ミ★1st Anniversary! | ナノ
閉園時間 4


最近増えた、皮膚がピリピリ痺れるようなこの重たい空気。
長太郎は不意に態度の悪くなる俺に対し、近頃は不満を隠すことがなくなった。
普段のほがらかな雰囲気が嘘のように、眉間にしわを寄せて無口になる。そんな長太郎は少し怖い。そうやって、だんだん俺に嫌気がさして、遠く離れていく前触れのようで。

好きなのに伝えられなくて。優しくできなくて。傍にいるのが辛い。
どうしてこんなふうになってしまったんだろう。

毎日、毎日、矛盾の繰り返しから抜け出せないまま、今日まで。


……明日、も?




「宍戸さん」

長太郎の難しそうな顔は少しの沈黙の後もとどおりになる。
宍戸さん。やさしく名前を呼んで、いつも最後は長太郎が折れてくれた。

「宍戸さん、俺、」

今日もまた優しく呼んで、険悪な雰囲気をうやむやにしてくれるんだろう。

「また、俺、音楽のことばっかり、」


“またおれおんがくのことばかりはなしてつまらなかったですよねごめんなさい”

ほっとする一方、罪悪感でいっぱいになる台詞。
わけのわからないことに我慢を続けて、このままじゃ長太郎が辛くなっていくだけだ。
それも本当は分かっていた。分かっていたのに、今日までなにもできなかった。

ごめん。ごめん長太郎、ごめん。俺が悪かった。いつもいつも、俺が悪かったんだ。

ごめん。

「宍戸、さん?」
「……め……長、太郎……ごめん……っ…」

いつのまにか、気持ちは声になっていた。
自分がどうしたいのかなんて定まっていない。けれど、もう心が限界だった。
隠してきた言葉がぽつり、ぽつりとこぼれ落ちていく。

「おまえに、八つ当たりばっかりして。本当は、優しくしたいと思ってるんだ。でも、俺、頭おかしくて。大事なのに、大事にしたいのに、正反対のことしかできなくて、俺」

熱くなってきた瞼を隠すように腕で覆うと、息をとめた。

言ってしまった。

長太郎はきっと俺の言葉に違和感を感じているだろう。
このまま、好きだと伝えなくちゃならない。好きな気持ちを隠すのも、長太郎が次第に傍を離れていくのも、俺はもう耐えられない。
嫌悪を向けられたらと思うと怖くてたまらない。けれど、俺には最初から耐え続けるかすべてを伝えて終わりにするか、そのどちらかしか選択肢はなかった。

そのとき、俺の耳元で、ギシ、と床の軋む音がした。
人の、長太郎の動く気配がして、伸びてきた両手が顔を覆う腕を無理やり引き剥がす。

「な…」

驚いて目を開けると、信じられないくらい近くに長太郎の顔があって、降りてきた唇が俺の唇と重なった。
生温い他人の温度が伝わってくる。
一瞬だったのか、長い時間そうしていたのか、よくわからない。
呆然としている間に長太郎は離れていき、俺の腕を掴んだまま上から俺を見下ろした。

「俺、言ったじゃないですか。煩わしいなんて思ってないって」


“俺は煩わしいなんて思ってない”

それは、楽器に言ったんじゃないのか?


「煩わしいのは俺です。宍戸さんがクラシック好きじゃないのなんて分かっててその話をしてる。こういう意味で、めちゃくちゃ下心あって、宍戸さんをここへ連れてきてる。自分勝手で、ずるくて最低なのは、俺なんです」
「長太郎…」
「好き……です。宍戸さんを好きなんだ、俺」

胸から絞り出すようにそう呟くと、長太郎はそのまま俺の首筋に顔を隠してしまった。

「好き。…ずっと好きだった…」

耳元で柔らかい、でも掠れた声がする。その響きに身体の力が抜けていく。
俺はようやく止めていた息を吐きだすことを思い出した。

「宍戸さん、クラシックなんて興味ないのに黙って俺の話聞いてくれるし、音楽鑑賞会じゃ居眠りしてたのに、俺の弾くピアノはいつもちゃんと聴いてくれた。気まぐれでも特別優しくしてくれた」

だから、好きだって言えなくても幸せだった。
長太郎の手がゆっくりとほどける。首筋から顔を上げると、長太郎は切なそうに瞳を潤ませていた。
長い指が俺の短い髪を優しく撫でる。

「なのに、宍戸さんが急によそよそしい態度になって、反省したんです。やっぱりここへきても楽しくなかったよなって。だから俺、本当は……ここへ来るのは今日で最後にしようって決めてたんです」



『今日で最後』

『毎日、毎日、矛盾の繰り返しから抜け出せないまま、今日まで』



「……それなのに、宍戸さんが………俺を、大事だって言うから………」

長太郎は自分のセーターの袖口で俺の唇を拭った。

「すみませんでした」

優しく髪を撫でていた手が離れていく。


―――離れていく手を、俺は掴みあげた。



「大事だって言った…!」



学校にいるということも忘れて大声で叫んだ。

「言った、俺」

長太郎が、俺の真上で困ったような顔をしている。
よく考えれば音楽室は防音設備が整っているからいくら騒音をだしても平気だったが、動揺しっぱなしだった俺は叫んだ内容に途端に恥ずかしくなり「好きだ」と続けられなくなった。


「だ、大事だって……言った……っ」

今日で最後。そんなの嫌に決まってる。
それなのに言葉が出てこない。
俺は意を決して、長太郎の首に抱きついた。

「宍戸さ…」
「言ったよ、俺。俺は」

先輩なんて嫌だ。
もっといろんなおまえがみたいんだ。
もっと一緒にいたいんだ。

ずっとそんなことばかり思ってた。

「俺には、長太郎より大事な奴なんて、いねえよ」

ずっと心の奥に留めていたもの。
開放した途端、胸が苦しくなった。

「宍戸さん…っ」

長太郎がうれしそうに俺を呼ぶから。
強く強く抱きしめるから。

涙がでるほど愛しかった。



許されない、隠していかなければならない恋。
それでもやっとスタートラインを切ったんだ。

もう絶対諦めない。
何があっても手放さない。

俺はずっと長太郎の傍にいる。


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