初夏の処方箋 5
「う、おっ、あべく、」
誰?キャッチャーの人。という会話の後、三橋が長机の間の階段を駆け下りてきた。
「こら。危ないから階段は走んな」 「あ、ごめ、ん」
なんとなく、声が小さい。 ちらりと三橋から視線を外すと、女と視線が合った。
「…誰?あの女」 「え?あ、えっと、原サン!授業、いっしょだ」 「油売ってる暇ねぇぞ。ミーティングすぐだからな」 「ごめんなさ…」
教室を覗いた時には笑顔だったのに、三橋は沈んだ表情になってしまった。 けどまぁ、ちんたらやってた奴が悪い。 俺の胸には罪悪感なんて少しもなく、すっきりしていた。 構わず部室へ向かって歩き出すと、三橋もパタパタと追いかけてくる。
「…あべく、朝、ごめんね」
浮上した俺の心は、その一言でまたズシンと重くなった。
「え?あ、朝?…なに、が?」 「泊まりたいって、言ったコト」
まだ気にしてたのかと思うと同時、ベットで三橋を抱きしめてしまったことが、脳裏にフラッシュバックする。 せっかく忘れかけていたのに。 それともやっぱり、朝の白々しい態度が怪しまれていたのか?
「いや…だからそれは、別に…」 「は、原さん、ケーキ屋さんでバイトしてるんだっ!」 「………は?」
すっげー、話が飛んだ。 原?…ってさっきの女だろ。 俺を動揺させといて、なんで原サンの話になるんだ?
「あのね、家でケーキ、ごちそうしてくれるって……だから、阿部くんち行かなくても、大丈夫になったよ!」
三橋の元気な声は今日初めて聞いた。 なのに、台詞がそんな内容とは。
「お、ま、え、は、バ、カ、か!!?」
怒号の直後、ウメボシをきめると三橋は「ひいぃ!」と廊下に叫び声を響かせた。 通行人がいくらか振り返るのが視界の隅に映った。
「俺が朝言ったことちゃんと聞いてなかったのかよ!?」 「う、うぅ、うえっ」 「今日は自分家帰ってゆっくり休めって言ったんだぞ!?」 「う、…あっ」 「何、今気付いたみてーな声出してんの?…なあ、それがどうして女の家行くから大丈夫なんつー結論になるんだよテメーは!あ!?」 「ひいぃうう…ごごご、ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい…っ」
周りがざわつき始めているが、そんなことはどうでもいい。 三橋の胸倉を掴むと、廊下の壁に押し付けて睨みつけた。
![](//static.nanos.jp/upload/t/tsvv/mtr/0/0/20110924001827.JPG)
「あっ…」 「いいか」
頭の芯が異様に熱かったが、出てきた声は低く押し殺したような音だった。
「今すぐ断って来い。体調管理怠るような奴とはバッテリー解消だからな」
赤べこのように何度も頷いたので手を離すと、三橋はふらつきながらも「原サン」とやらがいる教室へ戻っていく。 俺は三橋を置いて、険しい表情のまま、部室へと向かった。
三橋は元から思考回路の読めない奴だったけど、今日の三橋は特に変だ。 男の俺に抱きつかれて大人しくしてると思ったら、放課後には別の女の家に行くなんて言い出す。 何がしたいのか分からない。 分からなくたっていいのに、気になって振り回されてる俺自身も訳が分からない。 俺は、三橋のキャッチャーやれりゃなんだっていいはずなのに。
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