ミ★1st Anniversary! | ナノ
閉園時間 8


まだ蒸し暑さも残る、夏の終わり。
今月分も無事バイトの給料が入った8月の最終週。
帰宅してみると、長太郎はまだ帰っていなかった。

俺は大学1年からコンビニでバイトをしているが、長太郎も同居生活とともにバイトを始めた。
なんでも父親の友人の娘が氷帝の中等部受験だとかで、ぜひ大学部の先輩である長太郎に、ということらしい。

そっちはまぁ、はっきり言って楽だと思うんだけど、7月から他に短期のバイトも増やしたんだよな。
夏の間だけオープンテラスを開放するレストランの臨時ホールスタッフをしているらしい。曖昧なのは、ちょっとお高い店なもんだから食べに行ったこともなくて、実際働いてるところなんてみたことないもんで。
アルバイトなんてろくにしたことないくせに、結構ハードなシフトを入れられて毎日遅くに帰ってくる。
翌朝もくたくたなのか爆睡していて、最近、朝も夜も一緒に飯を食っていない。し、一緒に寝てない。

そういえば。
最後にやったのいつだっけ、なんて考え始めてカレンダーをめくったところで、俺は我に返った。

……いやいやいや。
何考えてんだ。
そんなのどうでもいいだろが。

帰りに寄ったコンビニのビニール袋も手に下げたままだ。つい習慣になって買っている料理雑誌をそれから取り出すと、テーブルにばさりと放った。

「ん?」

その時、何かが視界に入って、俺はもう一度テーブルを見た。
見慣れない本が料理雑誌の下敷きになっている。

「……温泉、ガイドブック?」

誰か旅行にでも行くのか?って、この部屋にはあいつと俺しかいない。
……なんであるんだ……?

「おかえりー宍戸さん」
「わっ!」
「わっ、びっくりした。なんですか、もう」
「こっちのセリフだっての!おまえ、帰ってたのか…」
「うん。今日バイト休みだから。地獄の10連勤、やっと終わりました」

そう言って振り向いた長太郎につられてベランダを見ると、狭い物干し竿に長太郎のバイト先の白と黒の制服が夕陽を浴びてなびいていた。

「……あれ?8連勤じゃなかったか」

ふと湧いた疑問を投げかけると、長太郎は「はい」と答えて冷蔵庫から麦茶を取り出した。食器棚からグラスを二つ、片手で掴んで戻ってくる。

「人足りないからお願いって頼まれて」
苦笑いで答える長太郎。
どうりで最近会ってないわけだ。

「お人好しめ」

頭をくしゃっと撫でると長太郎は注いでいたお茶をこぼしそうになった。
でも文句は言われない。くすぐったそうに微笑まれるだけ。

「宍戸さん。ゆっくり顔見られるの、久しぶりだね…」

差し出されたグラスを受け取ると、俺達は手を重ねたままキスをした。
そうやって長太郎の顔が急に近づいてきても、春にはあった抵抗感や気恥ずかしさはどこにもなかった。俗な言い方をすれば慣れたということだろう。
少し硬い銀色の髪も、俺よりちょっとぽったりした唇も、大きな手のひらもその先にのびる長い指も。
すべてが俺の一部になっていた。

「今だけだし。9月には辞めるから」
「…そっか。じゃあ、頑張れよ」
「はい」

長太郎はグラスから唇を離すとまた微笑む。
俺からもう一度したキスは冷たくて気持ち良かった。

「…宍戸さん」
「ん?」
「来月って、宍戸さんの誕生日じゃないすか。29日」
「え?ああ、本当だ」

まだ8月なんだから気が付かなくたって普通なのに、長太郎はくすりと笑ってテーブルに手をのばした。
料理雑誌の下から、もう一冊の雑誌が現れる。
さっきの温泉ガイドだ。

「……一緒に、どこか行きません?」

照れ臭そうに、風情ある旅館の表紙を向けられて、俺は呆気にとられたまましばらく固まってしまった。
バイトを増やしたのはこれの資金繰りのためだったこと。
何か月も前から俺の誕生日のことを考えていたこいつのアホさ加減。
すべて気がついて、呆れてしまったのだ。

「行くに決まってんだろ」

でもそれ以上にうれしかった。
思えば、二人で遠出を計画するのはこれが初めてだったから。




場所は、雰囲気も良くて宿泊代も納得のいく小さな温泉旅館。
バイトで忙しそうな長太郎の代わりに、予約や細かい準備なんかは俺も動いた。

受付をしてくれたのは優しそうな声の女将さん。
卒業旅行のシーズンでもないし、男同士でなんの旅行かと問われたらどう答えようか。

そんな俺の懸念も知らずに、旅行前夜「楽しみ過ぎて眠れない」と言う長太郎は遠足前の小学生みたいだった。
どっちが誕生日だか分からないな。
でも、9月29日がおまえにとっても記念日になってるってことなら、名目なんてどうでもいいのかもしれない。
俺も、長太郎の一部になっていってるんだな。




けれど道は少しずつ離れているはず。
俺は中学生の頃に気付いた事実を忘れてはいない。

いつどこで離れなければならなくなるのか、それは分からないし、もし奇跡が続くのなら死ぬまでそんなことは起きないのかもしれない。
でも、常にそんな恐怖と隣り合わせなのは耐えられるものではない。
どんなに長太郎に愛していると囁かれても、俺は心の奥底で孤独を感じた。

この頃に分離できないくらい溶け合えてしまえたら、どんなによかっただろう。
長太郎に蝕まれていくのは望んだことだった。けれど一部にしかなれないのは、こんなにも心許ない。
苦しくて苦しくて、それでも手を伸ばした場所だったけれど。
けれど、いつか終わる。

そこがあるのはやっぱり奇跡だった。
知っていたのに、俺はなんにも分かってなかった。



9月29日。

予感は、現実へ。

俺は大切なものも、そうでないものも、すべてに関する記憶を失った。


最初の記憶は赤い色の海だった。




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