◆中学生日記 | ナノ

02/29:おおとりさん。


引っ越し作業で慌ただしい201号室。宍戸さんと一緒に実家へ帰ると言いだしたジロー先輩が俺のベットでのどかないびきをかいていた。
俺のホームシックならぬ宍戸さんシックのせいで、ここ2、3日引っ越し準備が捗らなかったんだけれど、二人で集中すればなんとか正午過ぎにはすべての荷物が片付いた。
トラックが来るまでに間に合ってよかった。

そんな安心も束の間、ジロー先輩を起こそうとベットを覗いたら――信じられない光景が広がっていた。

「どうしたっ」

宍戸さんが俺の悲鳴を聞いて駆け付けた。
なんと爆睡しているジロー先輩のちょうど口元に俺の日記帳があったのだ。
って、うわー!よだれでびしょびしょになってるっ!読まれたのかな、どうしよう恥ずかしい…いやそれよりもよだれが…!

「俺のノート…!」

ジロー先輩はすぐそばで大声を叫ばれたのも嘘のようにいまだ深い眠りの中。俺は大慌てでノートをテーブルの上に避難させ、ティッシュで表紙をごしごし拭いた。

「…っ長太郎…そのノート…!――やめろバカッ!やめろ!!」

突然、宍戸さんが叫びだして拭く手を阻止されてしまう。

「なにするんですか!?早くしないとノートがっ」

焦った俺は宍戸さんの手を振り払って、また表紙の水分を拭き始める。
これは宍戸さんにもらった大事な大事なノートなんだ。早くきれいにしないと…、

「――ひっ!!」
「え?…わああっ!!」

宍戸さんは声にならない叫びを上げて、よだれで湿ったノートを俺の手ごと抱きしめた。その拍子にノートと宍戸さんの身体に挟まれた俺の手が、ジロー先輩のよだれにべったり触れる。

「て、手が!手が…!」
「ガムテープ持って来い!は、早く!」
「むむむ、ムリです、宍戸さんに手、挟まれてます…!」
「っじゃあ燃やす!ライター!!」
「濡れてるから燃えないですよっ」

宍戸さんがハッとして力が緩んだ隙に、俺はガバッとノートと手を引き抜いた。

「あっ!待てバカ!」
「待ちませんっ」

俊敏に反応してまたなぜかノートを奪おうとする宍戸さんをなんとかよけきり、すばやく表紙の無事を確認する。

「あー、よかっ…………」



声が、出ない。
視界に広がる、ふやけて色の濃くなったノートの表紙。
油性ペンの黒で書かれた、宍戸さんの文字。

英語。3−C。宍戸亮。

そう書いてあったはずなのに。
硬直してしまった。
剥がれた修正液の裏に隠されていた、画数が多くて書くのが苦手な、書き慣れた一文字を見つけて。

「ち、長太郎…それは、違うんだ、間違ったんだ。だから、その、あのな」

遠くで愛しい人の言い訳が聞こえてくる。
けれど視覚に全神経を集中させてしまっている俺には内容が伝わって来ない。
よだれまみれの手も気にならなくなっている。
悲しくないのに、目が潤みそうだ。

「……宍戸さん……」

俺の表情を見た宍戸さんは、顔を真っ赤にして首を左右にブンブン振った。

「ちちち違う!っそんなつもりじゃなくて、ほ、ほんとに、分かんねぇけど間違って、別におまえが思ってるような意味で書いたんじゃないし、手が勝手に動いてたんだよ!誤解だ、マジでホンット違うから、――わ!」

強く抱きしめると顔を埋めた首筋からほのかにシトラスの芳香が舞う。
宍戸さんの言っていることが嘘でも本当でもどっちでも構わない。
このノートの表紙が事実だ。

「やばい…、すげえうれしい…」
「…いや、だから…、」

宍戸さん。呼びかけてキスをすると、宍戸さんは抵抗する余裕もないのか赤い顔のまま目を白黒させていた。

「…なんでこうなったのか話してくれる?」

顔をほころばせて囁くと、プライドが高く照れ屋な宍戸さんも観念したように肩の力が抜け、とうとう事実を受け入れることにしたようだった。
諦めた顔が可愛くてまたキスしようとしたところで、眠たげな声に現実へと引き戻された。
いつのまにかいびきが消えている。

「絶景かな、絶景かな」
「!?!」
「!!」

ジロー先輩が半目でにやりと笑い、ベットから俺達を見下ろしている。

「あれ?お別れのチューしねえの?じゃあ俺しちゃおう」
「…え?」
「ジ、ジロー…?」

言うが早いかジロー先輩はふらふらとベットから降り、ハラハラしている俺の頬にブチュッと口づける。

「うわぁ!」

そしてすぐに宍戸さんの頬を両手で掴み、まるで噛みつくように唇を奪った。

「んぐ…!?」
「ちょ…!ジローせんぱ――」

い、と言ったと同時、宍戸さんに鉄拳(俺も機嫌の悪い宍戸さんにキスとかしようとして何度も食らった経験がある。これは本当に痛い)をお見舞いされ、ジロー先輩の暴動は止まった。
そして、また寝た。

「はぁ、はぁ……な、なんだこいつ……」
「…ジロー先輩…」
「Zzz...Zzz...」
「…」
「…」


その1分後、忍足先輩と向日先輩がお別れの挨拶にやってきた。
そのまたさらに10分後、引越しのトラックが到着したのだった。
別れ際に手を握ることも抱きしめることもできないまま、宍戸さんはキス事件の記憶のない様子のジロー先輩とともに寮を去って行った。
もう、これでしばらくは会えない。
のに。

「なんか…想像してた今日と全然違ったな…」

しんみりした空気を感じる暇もなかった。
寂しくないからいいことかもしれないけれど。


部屋へ戻っても、がら空きの空間にやっぱりまだ寂しさは湧いてこない。
それよりもどうしてか幸せな気持ちになる。
未来に何か誓いたいくらいだ。
そうだな。まず、宍戸さんに追いつけるように、テニスはもちろん頑張り続ける。
それから勉強も頑張ろう。ずっと先の将来も宍戸さんのそばにいられるように。自分を磨くために。

宍戸さん。
宍戸 亮さん。
俺のルームメイトだった人。
365日、一緒に暮らした人。
世界でいちばん好きな人。
彼と過ごした最後の1か月しかこの日記を書けなかったけれど、とても素敵な人だってことは1か月分でも分かるよね。
いつか。もしこんな当たり前のことを忘れそうになってる自分がいたら、この日記を見せてやりたい。
ずっと大切に思っていて欲しい。
中学生の俺が見つけた、宍戸亮という人を。




あ、鳳。

鳳 亮さん、でしたね。






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