初夏の処方箋 10
「…う…?」
濡れたバスタオル越しに、石鹸の香りがする。 怒っているくせに、頭の中はその匂いでいっぱいだ。
「…三橋が…だらしねえから…」
心配で、落ち着かなくて、目が離せなくて。 一日、一日、いろんな姿を、表情を見たんだ。それは全部きれいなわけじゃないのに、どれも頭に焼き付いた。 愛しい気持ちが湧いて、溢れた。
「世話焼いてばっかで…ほっとけなくて、ずっと面倒みてたら好きに……っ好きなんだ!俺、お前が好きなんだ!好きって“like”じゃなくて“Love”の方の好きな!」 「えっ!?……あっ、オ、お…!」 「おまえが男なのは分かってる!でも好きなんだよ!」 「…あ、べ…く…」
顔は見えないけど、三橋が喜んでいるはずはない。 俺はきつく目を瞑った。 きっと真っ青になって、ドン引きしてるか、怯えてる。 離してやれたら良かったけど、俺は返事を聞くまではそうしないと決めていた。うやむやにしたくないから。 せっかくまた大学でバッテリー組めるかもしれないのに、バカなことしてるのは分かっている。でも、だからこそ今がいい。すぐ振られてしまえば、頭を切り替えて、野球を一緒にできるかもしれない。 いや、絶対できる。俺にとって三橋は最高の投手なんだ。恋人になれなくても、捕手でいたい。そのためなら、この気持ちを押し殺してみせる。 三橋はひたすら硬直していたが、ふと、身体を縮こまらせた。
「離、して」 「………返事くれたら離す」
三橋は再び黙ってしまった。 こんなに辛い沈黙は、生まれて初めてだ。 でも、言うしかなった。言いたかった。
こんなことで悩ませて、ごめんな。 でも、答えてくれ。
申し訳ない気持ちと、心の隅にある浅ましい期待。深い深い後悔。 一瞬にも、一生にも感じる時間が過ぎて。 三橋が叫んだ。
![](//static.nanos.jp/upload/t/tsvv/mtr/0/0/201112312242122.jpg)
「どっ!」
三橋ののどから、こくんと唾液を飲む音がする。 なんて言って、フられるんだろう。 目を開けると、どこからかじわりと水分が湧いてきた。
「…どうした、らっ」 「…」 「なれるっ?」 「……何に」 「どうしたら、阿部くんの、好きな人に、なれる?」 「…もーなってるよ、ばか」
すごくはっきりした言い方をしたのに、告白自体伝わってなかったのか。 三橋らしい。 半分呆れて、半分泣きたくなってきた俺とは逆に、三橋の口から「はわあぁぁ」と謎の感嘆が零れた。
「あ、阿部くんは、むかし…西浦が三星と対戦した時も、スキって…言ってくれ、た」
三橋が中学時代いじめられていたチームと戦った時。 初めて俺は、タコだらけの三橋の手を握って、その努力を実らせたいって思った。 その手を好きだと思った。
「オレは、その時から、ずっとずっとすき…だよ!」 「……三橋。俺が言ってるのは、それとは違う“好き”なんだよ」 「違わないよ!オレ、阿部くんがいちばん好きだよ!」 「…っ、ダチん中で一番だろ!俺はキスとかセックスとかおまえとしてえって言ってんだよ!」 「いいよ!でも、オレ、男だから…ぜんぶはでき、ない…」 「できるんだよ。俺はしたいんだよ」 「じゃあ、がんばる」 「…頑張らないと、できないんじゃなくて…?」
気がつくと俺は震えていた。 三橋を傷つけたくない。 でも、好きで好きで仕方ない。 一体、どうしたら。
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