いちばんの愛され下手 最初は、長い髪を引っ張られ、女の子みたいだねと笑われた。 柔軟してる時に強く背中を押されて。 Tシャツに水を掛けられて。 ランニングで嘘のコースを教えられ、一人だけ多く走らされて。 入部してからずっと、俺は鳳先輩にいじめられている。 そして今日、シャワーを浴びている隙に着替えを取り上げられてしまった。 「鳳先輩、返して下さい!」 俺はシャワールームの扉に隠れて叫んだ。 部室にはもう鳳先輩しかいない。 「いいよ。返してあげるから、裸でおいで」 鳳先輩は俺的にはサイテーだけど、世間的には信頼の厚い部長だった。テニス部を続けたい俺はどうしても強く出れない。 厳しい上下関係に他の一年だって何かと堪えているだろうに、俺だけキレるわけにもいかない。そもそも、鳳先輩とは体格差もあるから反抗したって勝ち目はなく…。 怒りを通り越して、最近はいじめられるたび泣きそうだった。絶対、泣かないけど。 「お願いですから、こんなことやめて下さいよ」 「返してあげるって言ってるじゃないか。俺が宍戸に折れたことある?ないよね。早くおいで」 「……っ」 にこやかに笑う鳳先輩に対し、俺は奥歯を噛み締めた。本当にその通りだったから。 でも、出て行ったら笑われる……そう思うと足が震えた。 髪を下ろしてるからきっと女の子みたいだとか言われるだろう。たくさん練習しても、なかなか筋肉の付かない細い身体を見たら、きっと馬鹿にされるはず…。 俺はこれまでのことを思い返して、結局どうしようもないことを悟った。 タオルを腰に巻き、躊躇しつつ鳳先輩の前に出て行く。 先輩の座るソファに近づくと、クッションの横に俺の着替えが置いてあった。ホッとした反面、あれを返してもらえる前に、なんて罵られるのだろうと気が沈む。 鳳先輩の視線が、つま先から頭のてっぺんまで突き刺さるようだった。 「……宍戸はさぁ、」 床を見つめて言葉の続きを待っていると、不意に手を引かれた。 そして、濡れた身体を、バスタオルがふんわり包み込んだ。 「重い筋力トレーニングばっかりしすぎ」 「…え…?」 「それよりフットワーク軽くなるように鍛えようよ。良い脚してるんだから」 「ひぁっ!?」 ツ、ツーッ。 突然、指先がふとももを撫であげた。 「意外と可愛い驚き方だね」 「…っな、なんなんですか!いきなり!」 俺が怒声を出しても、鳳先輩は微笑むばかり。強引に俺を膝へ座らせてしまうと、バスタオルで髪を拭きだした。 ていうか、なんだこの態勢は。 俺、パ…パンツも履いてないのに…っ。 「前々から注意しようと思ってたんだ。身体を見たら、はっきりしたよ」 「な…何がですか…?」 「宍戸は筋肉付けたがってるみたいだけど、向いてないし、オーバーワークになってる。ムキになるなよ。テニスは格闘技じゃないんだから」 笑顔でグサッとくることを言う。 でも、薄々気がついていたことだった。 「…俺、技術も体力もないから…」 「焦らなくてもいいんだよ。それに、筋力だけじゃなく持久力なんかも重要だ。宍戸の得意な素早くてしなやかな動きも、とても大切だよ」 「…あっ…もしかしてそれを俺に教えるために、ストレッチの時、背中押して来たんですか?」 「うん、まぁ」 「水掛けてきた時は?」 「クールダウンもしないでトレーニングしてたからだよ」 「ランニングでたくさん走らされた時もあった」 「また腹筋ばっかりすると思ったからね」 にっこり笑われて、俺は顔が熱くなった。 「…い、いつも…いじめてるだけだと思ってました…」 「いや?」 鳳先輩はとぼけた調子で言うと、もう充分近いのに、背中に両腕を回して引き寄せてきた。 咄嗟に手を突っ張らせなければ、危うく胸に飛び込んでいたところだ。 「可愛いから構いたくなるんだよ」 「…は?」 「髪…下ろしてるとすごく綺麗だね、宍戸」 腰を撫でられ、背筋がぞっとした。 「ああ、あのっ!お、おとり、先輩?髪を引っ張ってきたのは……」 「綺麗だから触りたかったんだ。不思議だなぁ…みんなと同じシャンプーなのに。宍戸の髪、すごく良い匂いがする」 鳳先輩は、濡れた髪を一束拾うとキスをした。 絶句するしかなかった。 「可愛い猫がいるんだ」 「はぁ?」 「俺の家に遊びに来ない?」 「……嫌ですよ」 「どうして?」 「なんか、……されそう」 「ああ、するよ。痛っ!」 俺はとうとう鳳先輩を殴り付けた。軽くだけど。 膝の上から逃げ出すと、着替えを奪ってすばやく距離を取る。 「あんたの部屋なんか行くかよ!」 鳳先輩はぶたれてビックリしていた。俺はその様子に幾分すっきりする。 まさか鳳先輩がホモだったとは。 でも、これで弱みを握ったようなものだ。多少強く出ても平気だろう。安心した。 ところが、着替え始めた俺の耳に信じられない言葉が。 「じゃあここでしちゃっていいんだ?」 「!?そういう意味じゃねぇよ!…なんでそうなるんすか!?」 「だって宍戸、ツンデレっぽいし」 「は!?」 「イヤよイヤよも好きのうち、って」 ホモの上に、調子のいい馬鹿とは…! 唖然とする俺に、鳳先輩は急に吹き出した。 「あはは、ウソだよ。メルアド教えてくれたら、今日は何もしないよ」 「…“今日は”…?」 「いや。あ、着替え手伝う?」 「っ結構なんで、そこで待ってて下さい!」 「はぁい」 きつい口調で告げたのに、鳳先輩はソファに大人しく座って、ウキウキと鞄から携帯電話を取り出した。 からかってるのか、本気なのか。 分からないからひどく不気味だ。 ともかく、俺の本当の受難は、ここから始まったのだった。 End. 次 Text | Top |