傅育 5 鳳が出ていくと部屋はシンと静まり返った。 今、何が起きたのか。亮は呆然として床に広がる薄赤い水溜りを見つめていた。 すると、扉をノックする音がした。 着替えをお持ちしました、と女の声がする。鳳の呼んだ侍女だろう。 頭から濡れている亮を見て、侍女は「まぁまぁお元気ですこと」と和やかに笑む。 「なぁ…長太郎は?」 「お召し変えにお部屋へ戻られましたよ。さぁ、濡れた服を脱いで下さいまし。冷えたでしょう。今、温かいお茶をご用意しますね」 「…ああ…」 どんな様子だったのか気になるが、あまりしつこく聞くと怪しまれそうで、しかたなく黙った。 なぜこちらも一緒になって隠さなくてはいけないのか分からない。でもそうしてしまう。 亮は煮詰まりそうな思考で、濡れてほどきにくい腰紐の結び目に手を掛けた。 ――早く気付いて下さい。 ふと苦しげな鳳の声が蘇る。どういった意味なのだろう。 鳳のしたことはやはり怖い。痛くてぞくりとした感触は忘れ去ってしまいたい。聞いたことのない薄く笑うあの声には、裏切られたように感じた。 怖い。恐ろしい。足が竦む。 けれど去り際に呟かれた、あの押し殺した声は…、 (俺のせい?) 鳳のあんなに悲しそうな顔は今まで見たことがない。 俺は何に気付いていないんだろう。早く気付かなければ、鳳はどうなるのか。 苦しくて、悲しいままなのか? 濡れた衣服に寒気がして、亮は着替えを再開した。 わからないことだらけで頭が重い。 くたりと俯く。 と。 「…うわ、な、にこれ」 はだけた自分の肩に咲いた、鬱血痕が目に飛び込んでくる。 鏡でもないと見えないが、首の辺りにまだあるのかもしれない。痛い思いをしたのは一度だけではない。 フラッシュバックした光景に体中が熱くなる。 薄い色の瞳と、低い声。 あんな近くで鳳の顔を見たのは初めてだった。 「どうかなさいましたか」 侍女が近づいてくる。亮はそれを見られることがとても悪いことのように思えて、我に返ると慌てて隠した。 ばれて、何が起きたのかなんて説明できない。嘘もつける自信はない。 「な、なんでもない。おまえはもう下がれ」 「ですが亮様、お着物の紐うまく結べないでしょう。きちんとした衣装お嫌いですからねぇ。滅多にお召しにならないからいつまでたっても上達なさらないんですよ?やっぱり、お手伝いを…」 「あれぐらい、もうできるっての」 「…本当ですか?では、お茶をお出ししたら」 「それも自分でやる!」 「あら大変ですわ、水差しが割れております!亮様、お怪我なさいませんでした!?血が…」 「それも自分でするからっ…!怪我もしてねぇ、もう下がっていいってば!!」 亮はやっとのことで侍女を追い払った。 扉の鍵を閉めて、誰にも見つからないように急いで着替える。 一人で着付けをするのは得意じゃない。 それでも鏡を覗く気にはなれなかった。 前 次 Text | Top |