傅育 1 「あ、いけません!亮様!」 鳳が服の裾を掴むのが一瞬遅れた。 バッシャーン、と盛大に水飛沫を上げて国の第二王子が庭の池に転落した。 いや違う。 自ら飛び込んだように見えた。 「亮様!亮様!」 鳳は服が濡れるのも構わず池に足を踏み入れた。 「なあんだ。全然深くないじゃん」 亮はパシャリと水を蹴って鳳を睨みつけた。 「長太郎の嘘吐き。ばぁーかっ!」 そう悪態を吐く亮の手を握りしめると、鳳はやっと安心した。 「亮様が池に近づくと危ないと思ったのです。……良かった、無事で」 そう思ったのもつかの間、亮は鳳の手を振り払った。 「子ども扱いすんな」 威勢良く言うとそのまま俯いた。 「こんぐれぇのことでオロオロしちゃって心配し過ぎ。激ダサじゃねぇの」 どんな顔で言っているのだろうか。 鳳は亮の前に屈みこむとその目を見て笑いかけた。 「ダサくてすみません」 「……俺はもうガキじゃねぇ」 亮は憤りつつも弱々しく言った。 「そうですね。剣の腕もとても上達なさいました。きっと将来、国王様のもとでご活躍されますでしょう」 「分かってんならあんなこと言うな」 亮が言っているのは長太郎の先刻の忠告だ。 『この池はとても深いのです。足が届かないでしょうからお近づきにならないで下さい。溺れてしまいます』 「……もう心配ばっかりさせるほどヤワじゃねぇんだよ。ああいうのはうざいから今すぐやめろ。……むかつく」 「………」 鳳はもう一度、亮の手を掴んだ。 「無理です」 「……!テメェ、」 亮が怒り反論する前に鳳は池の中心に向かって歩み出した。 「何すんだ!」 「私は亮様を幼い頃からずっとお世話して参りました。大切なその身を案ぜずにいられないのは諦めて下さいませんか?……それに」 鳳は「すみませんが、服を汚してしまいます」と言うと、亮の手を強く引き一歩進んだ。 「うわ!」 足もとが急に深くなった。亮はそのまま頭の先まで水中へと浸かりそうになったが、寸でのところで鳳に両脇を支えられた。 「私の言ったとおりでしょう?」 「……本当に深かったのかよ」 向かい合う鳳は微笑んだ。 「私は足が届きますが、大抵の者はここまで来れませんよ。これから石を敷き詰める予定なのです。そうすれば沐浴も出来るでしょうね」 「……ふうん……」 亮は不満げに鳳の肩を掴んで足をぶらぶらとして水をかいた。 水は澄んで透明だが、鳳の足元だけが水底の泥を踏みしめ茶色く濁っていた。岸からだと深いとは分からなかった。 だが亮は気分が晴れないままだった。 池が深いのは事実だったが、そういうことじゃない。 亮は鳳に守られたいのではない。どこまでもやさしく大切に扱われたい訳じゃない。 ただ、対等に見られたいのだ。 「わっ」 亮は一瞬、首まで水に浸かった。鳳がパッと手を離したのだ。 「何すんだよ!」 亮は咄嗟に鳳の首に抱きついていた。 鳳はくすくす笑いながら謝った。 「申し訳ありません」 「長太郎がここまで連れて来たんだろ。溺れさせたいのかよ!」 亮が怒っても鳳は笑うばかりだった。 「失礼致しました」 「無礼者め」 「すみません」 亮は動揺して鳳にしがみついてしまった自分が恥ずかしくて身体を離そうとしたが、気がつくと鳳の腕がしっかりと回っていて離れられなかった。 「こうやって、もっと頼って下されば良いのに」 そうしたら俺も心配せずに済みますよ? 耳元で囁く声は子供扱いなどしていなかった。 前 次 Text | Top |