3654回の、 青い照明。 ジャズの心地よいリズム。 夜の大人達の穏やかなざわめき。 グラスを置いたバーテンダーが離れた隙に俺は言った。 「宍戸さんって、一人でする時どうしてるんですか?」 「あー?」 「オナニーする時です」 大量にお酒を飲んだ、いや飲ませた彼に俺がそれを尋ねたのは計画的犯行だった。 ちょうど宍戸さんが彼女にフラれ、その愚痴を散々聞いたところだ。そこまで不自然な質問じゃないと思いつつ、緊張は上手く隠せているだろうか。 「んなこと聞いてどーすんの」 「何となく。聞いてみたくて」 俺は酔ったふりをして「じゃあ、どんなAV見るんですか」と尋ねた。 実らない恋の相手に虚しい話だけど、これは考えた末の行動なのだ。 短所を見つけて幻滅しても、宍戸さんを嫌いになるなんて、俺には不可能だった。 ならば今度は、長年美化し続けてきたイヤラシイ妄想をぶち壊そう、と、この質問をしてみたのだ。 宍戸さんだって、普通の人間。同じ男。実態が分かれば、十年越しの恋も冷めるだろう。 「うーん…俺は…好きな奴のこと、考えるな。それが一番抜けんだろ?だから見ねーなー…」 どこか呂律の怪しい口調で、宍戸さんは呟いた。意外な答えだけど、まぁ、作戦成功だ。 好きな女の子のこと考えながらしてる。そんなの、片想いの俺からしてみれば興ざめだ。 「へぇ、一途ですね」 「んな美しいもんじゃねえよ。そいつのこと妄想して、ケツの穴弄ってんだからよ」 「へぇ……え!?」 「あーやべ。言っちゃった。あはは」 ふわふわと笑う宍戸さん。俺は一瞬にして大混乱だというのに。 「そ、それはつまり…」 「うんと、元カノは関係ねえ。…俺さぁ、バイみてえなの。引いた?」 「ひ、引いてないです。びっくりしただけです。その、それって…き、気持ちいいんですか?」 「まぁな」 俺はあっさり目的を忘れて、興奮していた。 宍戸さんがバイ。女も男も恋愛対象。しかも、そんなことするなんて。 「具体的には、どんな…」 「たまに、指入れて、してる」 「ゆ、指…!」 「男とやったことねぇし、それで満足なんだよな」 股の辺りに熱を感じて、俺は冷や汗をかいた。 嫌いになろうとしたのに、夜のオカズが増えてしまった。 「し、宍戸さん、エロいなぁ…はは…」 「男はみんなエロいだろ」 「そうですね…はは…」 ああ…。 宍戸さんは男が好き。 でも、俺を好きじゃない。選ばれなかったから、今ここに後輩として隣にいるのだ。結局は望み薄か…。 「宍戸さんみたいにかっこいい人なら、同性同士でも、うまくいくと思いますよ…」 テニスのユニフォームを着た、懐かしい宍戸さんの姿が浮かぶ。 一体誰がその身体に触れるのを許されるのだろう。相手が同じ男だと思うと、久しぶりに嫉妬心が全身を駆け巡る。 俺はグラスの残りの酒を煽った。 すると、隣から溜め息が零れた。 「おまえさぁ、少しは引けよな」 「え?」 「有り難いけどよ、俺みたいのに狙われんぞ?社交辞令はいいから引くか笑うかしろって!そのつもりで話したんだしさぁ」 「え…俺、社交辞令は言ってないですよ」 「はぁ?じゃあ、本気で言ってんの?」 宍戸さんは俺に白けた目線を送った。 『同性同士でも、うまくいくと思います』 どこかの男となんか付き合って欲しくない。 笑顔も、声も、身体も、全部全部――― 「ほらな、困るなら最初から…」 「宍戸さんを、いっ、一番分かってるのは俺です!男でもなんでも抱き…――っ」 ハッとしたが、遅かった。 取り返しのつかない発言は、しっかり宍戸さんの耳に届いたようで、顔が赤い。 ……顔が、赤い? 「…こ、ここ、出ようぜ…」 「……」 「…おまえの気が…変わらないうちに……た、頼むわ…」 「……は、は、はい!!」 「い、勢いまかせに言ったんじゃねーだろうな!?」 「はい!自分でもおかしくなるくらい、十年間、ずっとずっと想ってました!」 「…わ、わかった…」 「宍戸さん…っ」 歓喜に天まで舞い上がろうとした瞬間、ヒュウと口笛を鳴らすバーテンダー。 不意に現実に引き戻されて、酒が回る回る。俺も宍戸さんも顔が真っ赤だ。 本当に焦れったかったけど、店を出ると、酔い醒ましに少し遠くのラブホテルまで歩いた。 初めての夜は、お互い「酔った勢い」にはしたくなかったから。 End. 次 Text | Top |