◇大学生*社会人 | ナノ



3654回の、

青い照明。
ジャズの心地よいリズム。
夜の大人達の穏やかなざわめき。
グラスを置いたバーテンダーが離れた隙に俺は言った。

「宍戸さんって、一人でする時どうしてるんですか?」
「あー?」
「オナニーする時です」

大量にお酒を飲んだ、いや飲ませた彼に俺がそれを尋ねたのは計画的犯行だった。
ちょうど宍戸さんが彼女にフラれ、その愚痴を散々聞いたところだ。そこまで不自然な質問じゃないと思いつつ、緊張は上手く隠せているだろうか。

「んなこと聞いてどーすんの」
「何となく。聞いてみたくて」

俺は酔ったふりをして「じゃあ、どんなAV見るんですか」と尋ねた。
実らない恋の相手に虚しい話だけど、これは考えた末の行動なのだ。
短所を見つけて幻滅しても、宍戸さんを嫌いになるなんて、俺には不可能だった。
ならば今度は、長年美化し続けてきたイヤラシイ妄想をぶち壊そう、と、この質問をしてみたのだ。
宍戸さんだって、普通の人間。同じ男。実態が分かれば、十年越しの恋も冷めるだろう。

「うーん…俺は…好きな奴のこと、考えるな。それが一番抜けんだろ?だから見ねーなー…」

どこか呂律の怪しい口調で、宍戸さんは呟いた。意外な答えだけど、まぁ、作戦成功だ。
好きな女の子のこと考えながらしてる。そんなの、片想いの俺からしてみれば興ざめだ。

「へぇ、一途ですね」
「んな美しいもんじゃねえよ。そいつのこと妄想して、ケツの穴弄ってんだからよ」
「へぇ……え!?」
「あーやべ。言っちゃった。あはは」

ふわふわと笑う宍戸さん。俺は一瞬にして大混乱だというのに。

「そ、それはつまり…」
「うんと、元カノは関係ねえ。…俺さぁ、バイみてえなの。引いた?」
「ひ、引いてないです。びっくりしただけです。その、それって…き、気持ちいいんですか?」
「まぁな」

俺はあっさり目的を忘れて、興奮していた。
宍戸さんがバイ。女も男も恋愛対象。しかも、そんなことするなんて。

「具体的には、どんな…」
「たまに、指入れて、してる」
「ゆ、指…!」
「男とやったことねぇし、それで満足なんだよな」

股の辺りに熱を感じて、俺は冷や汗をかいた。
嫌いになろうとしたのに、夜のオカズが増えてしまった。

「し、宍戸さん、エロいなぁ…はは…」
「男はみんなエロいだろ」
「そうですね…はは…」

ああ…。
宍戸さんは男が好き。
でも、俺を好きじゃない。選ばれなかったから、今ここに後輩として隣にいるのだ。結局は望み薄か…。

「宍戸さんみたいにかっこいい人なら、同性同士でも、うまくいくと思いますよ…」

テニスのユニフォームを着た、懐かしい宍戸さんの姿が浮かぶ。
一体誰がその身体に触れるのを許されるのだろう。相手が同じ男だと思うと、久しぶりに嫉妬心が全身を駆け巡る。
俺はグラスの残りの酒を煽った。
すると、隣から溜め息が零れた。

「おまえさぁ、少しは引けよな」
「え?」
「有り難いけどよ、俺みたいのに狙われんぞ?社交辞令はいいから引くか笑うかしろって!そのつもりで話したんだしさぁ」
「え…俺、社交辞令は言ってないですよ」
「はぁ?じゃあ、本気で言ってんの?」

宍戸さんは俺に白けた目線を送った。

『同性同士でも、うまくいくと思います』

どこかの男となんか付き合って欲しくない。
笑顔も、声も、身体も、全部全部―――

「ほらな、困るなら最初から…」
「宍戸さんを、いっ、一番分かってるのは俺です!男でもなんでも抱き…――っ」

ハッとしたが、遅かった。
取り返しのつかない発言は、しっかり宍戸さんの耳に届いたようで、顔が赤い。

……顔が、赤い?


「…こ、ここ、出ようぜ…」
「……」
「…おまえの気が…変わらないうちに……た、頼むわ…」
「……は、は、はい!!」
「い、勢いまかせに言ったんじゃねーだろうな!?」
「はい!自分でもおかしくなるくらい、十年間、ずっとずっと想ってました!」
「…わ、わかった…」
「宍戸さん…っ」

歓喜に天まで舞い上がろうとした瞬間、ヒュウと口笛を鳴らすバーテンダー。
不意に現実に引き戻されて、酒が回る回る。俺も宍戸さんも顔が真っ赤だ。
本当に焦れったかったけど、店を出ると、酔い醒ましに少し遠くのラブホテルまで歩いた。
初めての夜は、お互い「酔った勢い」にはしたくなかったから。




End.





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