胸中反省した。 「おはよう」 しかし聞こえてきたのは一人分の挨拶。 「……日吉、おはよう」 日吉は、寒いな、と言いながらテニスバックを開けてジャージを取り出した。 ああ、と言って樺地も着替えを再開する。 跡部から部長を引き継いだ日吉も、部員を率先する立場の者として、余程の用事がない限り練習には早めに来る。 と言っても今日は普段より15分ほど到着が早い。 おそらく鳳は樺地に宛てたメールと同じ内容のものを日吉にも送ったのだろう。 そう考えた樺地は早々と着替え、日吉より一足先にコートへ向かった。 「宍戸先輩が来るんだってな。今日の朝練」 樺地がネットを張っていると、テニスボールの詰まったカゴを抱えた日吉が後ろから声を掛けてきた。 ポールに紐を結びつけながら樺地は頷いた。 「ああ。そうらしい」 日吉は「どうせ鳳も一緒に来るだろう」と呟いてカゴを置き、樺地の手伝いを始めた。 白い息が明けたばかりの空へ立ち昇っていく。 冷えた手でコート整備をするのはなかなか大変だ。 凍えてしまう前に、早く体を動かしたい。 樺地と日吉は寒さに震えそうになる体を叱咤して一面のコートを整え終えた。 その頃には練習熱心な部員が数名やってきて、日吉の指示によりあとの2面はその部員達が準備を任された。 「よし、外周行くか」 軽いストレッチも完了して、日吉が足首の調子を見ながら言った。 樺地は足のつま先に伸ばしていた手を離すと立ち上がった。 「ああ」 時計を見やると分針が9のところを指している。 もう来ていてもおかしくないが、二人の姿はいまだ見えない。 樺地は、はて、と不思議に思ったけれども、あまり気に留めなかった。 ランニングから戻ると日吉はすぐに準レギュラーに召集をかけた。 ――現在、午前7時59分。 ダッシュで日吉のもとへ向かう部員もいる中、本日の練習がスタートした。 「おはよう。ごめん、遅くなった!」 ラケットを持ち一人コートに立っている樺地の方へ制服のままの鳳と宍戸が駆け寄ってきた。 鳳は大げさに深々と頭を下げると、ちょっともたもたしちゃって、と困った笑顔をした。 「おっす。悪ぃ樺地、遅れちまった」 息を乱した宍戸が申し訳なさそうに樺地へ手を合わせた。 「おはようございます。いえ……大丈夫、です」 寝坊して全速力で走ってきたのだろうか。 いつも朝一にここへ来ていた二人が揃って遅刻なんて珍しい。 樺地は二人が遅刻したことに腹も立たなかったし、朝早く来たのも結局は自分の練習時間が増えて良いことだったのであっさり二人を許した。 だが宍戸はそんな樺地にお構いなく話し始めた。それは罪から逃れるための言い訳というより、鳳を非難したいような口振りだった。 「樺地は優し過ぎんな。こいつにもう少し厳しくしてやってくれよ。朝からぐだぐだしてだらしねぇったらないぜ」 すかさず鳳が腰を低くくするも真正面から言い返す。 「そんな、俺だけのせいですか?宍戸さんだって二度寝してましたよ」 「うるせぇ。おまえの部屋、目覚まし一個しかないじゃん。つーか、先輩にそんな口聞いていいのか、おい?」 宍戸がキッと睨むと鳳は怯えた。 「あ、い、いえ。すみませんっ」 そしてなぜか気真面目な表情を作るとはっきり宣言した。 「宍戸さんが起きられなかったのも何もかも、すべて俺の責任です。だから機嫌直して、練習付き合って下さい。ね?」 縋るような表情の鳳に宍戸は束の間怒ったような顔をして、フンと鼻を鳴らすと部室の方を振り返った。 「行くぞ、長太郎」 「はい」 先に部室へ向かう宍戸について行こうとして、鳳は一度樺地を振り返った。 「ごめん、樺地。ホント俺のせいなんだ」 この優しくて気配りのできる仲間は、自分がメールを送ったばっかりに樺地が朝早くここへ来て先輩を迎える準備をしていたとおそらく分かっているのだろう。 樺地は気にしていないというふうに首を横に振った。 しかしきっとあとから日吉に罵声を浴びせられるだろう。そして鳳はひたすら謝るのだ。想像がつく。 非常に済まなさそうに頭を下げると鳳は大急ぎで宍戸を追いかけて行った。 樺地がその様子から視線を逸らそうとすると、宍戸が追いついてきた後輩の尻をいきなり中段蹴りした。 樺地は驚いてまた二人に注目した。 すると前方へつんのめった鳳に宍戸は文句を叫びプイとそっぽを向いてしまう。 鳳は泣くも怒るもせずにじっと痛みを堪えている。 樺地は鳳の様子に心を痛めた。 しかし宍戸も理由なく後輩に暴力を振るうような非道な人物ではない。 一体どうしたのだろうか。 樺地の目から見ても、とても仲の良い二人なのに。 鳳は宍戸の顔を覗き込み、甲斐甲斐しく何か話し掛けた。樺地にはその内容は聞こえない。 見守っていると、すぐに宍戸は鳳に根負けしたように乱暴に鳳の頭をかきまぜた。 鳳は嫌そうにしながらも嬉しそうに抵抗している。 それでなぜか二人は仲直りできたような雰囲気になり、そのまま部室に入って行ってしまった。 とうとう樺地には二人の喧嘩の、そして遅刻の理由も分からなかった。 けれど二人の仲の良さが変わらないままなのは、とてもよく理解できた。 「なんだよ。鳳のやつ遅刻してきたのか、ったく。あとで注意してやらねぇと」 考えに耽っていると、いつのまにか隣にしかめっ面の日吉が来ていた。 部員達はみんなそれぞれに練習を始めている。 「ああ。宍戸先輩と、二人で寝坊したみたいだ」 日吉は呆れた表情になった。 「やっぱり一緒だったのか。相変わらずだな、あの人も鳳も」 「……、うん」 「それにしても寝坊なんて、宍戸先輩も引退して気が緩んでるんじゃないのか。そんなんで高等部の正レギュラーを目指せるのかどうか……、怪しいもんだな」 「あ、いや……、遅刻したのは、全部、鳳が悪いそうだ」 「は?」 樺地は思わず言ってしまってから、そんなわけないだろうと思った。 「……宍戸先輩が、そう、言ってた」 あの時の鳳があまりにも真剣な目だったから、つい宍戸を弁護してしまうようなことをしてしまった。 それに樺地には理解できなかったが、先程の喧嘩風景のこともある。 すると日吉が溜息をついて笑った。 「あの人も横暴だな」 ま、鳳にはちょうどいいかもしれないな。 珍しく日吉がくすくすと笑いを漏らした。馬鹿にしつつも、和やかに。 「あの二人は仲良く一緒に練習するだろう。どうせ宍戸先輩も鳳の面倒見にきたのが本音だろうしな。樺地、ラリーしないか」 「……ああ」 気がつけばコートはすっかり朝の光に包まれて、ようやく部員達も目を覚ましたようで雰囲気が沸いてきた。 遠くグラウンドから1、2、1、2、と野球部かどこかの掛け声が響く。 樺地はネット越しに日吉の向かい側へ立つと、グリップを固く握りしめて真っ直ぐに前を見つめた。 End. (Happy Birthday! Munehiro Kabaji) 前 次 Text | Top |