壺中の天 2 (ふわふわ、くしゃくしゃ、って触ってくれた) そのときの感触を反芻して自分の髪に触れた。 宍戸に触れられただけで、溢れるほどの幸福感が込み上げる。 彼の手は優しくて、暖かい。 「太陽みたいな人だ」 そっとひとりごちると返事が返ってきた。 「うわ言はやめておけ」 「!……き、聞いてたの、日吉」 「当り前だ。昼飯で向かい合って座ってるんだ。聞いて欲しくないなら、俺は行くぞ」 そう言って日吉は学食のトレイを持ち、腰を浮かせた。 「あ、違うって。待って!一緒に食べようよ」 「……まったく。朝から上の空でにやけてんなよな。宍戸先輩が来たくらいで」 「別に、そんなんじゃ、」 「分かり易い奴……」 日吉は呆れて、再び皿の焼き魚に箸を伸ばす。 きれいに解体されていくそれを見つめながら、鳳は呟いた。 「今日は久しぶりに会えて、嬉しかったから」 「だからって、太陽みたいな人だと?心酔しきったアホ面して、何をほざいてやがる」 「宍戸さんのことだなんて、一言も」 「テメーがそんな顔してる時は九割方、宍戸先輩絡みだ。そんな時に吐く戯れ言は十割方、宍戸先輩への賞賛か敬慕のぼやきだ」 日吉はさも当然というように言い切った。 「……日吉、俺のことよく見てるね」 「人をストーカーみたいに言うんじゃねぇ」 鳳は食べる気のないグリーンサラダをフォークでつつきながら友人に思いを打ち明けだした。 「自分でも分からないよ。こんなに尊敬できて、信頼できる人に出会ったことないし」 「だからって、少し会えないだけではぁ、だの、ふぅ、だの横で聞かされてみろ。うざいったらないぜ」 「気付いたら出ちゃうんだもん。仕方ないだろ」 「少しは他のことに頭使えないのか」 「使ってるよ。日吉部長のお手伝いもちゃんとしてるじゃないか」 「まぁ、そこはなんとか切り替えられているようだな」 跡部の後を一週間前に引き継いだのは日吉だった。しかし実際のところは、鳳達の代では跡部のしてきた仕事を日吉・鳳・樺地の三人で分担している。 「役職名が無いだけで、完璧、副部長だよな。跡部先輩はすごいなぁ。あんなにたくさんの仕事、全部一人で」 「樺地と二人で、だろ」 それもそうだ。 鳳達は判断に困ることがあると必ず、跡部に二年間付き従い、すべてを見てきた樺地の経験値に頼っている節がある。 「ああ、そっか。……仲良いよなぁ、跡部先輩と樺地。跡部先輩が引退したって何も変わらないままだよ?昼も一緒に食べてるし」 日吉は空になった味噌汁のお椀を置くと、逸れつつある話題を軌道修正した。 「慕っているのは悪いことじゃない。むしろおまえと宍戸先輩はダブルスパートナーなんだから、お互い認め合ってないと良いチームワークは生まれないからな」 言葉を区切り、お椀の蓋を閉める。 「ただ、没頭しすぎじゃないか?鳳、最近のおまえは四六時中宍戸先輩のことばかりだ。それしか考えていない」 多少きつく言ったつもりだった。 男の先輩に対して自分が没頭している、などと指摘されれば、さすがに少しくらい、頭を切り替えるだろうと思ったのだ。 「……はぁ。それにしたって、やっぱり考えずにはいられないよ……ふー、寂しいなぁ……」 はぁあ。時間って果てしなく長いねえ。ふたりの時はあっというまに思えたのにさ。 そんなことを言って溜息の一向に止む気配のない鳳に、日吉はとうとう匙を投げた。 この男には何を言っても無駄だ。 一人の先輩に傾倒しきっていて、それ以外見えなくなっている。 なんだ。 これじゃ、まるで。 日吉はふと頭に浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えをかき消すと、最初から見出していた解決策を乱暴に吐いた。 「会いに行けばいいだろ。もう知らねぇ。勝手に悩んでろ」 「うん」 上の空の鳳の返事は適当な割に素直で、そこが妙に腹立たしい。 今度こそ日吉はすくっと立ち上がりその場を後にした。 呆れて突き放したって、どうせ明日にはまた聞かされるんだから。 いや、無視しないで聞いてしまうのは自分の方か。 なんだかんだ言って、外見の割に子供な友人を放っておけないのだ。 日吉はそう思った自分自身にうんざりしながら、昼食の乗っていたトレイを片付けると鳳をちらりとだけ振り返り、教室へ戻ることにした。 鳳は一人思い悩むことにしたようで、頬杖をついたまま箸を止め、騒がしい学生食堂の中、思考の森を彷徨っていた。 あなたに会えると幸せな気持ちになる。 そして会えない時間はこんなにも寂しい。 じゃあ、そんな時間がずっと続いたら? ずっとずっと、寂しいままなのかな。 前 次 Text | Top |