それは誰の為の瞳 ※宍戸さんも長太郎もそれぞれ恋人がいます…。 観衆の拍手とともに、ビロードの赤い幕がゆっくりと開いてゆく。 俺は前を歩く男に続き、照明の落ちた劇場へと静かに足を踏み入れた。 「遅刻しちまったかな…」 広い客席はすでにドレスアップした人々で埋め尽くされている。 不安げな呟きが耳に届いたのか、男は微笑む。 「大丈夫だよ、亮」 「え?」 「俺達の席はここじゃなくて、2階のバルコニーの方さ。君を立ち見させるわけないだろう」 「…本当にすごいんだな、おまえって」 少し嫌味だっただろうか。 けれど、男はその言葉を気にすることなく、俺の腰に手をあて階段へと促した。 ――さぁ、行こう。 司会の女性が開演を告げる。 会場から恋人へと視線を移す。 曖昧に映り流れてゆく大勢の人影。 その中に、本来ならば気付くはずのなかった顔を見つけてしまった。 「長太郎?どうしたの」 「あ…いえ。なんでもありません」 目が合ったのはほとんど同時で、ほんの一瞬だけだった。 逸らしたのは俺が先。 長太郎は俺と同じように恋人を連れていた。 優しい笑みが他人に向けられるのを感じて、思わず階段を睨みつける。 よく考えれば、長太郎も俺の恋人も似たような趣味の男で、いつかどこかで鉢合わせる可能性もないわけではなかったのだ。 バルコニーからは、何の障害物もなく舞台を見下ろせた。 それは逆に、薄暗い客席に浮かび上がる銀色の髪も、消し去りたい現実も視界に入るということだけれど。 「亮」 ――宍戸さん。 「この席はお気に召したかな?」 「ああ。サンキュ…舞台がよく見えるな」 見回した階下で、再び長太郎と視線がぶつかった。 どうしてあいつの姿だけは人混みに紛れないのだろう。 いつもはそのことを嬉しいと感じるのに、今日ばかりは憎かった。 『宍戸さん。俺はあなたを愛しています。けれど、あなたを幸せにした分、あなたを悲しませてしまうのも、きっと俺なんです』 『…そうなるな』 出会った頃はその言葉がどんな意味なのかも分からずに喜んでしまった。 それとも、分かっていてわざと良いように解釈したんだったか。 『じゃあ、なかったことにするか?』 『……それはできませんよ』 よくあんなことを言えたもんだ。今は冗談でも口にできない。 長太郎が押し黙ろうと、同じ返事をくれようと、どうしたって胸が軋むだろう。 『なぁ、長太郎』 『はい』 『俺を幸せにするのも不幸にするのもおまえだって言うんなら、長太郎を喜ばせるのも、泣かせるのも、俺だよな?』 『もちろん宍戸さんです。宍戸さんだけしか、俺にそんなことはできません…』 そうして抱きしめ合ったのに、俺にも長太郎にも恋人がいた。 それぞれ守るべき世界があって、そのためにまずお互いを犠牲にしなければならなかった。 でも。 会えない時間があっても、それは「好きだ」と囁きあえば埋まる溝だと思っていたんだ。 「あ、ほら。亮の好きな曲だよ」 …違う。これは、本当は…長太郎が好きだと言っていた曲なんだ。 「ああ…」 そうか。 俺のためにここへ。 俺のせいでここへ。 ふと階下を見下ろすと、長太郎は、舞台じゃなく、恋人じゃなく、俺を見ていた。 そのことが悲しくて悲しくて、どうしようもなかった。 End. 前 次 Text | Top |