初夏の処方箋 8
風呂に湯を張ると、俺は三橋にバスタオルを放り投げた。
「ほれ」 「うおっ」
しっかりキャッチした三橋に「風呂入れ」と言うが、なぜか動かない。 三橋はそのままバスタオルに鼻を押し付けると、スーハー吸って、悦に入った表情になる。 あれ…?そういえばこの流れ、しょっちゅうあったような。 いつもはテレビ見てたりなんだりで、気にも留めてなかったけど。
「…なにしてんの?」 「この、におい、好き」 「ああ、柔軟剤のこと?」 「阿部くんの、におい」 「え…」
カァ…と顔に血が昇る。変な意味の言葉じゃないことは分かっていても。
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「……風呂40度で沸かしたから、20分は入れよ」 「うん」 「肩までしっかり、身体冷えてるからな。いいか?」 「ウン、分かった」
心臓がバカになったみたいに脈打っている。 いつもどおり、放っておけばよかった。 けど俺は基本的に三橋の一挙一動、気にしてしまう癖がついてしまってる。 三橋は俺の動揺に全然気づきもしないで、脱衣所の扉を閉めた。そこでようやく、体から緊張の糸が切れた。
しかし休んでいる暇はない。 俺は風呂場の気配を伺ってから、そっと立ち上がった。 三橋が風呂で温まっているあいだに、近くのコンビニでケーキを買う。 だって、三橋が女の家行こうとしたのって、誕生日祝ってもらいたかったから…だもんな。それくらいなら俺にも出来るし。
「誕生日といえばイチゴのやつだよな。コンビニにあんのか…?」
財布をポケットに突っ込んで玄関に行こうとしたところで、ケータイの着信音が鳴った。三橋のだ。 無視して行こうとしたが、鳴り止まないままだと風呂にいる三橋が不審に思うかもしれない。 3コール目でケータイを見ると、三橋の母親からの着信だった。 うーん…知った人だし、急用だったらまずいし…出てもいいか。 逡巡した後、俺は通話ボタンを押した。
「もしもし、阿部です」 『えっ?阿部君?これ、レンの電話よね?』
電話口から普段ほがらかな声が慌てたように尋ねてくる。
「はい、そうです。あの、今みは…レン君には、風呂入ってもらってるんです。練習で雨に濡れたので」 『あら…そうだったの。ごめんなさいね、あの子ったら本当に迷惑ばかりかけて』 「いえ、風呂くらいは別に」 『お風呂だけじゃなくてね。最近のレン、阿部君の家に入り浸りでしょ?帰って来いって注意しても聞かないの』 「え?」 『もう半分家出よ』
え?三橋が家出? おばさんの声がどうも明るいせいか、深刻さが伝わって来ないが、これは間違いなく大問題だ。
『阿部君の家にいるってメールだけ寄越して、ケータイの電源切るのよ。レンったら今さら反抗期なのかしらね?って阿部君に聞いてもダメよね、ほほ』
三橋のヤツ……毎回メールで済ませてるの知ってたけど、そういうことだったのか。
「すみません…。ちゃんとおばさんに外泊許可もらってるもんだと思ってて…」 『阿部君が謝ることなんてなんにもないわ。今日はちゃんと叱るから、阿部君もレンがお風呂あがったら部屋から追い出してくれる?』 「い…いいんですか?」 『いいの、いいの!』
電話口の向こうから、お茶目な笑い声が零れる。 俺もなんとなく安心して、笑みが移ってしまった。
「じゃあ、暖かい格好させて帰らせるんで」 『本当にごめんね、阿部君』 「いえ。あの」 『何かしら?』 「あの……レン君といるの楽しいので、落ち着いたらたまには泊まりに来させてくれませんか」 『ありがとう。レンも喜ぶわ』
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