初夏の処方箋 4
「阿部くん。今日…阿部くんち、と、泊まってもいいっ?」 「え?」
支度が整い、部屋を出ると、三橋が急にそんなことを言い出した。 ようやく冷静になりかけていた俺の頭は、再び混乱する。 なんで今日に限ってそんなことを言うんだ、コイツは!いつも言わねえじゃん! いつも、俺が、終電の時間になると言ってたのに。
「あー……」
目を泳がせながら、とりあえず俺はアパートの階段をおりた。三橋もトントンついてくる。
しばらく、一緒に居るのはマズイ。 同じベットで寝たくない。 また変なことしたら、いや、そんなことないと思うけど、もししてしまったら……今度こそ言い訳できない。そもそも、俺にだって理由が分からないんだ。 俺はただ、四年間、こいつのキャッチャーやりたいだけなんだ。 抱きしめたのは、もちろんそういう目的じゃない。勝利試合からくる高揚感が、変な行動に繋がってしまっただけだ。絶対そうだ。 だから、とにかく、時間を空けないとマズイ。
「あのね、」 「今日は帰れよな!」
三橋が何か言いかけていたが、俺はそれを遮って叫ぶように言った。
「え?」 「昨日はつい泊めちまったけど、家でちゃんと栄養あるもん食って、でかいベットで寝て、試合の疲れ取った方がいいからな」
三橋の視線を感じるが、俺はまっすぐ、前だけを見る。 しかし、斜め後ろでシュンとなる気配に気づいてしまう。
「オレ……ず、ずうずうしこと言って、ゴメン、ね…」 「そんなふうに思ってねーよ」
やむを得ず振り向くと、やっぱり三橋はマイナス思考の沼に沈んでいくようなオーラを醸し出していた。
「そうじゃなくて!ほら、三橋のバック、荷物パンパンだしさ。一回家帰ってきれいにしなきゃダメだろ?」 「えっ…ウ、ウン……わか、った…」 「つか、バックに何入ってんだよ」 「え?あっ、きょ、教科書、とかっ、だよ!」 「三橋が教科書?勉強熱心なのはいいけど、やっぱ持ちすぎだろ。整理整頓して来いよ」 「…う…うん…わかったよ…」
連泊は回避できたものの、三橋はまた暗い顔をして俯いてしまった。 笑って肩を叩いてやれたら良かったのに、今日はそれもやりにくい。 肩なんて触ったら、高めの体温が指先から伝わって……いやいや、違う。念のため、まだ距離を置きたいだけだ。 俺は三橋に少しだけ近づくと、なるべく穏やかな口調で話しかけた。
「なぁ。俺、本当にずうずうしいとか思ってねーからな?」 「……うん。阿部くんは、オレのこと、大事に思って、言ってくれてる」 「おお、そうだよ。分かってるじゃん」 「うん、わかってる、よ。ごめ…」 「だから謝るなっての。勝手に悪い方に決めるなよ」 「うん」
三橋がそう言ったので、俺はぎこちない表情に疑問も持たず、また前を向いて歩き出した。 腕時計を確認すると、もう完璧に遅刻だった。 でも俺は、三橋が家に来ないと決まって、そっと安堵のため息を吐いていた。
*
放課後は昨日の試合の反省も含め、ミーティングが予定されていた。 まだ朝の事件に頭がもやもやしていたが、ラストの授業が終わると、足は無意識に三橋を迎えに行こうと歩き出していた。 講義を受けていた生徒たちがぞろぞろと出てくる中、目的の人物の姿はない。
教室の中をのぞくと、三橋は見知らぬ女といた。 何を捕まっているんだと思ったが、そういうわけでもないらしい。 三橋はなにやら一生懸命、相手と会話しているようだった。 時々、なにが楽しいのか、あの変な笑顔になっている。
「三橋!」
俺は教室の後方で繰り広げられる会話を断つように叫んだ。
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