unknown 3 * あの時は怪しい奴だと思ったけどよ、今じゃ飲みに行くのは長太郎くらいなもんだぜ。 つーか、おまえがおれにくっつきすぎなんだよ。誰も誘えやしねぇ。 なんだよ、仕事終わったらひょっこり出て来てよお。 まるで後つけられてる気分だぜ。 写真家ってそんなもんなの? まぁおれも長太郎のこと気に入ってっからいいけどさ。 おい、わかってんの? 「ええ、わかってますよ。だからほら、そろそろ帰りましょうよ」 鳳は青年と酒を酌み交わすような仲になっていた。 酔った彼から色々聞き出せないかと考えたことだったが、今ではすっかり彼のペースだ。 わかったことといえば、彼が一人暮らしということと、弱いくせに度のきつい酒を好んで呑むということくらい。 それからこれはさっき判明したことだが、写真で着ていた着物を彼は所持していた。 着物が好きらしく仕事以外は袖を通すことも多いのだとか。 今も暑いのか、目の前でその襟元をくつろげている。 つまり調査は難航している。 だがそれも悪くないなと思っている自分もいる。 彼はとても気さくで好人物だった。それと努力の甲斐あってか鳳のことも気に入ってくれたようだった。 「聞いてれぇな、おい。ちょーたろ」 「口回ってないですって……あ、名前なんでしたっけ?」 「またそれだ。そんなんでポロっと言うかボケ」 「ええ〜。そろそろいいじゃないですかぁ」 ……だが、未だ名前すら教えてもらえない。 カメラも随分前に購入したのに一枚も撮らせてもらえていなかった。 「おまえが本当のこと言ったらな」 「だから写真家なんですって」 「うるせぇ、本当のこと言えよ。おまえは誰だ、鳳長太郎は何者なんだ、ああ!?」 「あーもう、落ち着いて下さい」 鳳は彼から酒を取り上げると、矛先を変えて騒ぎ始めた酔っぱらいを何とかなだめ、居酒屋を後にした。 「あー、くそ暑ぃ」 「そんな真っ赤になるまで飲むからですよ」 「違ぇよ。夏だからだ」 「はいはい。……っと」 その時、青年がふらついて倒れこみ、鳳はとっさに身体を支えた。 「ちょっと大丈夫ですか。家、帰れます?」 「なぁ、長太郎。星」 この人何も聞いちゃいない。 そう不満に思ったが、それよりも彼の言葉につい従ってしまう自分がいる。 鳳は報われない気分になって、そのまま仕方なしに空を見上げた。 「……ああ、本当だ。きれいですねー……初めて見た」 鳳の生きる時代には人工の空しかなく、そこで事務的に点滅する星々はなんの感動も生まない。 けれど青年の見上げた空の星達は、一つ一つが不規則に光ったり止んだりとして囁きあっているようだった。 鳳が見入っていると、隣を歩く青年が口を開いた。 そうしなければ鳳はずっと星を見ていたような気がした。 「長太郎の目、きれいだよな。変わった色してる」 青年は立ち止まって鳳の顔を覗き込んだ。 つられて足を止めた鳳は青年の顔を凝視した。 その黒い瞳には空洞しかなく、吸い込まれてしまいそうで怖いくらいだった。 綺麗な目をしているのは彼の方だ。 あの瞳で作家に、愛しい人に笑むのだ。 それを鳳は見るのだろう。 でも……自分は、それを見ていられるのか。 鳳に残された滞在時間はもうわずかなのに、彼らの人生が交わる瞬間は一向に訪れない。 しかし歴史は鳳の知り得る先へとまっすぐに伸びているだけ。 記録といかに違っても、その直線が真実なのだ。 それを受け入れることが鳳の義務であり、いままでも当り前のようにそうしてきた。 それなのに鳳は不思議な焦燥感に襲われていた。 見えてこない時間に平静じゃいられなくて、口から言葉が自然とこぼれた。 「……あなたの瞳の方が、ずっと美しい……」 青年はぴたりと足を止めゆっくりと振り向いた。 音は何も聞こえなくて、彼の映像だけが脳に深く刻まれていく。 いままで彼と親しくなるふりにいろんな嘘をついた。 けれど、彼への気持ちだけは一度も嘘をついていない。 それは未来に影響することではなかったし、あの澄んだ瞳を前にすれば何もかも見透かされそうで。 嘘など、つけない。 「長太郎……写真、撮って欲しい」 「え……」 「おまえの泊まってる宿、行くぞ」 どうして彼が急に決断したのか分からなかったけど「はい」と言う以外、鳳にはできなかった。 前 次 Text | Top |