初夏の処方箋 3
そして、その日も三橋は家に泊まっていった。 勝利試合のあとの身体には、爽快感と充足感、そして心地良い疲労感がある。 不眠続きだった俺はその日、ベットに入った瞬間、寝落ちてしまった。
それでも、朝、先に起きたのはやっぱり俺だった。 ただ、いつもと少し違うことがあった。
三橋の寝顔が目の前になかった。
「……」
いつもはシャキッと起きられる俺も、試合の翌日はさすがにそうもいかなかった。 覚醒しきらない頭で、ぼんやり三橋を探す。 すると、身体に温かい圧迫感を感じた。あごの辺りには、柔らかいような、くすぐったいような感触がある。
「…あぁ」
こんなとこに、いた。 このフワフワは、鳥の巣みたいな三橋の頭。暑く感じるのは三橋がくっついているからだ。 いや、それだけでなく、寝ている間にそうなったのだろうけど、俺の腕が三橋の背中に回っていた。おかしな態勢に驚いたものの、不快感は微塵もない。
「あったけー…」
マウンドで眩しく光る髪は、朝の日差しを柔らかく透き通らせて。 仲間を引っ張る力強い肩は、呼吸で小さく揺れているだけ。 見えないけれど、胸のところには安心しきったあどけない寝顔があるんだろう。 また、大学の四年間、こいつと頑張るんだ。
――三橋は俺の投手なんだ。
今思うと、頭がどうかしていたとしか考えられない。 俺は、夢見心地のまま、腕に力を込め、三橋をぎゅっと抱きしめていた。
そして、柔らかそうな髪に顔を埋めて、朝の空気を吸い込んだ時だった。
「ふ、ひっ」 「……わっ!」
驚いて手を離すと、三橋が布団からひょっこり顔を上げた。 目が合った。 何が起きたのか、理解できない。 一瞬空白と化した思考は、直後に覚醒した。
「みみみ、三橋…!!」
そうだ。こいつは三橋だ。三橋。投手。男。
「おは、よ。阿部くん」
ただの挨拶に、まるで死刑宣告でもされたようだった。 それにこの目は絶対、今起きたという目じゃない。垂れた眉の下で、薄茶色がぱっちり輝いている。 さらには、暑かったのか苦しかったのか知らないが、頬がうっすら紅潮していた。 ああ、我慢しないで離れろよ。離れてたら俺だってあんなこと……あんな、バカなこと……。 眩暈を感じながらも距離を取り、俺は渇いた唾を飲んだ。
「……あーっと…おはよう。その、ごめん…俺、寝ぼけてたかもしんねーわ…」 「?オレ、平気だっ!阿部くん、あったかかった、よ」 「!?」
なんでこんな日に限って先に起きてやがるんだよ。 なんで俺はあんなことをしたんだ。 三橋は笑顔(笑顔なのか?とにかく気の抜けた変な顔だ)でじーっとこっちを見てきたが、頭で何を思っているのか考えるだけで恐ろしくて、俺は早々にベットから抜け出した。
「いっけねー。もう8時じゃねーか!」
自分でも白々しい言い方だと思うが、これが俺の精一杯だった。
「あっ、オレ、起こさなくて、ごめんね」 「全然?」
やっぱり起きてたんだな。 俺はもう心で泣くしかなかった。 なんであんなことしちゃったんだよ…クソ。
でも、外出まで時間がないというのは本当にありがたかった。 切羽詰まった俺を、切羽詰まった時間が隠してくれるような気がして。 すさまじく居た堪れない空気の中、バタバタと朝の支度がはじまった。
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