初夏の処方箋 1

大学生活とともに始めた一人暮らしも一ヶ月が過ぎた頃、身体がやや不調を訴え出した。
怪我や病気ならまだいい。けれど、どうやら精神的なことが原因みたいだから困ってしまった。
はっきりした理由が見当たらないのだ。
慢性的な寝不足と、ときおり感じる胸の不快感。何を悩むでもなく、ぼーっとしてしまうことも時々あった。
…なんか調子悪い。
呟くと、向かいに座る三橋がシャーペンを止めてこちらを見上げた。

「阿部くん、来週、K大と練習試合だ、けど…」

K大と練習試合というのは、俺達の通う大学が毎年行っている新人同士の実力試しを名目とした試合だ。
数人の一年ピッチャーの中から先発に抜擢された三橋と、俺はバッテリーを組むことになっている。

「それは大丈夫。練習は集中できてるし、食欲もあるからさ」
「…うん…」

三橋の眉は下がったままだ。
こいつが相談相手に向いてないのは分かってた。でも、誰かに聞いて欲しいと思った時に目の前に居たのは、最近、俺の部屋に入り浸っている三橋だったのだ。

「あっ!じゅ、授業中にボーってなるの?それね、オレもなるから分かるよ!オレも阿部くんと一緒だよ」
「違ーう!ってかお前、こうやって毎日勉強みてやってる俺の前で堂々とサボり宣言かよ」
「えっ?ちち、違っ!どうしても、眠くなっちゃうんだ!」
「へえー」
「…そっ、それに…阿部くんのが、分かりやすくて…」
「ふうん」
「……怖いから、眠れないし」
「へええええ」

睨みつけると、危険を察知した三橋が逃げ出す。追いかけてこめかみを拳で挟み「ウメボシ」をお見舞いすると、途端にふざけ合いが始まってしまった。と言っても、俺の一方的な攻撃だけど、力加減はちゃんとしてるし。三橋もたぶん分かってる。
昔なら、冗談でこんなことしたって本気で怖がられただろうけど。
相変わらず俺はすぐ怒鳴るし、三橋もすぐビビるけど、付き合いも四年目になれば、歩み寄る方法を少しは覚えた。

こんなことして集中力が切れてしまい、案の定、本日の勉強会はお開きとなった。
どちらにしろ、試合も近いので勉強はほどほどにするつもりだった。
明日も早くから朝練がある。

「まーとにかく、たいしたことじゃないから。忘れていいよ。三橋は投げることだけ考えてろよ」
「え…」
「それよかさ、今日泊まってくだろ?」
「あ、い、いいの?」
「おばさんに連絡しとけよな」
「ウン!!す、するよ!」

三橋はいそいそと携帯電話を持ちだして、ちらちらと俺の方を見ながら親にメールを送っている。せわしねえなぁ。ったく。









ただ、これもすっかり恒例の流れだった。
でもまだ俺の部屋には来客用の布団がない。

部屋の照明を消して、俺達は窮屈なベットに、背中あわせに寝ころんだ。

「オヤ、スミ」
「おやすみ」

三橋の身体を気遣うなら、早くもうひとつ寝床を用意するべきだ。
だけど、いつもなし崩しに三橋の宿泊が決まるので、ついつい今度と後回しにしてしまう。それを、いつもこの瞬間に後悔するのも何度目か。

でも、三橋の寝息はすぐ静かな部屋に聞こえ始める。
俺がいろいろ頭を悩ませているのもおかまいなしに、三橋は初めて泊まった日から、寝るのに10分かからない。しかも、朝目覚ましが鳴っても起きないほどの熟睡っぷり。
不安なことがあるとガチガチに緊張して眠れないのを知っていただけに、これにはすごく驚いた。
こっちはカーテンの隙間から差し込む光だとか、枕の位置だとか、細かいことがめちゃくちゃ気になるというのに。
毎晩そうだ。眠気は感じても、目が冴えて寝付けなかった。

うしろから、三橋の寝息が小さく規則的に聞こえてくる。俺は少し躊躇してから、窓の光を避けるために寝返りを打った。
この態勢が一番楽なんだけど、三橋が嫌がる…こともない気がするけど、気を遣ってこっそりと。親しき仲にも礼儀あり、だ。

そしてまた暗闇でぼんやりする。
俺は欠伸をしながら、三橋の肩や背中が上下するのを眺めていた。それしかすることがないから。

すると、不意に三橋がもぞもぞ動きはじめた。
狭いベットで器用に身体をひねると、こちらを向いたまま落ち着いてしまう。

(…唇、半開きだし)

暗闇にかすかに見える顔は、マウンドにいる時の顔と全然違う。
すっげー、マヌケな顔。
俺は一度、深呼吸して目を閉じた。
手を繋がなくても、これならリラックスが伝染する。

あぁ。こうして隣で寝てると、合宿の時を思い出すな。
懐かしい……。




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