◇パラレル | ナノ



いちばんの愛され下手


最初は、長い髪を引っ張られ、女の子みたいだねと笑われた。

柔軟してる時に強く背中を押されて。
Tシャツに水を掛けられて。
ランニングで嘘のコースを教えられ、一人だけ多く走らされて。

入部してからずっと、俺は鳳先輩にいじめられている。
そして今日、シャワーを浴びている隙に着替えを取り上げられてしまった。

「鳳先輩、返して下さい!」

俺はシャワールームの扉に隠れて叫んだ。
部室にはもう鳳先輩しかいない。

「いいよ。返してあげるから、裸でおいで」

鳳先輩は俺的にはサイテーだけど、世間的には信頼の厚い部長だった。テニス部を続けたい俺はどうしても強く出れない。
厳しい上下関係に他の一年だって何かと堪えているだろうに、俺だけキレるわけにもいかない。そもそも、鳳先輩とは体格差もあるから反抗したって勝ち目はなく…。
怒りを通り越して、最近はいじめられるたび泣きそうだった。絶対、泣かないけど。

「お願いですから、こんなことやめて下さいよ」
「返してあげるって言ってるじゃないか。俺が宍戸に折れたことある?ないよね。早くおいで」
「……っ」

にこやかに笑う鳳先輩に対し、俺は奥歯を噛み締めた。本当にその通りだったから。
でも、出て行ったら笑われる……そう思うと足が震えた。
髪を下ろしてるからきっと女の子みたいだとか言われるだろう。たくさん練習しても、なかなか筋肉の付かない細い身体を見たら、きっと馬鹿にされるはず…。

俺はこれまでのことを思い返して、結局どうしようもないことを悟った。
タオルを腰に巻き、躊躇しつつ鳳先輩の前に出て行く。
先輩の座るソファに近づくと、クッションの横に俺の着替えが置いてあった。ホッとした反面、あれを返してもらえる前に、なんて罵られるのだろうと気が沈む。
鳳先輩の視線が、つま先から頭のてっぺんまで突き刺さるようだった。

「……宍戸はさぁ、」

床を見つめて言葉の続きを待っていると、不意に手を引かれた。
そして、濡れた身体を、バスタオルがふんわり包み込んだ。

「重い筋力トレーニングばっかりしすぎ」
「…え…?」
「それよりフットワーク軽くなるように鍛えようよ。良い脚してるんだから」
「ひぁっ!?」

ツ、ツーッ。

突然、指先がふとももを撫であげた。

「意外と可愛い驚き方だね」
「…っな、なんなんですか!いきなり!」

俺が怒声を出しても、鳳先輩は微笑むばかり。強引に俺を膝へ座らせてしまうと、バスタオルで髪を拭きだした。
ていうか、なんだこの態勢は。
俺、パ…パンツも履いてないのに…っ。

「前々から注意しようと思ってたんだ。身体を見たら、はっきりしたよ」
「な…何がですか…?」
「宍戸は筋肉付けたがってるみたいだけど、向いてないし、オーバーワークになってる。ムキになるなよ。テニスは格闘技じゃないんだから」

笑顔でグサッとくることを言う。
でも、薄々気がついていたことだった。

「…俺、技術も体力もないから…」
「焦らなくてもいいんだよ。それに、筋力だけじゃなく持久力なんかも重要だ。宍戸の得意な素早くてしなやかな動きも、とても大切だよ」
「…あっ…もしかしてそれを俺に教えるために、ストレッチの時、背中押して来たんですか?」
「うん、まぁ」
「水掛けてきた時は?」
「クールダウンもしないでトレーニングしてたからだよ」
「ランニングでたくさん走らされた時もあった」
「また腹筋ばっかりすると思ったからね」

にっこり笑われて、俺は顔が熱くなった。

「…い、いつも…いじめてるだけだと思ってました…」
「いや?」

鳳先輩はとぼけた調子で言うと、もう充分近いのに、背中に両腕を回して引き寄せてきた。
咄嗟に手を突っ張らせなければ、危うく胸に飛び込んでいたところだ。

「可愛いから構いたくなるんだよ」
「…は?」
「髪…下ろしてるとすごく綺麗だね、宍戸」

腰を撫でられ、背筋がぞっとした。

「ああ、あのっ!お、おとり、先輩?髪を引っ張ってきたのは……」
「綺麗だから触りたかったんだ。不思議だなぁ…みんなと同じシャンプーなのに。宍戸の髪、すごく良い匂いがする」

鳳先輩は、濡れた髪を一束拾うとキスをした。
絶句するしかなかった。

「可愛い猫がいるんだ」
「はぁ?」
「俺の家に遊びに来ない?」
「……嫌ですよ」
「どうして?」
「なんか、……されそう」
「ああ、するよ。痛っ!」

俺はとうとう鳳先輩を殴り付けた。軽くだけど。
膝の上から逃げ出すと、着替えを奪ってすばやく距離を取る。

「あんたの部屋なんか行くかよ!」

鳳先輩はぶたれてビックリしていた。俺はその様子に幾分すっきりする。
まさか鳳先輩がホモだったとは。
でも、これで弱みを握ったようなものだ。多少強く出ても平気だろう。安心した。
ところが、着替え始めた俺の耳に信じられない言葉が。

「じゃあここでしちゃっていいんだ?」
「!?そういう意味じゃねぇよ!…なんでそうなるんすか!?」
「だって宍戸、ツンデレっぽいし」
「は!?」
「イヤよイヤよも好きのうち、って」

ホモの上に、調子のいい馬鹿とは…!
唖然とする俺に、鳳先輩は急に吹き出した。

「あはは、ウソだよ。メルアド教えてくれたら、今日は何もしないよ」
「…“今日は”…?」
「いや。あ、着替え手伝う?」
「っ結構なんで、そこで待ってて下さい!」
「はぁい」

きつい口調で告げたのに、鳳先輩はソファに大人しく座って、ウキウキと鞄から携帯電話を取り出した。
からかってるのか、本気なのか。
分からないからひどく不気味だ。
ともかく、俺の本当の受難は、ここから始まったのだった。




End.





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