愛しい夜 幼稚園は夏休み真っ只中で、たまに早く帰宅できる。 氷帝幼稚園の生徒達は皆ブルジョワばかりで、両親と海外へバカンスに行く時期だからだ。同業からすると、少し特殊かもしれない。 今日はさらに珍しいことに、定時に帰宅した宍戸が洗濯や掃除をして一段落した頃、同居している鳳も帰ってきた。鳳の仕事は多忙なばかりで、いつも夜遅く帰ってくる。 週末を待たず、久しぶりにゆっくり顔を合わせられる。 鳳の仕事の様子も聞きたいし、自分の可愛い生徒たちの話もしたい。 鳳に風呂の準備を頼み、食事を作りながらビールを冷やした宍戸だったが、それらが食卓に並ぶ前にベットの上で裸になっていた。 どうしてこうなった。 すべて終わってからようやく疑問に思うということはままある。鳳は普段従順なようだが時々強引だ。 「もう十時じゃねぇか」 「あはは…」 冷めた料理と狂った予定に少し咎めるように言うと、鳳は困ったように笑った。 「ごめんなさい。なんか我慢できなくって…。今日みたいに平日の夜に二人揃うことってないから、つい」 「だからって飯も食わずに襲うのかよ」 鳳はもう一度ごめんなさいと言うと、宍戸の額にキスをした。 「お風呂の準備できてますから、それから温め直して食べましょう。宍戸さんはなんにもしなくていいよ」 伸ばしかけの髪を撫で、顎に指が添えられる。 宍戸は鳳を睨んだまま。しかし顔が近付いてくると瞼を閉じてしまう。 「先生、甘やかしすぎじゃないですか?」 「へっ。おまえみたいな面倒な生徒は持った憶えねえよ」 「幼稚園の子達がうらやましいな」 鳳はにやりと笑い、またキスをする。今度は深く、身体を熱くさせるようなキス。言動と行動が矛盾していると思いながらも、宍戸もまたそれを受け入れてしまう。 それから二人はバスルームに移動して、鳳の入れたぬるめの湯に一緒に浸かった。 鳳が姉からもらったという入浴剤で、湯は乳白色になっている。やさしい香りが漂い、宍戸はバスタブにもたれて目を閉じた。 しかし鳳は十分もしないうちに風呂を出る。一緒に暮らし始めて分かったが、鳳はかなりのぼせやすいようだ。夏場の今は特に熱がって、烏の行水になりつつある。 でも宍戸と一緒の時はなかなか出たがらない。 ぬるめの湯に予感はしていたが、鳳はバスチェアに座るとトリートメントのボトルを手に取った。 「宍戸さん、頭貸してください」 「おう。やってくれんのか」 「ぜひ」 赤い頬でにっこり微笑む鳳に、宍戸は口元が緩みかけた。 恋人といっても先輩の威厳は残しておきたい。それを見られないうちに背を向けると、宍戸はバスタブの縁に頭を置いた。 「ほい。よろしく」 「はぁい」 鳳はトリートメントを手のひらに出すと、宍戸の髪に少しずつ馴染ませていく。 大切なものを扱うように髪を梳く鳳の指先は心地良い。 宍戸は目を閉じて、それに身を任せた。 「だいぶ伸びてきましたね」 「ああ。中学ん時の半分もないけどな」 「それでも懐かしいです。…でも…学校で怒られません?」 宍戸がまた髪を伸ばし始めたのは鳳に懇願されたからだが、本人はそこが気がかりだったようだ。 わがままなのか、謙虚なのか。 宍戸は目を閉じたまま笑うと「別に」と言った。 「このくらいならな。あぁ、榊先生なんかは会うたび『切れ』って言うけどな」 「え。そうなんですか」 鳳は驚いたのか、一瞬手を止める。 「でも二言目には懐かしいって言って、昔話だ。まぁ、目の前で土下座されて髪切られたら、そりゃ忘れられないよな」 「そうなんだ…。なんか、仲良しですね…」 止まった手が、ゆっくりとまた髪を梳く。今度は少しもみ込むようにして、ときどきギュッと髪を手のひらに包まれた。 「どの辺がだよ。俺の髪が気になるだけだろ。ま、これ以上はさすがにしないぜ」 「俺はショートもロングも、どっちの宍戸さんも好きです。俺が伸ばしてって言ったんですけど」 「めちゃくちゃだ」 宍戸の笑い声がバスルームに反響する。 鳳は拗ねたように「分かってますよ」と言い、シャワーヘッドを掴んだ。 しかし宍戸の頭に手を添えると、顔や耳にお湯が掛からないよう慎重に、慣れた手つきで洗い流していく。 こういう日は、風呂あがりに宍戸の髪を拭くのも、ドライヤーで乾かすのも鳳がやってくれる。 結局遅くなった晩御飯も鳳が用意しなおしてくれて、寝室で言われたとおり宍戸はなにもしなくてよかった。 「おお。髪が潤ってるかんじするぜ」 ソファに座る鳳の足元でドライヤーをしてもらった。 ハイ終わりと言われて髪に触れてみると、指の間をさらりと髪が流れていった。 いつのまにか鳳は髪の扱いが上達していっているのだった。 「どう?いい?」 「うん」 「気持ち良かった?」 「うん。長太郎、ありがとう」 そう伝えると、鳳はとても癒されたような顔をする。満足させられたのはこちらなのに。 宍戸はこうなった元凶を差し置いて、そんなことを思った。 いや、不満以上に満足感を与える鳳のせいかもしれない。 「あ、そうだ。今度は俺がやってやるよ」 「え」 「トリートメントってのもなんだし…、それじゃ背中流してやるな」 「えっ。俺の?本当?いつ?」 「うーん。週末かな」 鳳は喜んで「やったー」と足元に座る宍戸を抱きしめた。 好き、大好きと興奮する鳳を宥めるように宍戸は銀色の頭を撫でる。すると、ますます抱きしめる腕が強くなった。 その中で無理やり身体を反転させると、宍戸は鳳の首に腕をまわした。 「そのかわり、早く帰って来いよ。長太郎」 「はい、宍戸さん」 鳳からも同じ香りがすることに、心に安堵が広がっていく。 このまま眠ってしまいたいような、眠るのが惜しいような気分で宍戸は目を閉じ、自分を包む湯上がりの匂いをゆっくりと吸い込んだ。 End. 前 次 Text | Top |