◇パラレル | ナノ



壺中の天 2


(ふわふわ、くしゃくしゃ、って触ってくれた)

そのときの感触を反芻して自分の髪に触れた。
宍戸に触れられただけで、溢れるほどの幸福感が込み上げる。
彼の手は優しくて、暖かい。

「太陽みたいな人だ」

そっとひとりごちると返事が返ってきた。

「うわ言はやめておけ」
「!……き、聞いてたの、日吉」
「当り前だ。昼飯で向かい合って座ってるんだ。聞いて欲しくないなら、俺は行くぞ」

そう言って日吉は学食のトレイを持ち、腰を浮かせた。

「あ、違うって。待って!一緒に食べようよ」
「……まったく。朝から上の空でにやけてんなよな。宍戸先輩が来たくらいで」
「別に、そんなんじゃ、」
「分かり易い奴……」

日吉は呆れて、再び皿の焼き魚に箸を伸ばす。
きれいに解体されていくそれを見つめながら、鳳は呟いた。

「今日は久しぶりに会えて、嬉しかったから」
「だからって、太陽みたいな人だと?心酔しきったアホ面して、何をほざいてやがる」
「宍戸さんのことだなんて、一言も」
「テメーがそんな顔してる時は九割方、宍戸先輩絡みだ。そんな時に吐く戯れ言は十割方、宍戸先輩への賞賛か敬慕のぼやきだ」

日吉はさも当然というように言い切った。

「……日吉、俺のことよく見てるね」
「人をストーカーみたいに言うんじゃねぇ」

鳳は食べる気のないグリーンサラダをフォークでつつきながら友人に思いを打ち明けだした。

「自分でも分からないよ。こんなに尊敬できて、信頼できる人に出会ったことないし」
「だからって、少し会えないだけではぁ、だの、ふぅ、だの横で聞かされてみろ。うざいったらないぜ」
「気付いたら出ちゃうんだもん。仕方ないだろ」
「少しは他のことに頭使えないのか」
「使ってるよ。日吉部長のお手伝いもちゃんとしてるじゃないか」
「まぁ、そこはなんとか切り替えられているようだな」

跡部の後を一週間前に引き継いだのは日吉だった。しかし実際のところは、鳳達の代では跡部のしてきた仕事を日吉・鳳・樺地の三人で分担している。

「役職名が無いだけで、完璧、副部長だよな。跡部先輩はすごいなぁ。あんなにたくさんの仕事、全部一人で」
「樺地と二人で、だろ」

それもそうだ。
鳳達は判断に困ることがあると必ず、跡部に二年間付き従い、すべてを見てきた樺地の経験値に頼っている節がある。

「ああ、そっか。……仲良いよなぁ、跡部先輩と樺地。跡部先輩が引退したって何も変わらないままだよ?昼も一緒に食べてるし」

日吉は空になった味噌汁のお椀を置くと、逸れつつある話題を軌道修正した。

「慕っているのは悪いことじゃない。むしろおまえと宍戸先輩はダブルスパートナーなんだから、お互い認め合ってないと良いチームワークは生まれないからな」

言葉を区切り、お椀の蓋を閉める。

「ただ、没頭しすぎじゃないか?鳳、最近のおまえは四六時中宍戸先輩のことばかりだ。それしか考えていない」

多少きつく言ったつもりだった。
男の先輩に対して自分が没頭している、などと指摘されれば、さすがに少しくらい、頭を切り替えるだろうと思ったのだ。

「……はぁ。それにしたって、やっぱり考えずにはいられないよ……ふー、寂しいなぁ……」

はぁあ。時間って果てしなく長いねえ。ふたりの時はあっというまに思えたのにさ。
そんなことを言って溜息の一向に止む気配のない鳳に、日吉はとうとう匙を投げた。
この男には何を言っても無駄だ。
一人の先輩に傾倒しきっていて、それ以外見えなくなっている。
なんだ。
これじゃ、まるで。
日吉はふと頭に浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えをかき消すと、最初から見出していた解決策を乱暴に吐いた。

「会いに行けばいいだろ。もう知らねぇ。勝手に悩んでろ」
「うん」

上の空の鳳の返事は適当な割に素直で、そこが妙に腹立たしい。
今度こそ日吉はすくっと立ち上がりその場を後にした。
呆れて突き放したって、どうせ明日にはまた聞かされるんだから。
いや、無視しないで聞いてしまうのは自分の方か。
なんだかんだ言って、外見の割に子供な友人を放っておけないのだ。
日吉はそう思った自分自身にうんざりしながら、昼食の乗っていたトレイを片付けると鳳をちらりとだけ振り返り、教室へ戻ることにした。
鳳は一人思い悩むことにしたようで、頬杖をついたまま箸を止め、騒がしい学生食堂の中、思考の森を彷徨っていた。



あなたに会えると幸せな気持ちになる。
そして会えない時間はこんなにも寂しい。
じゃあ、そんな時間がずっと続いたら?
ずっとずっと、寂しいままなのかな。





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