ミ★1st Anniversary! | ナノ
閉園時間 2


「それ、何?」

静かな放課後の音楽室。
奥の楽器倉庫から戻ってきた長太郎は黒いケースを嬉しそうに抱えていた。
そしてそのまま俺の質問に答えることなく、床に胡坐をかき、ケースのカバーを開く。

「聞いてんのか」
「待ってください」

シロフォンやヴィブラフォンの下に付いているような長短のある管を煙突のように組立てると、続いてもう一方の小さい蓋を開けた。中には、狭く一列に鍵盤が並んでいる。
俺は長太郎の横にしゃがんでそれを覗きこんだ。
まるで、小さいピアノみたいな楽器だ。

「可愛いでしょう?『チェレスタ』って言うんですよ」

人差し指が不思議な高音を弾いた。ひとつ、またひとつと、次第に成長していく音の粒。

「……あ」

これは知っている。何かの映画で聞いたことがある。
確か、魔法使いの少年の白梟が闇夜を舞うときに流れる曲だ。

「それから…ボレロ。くるみ割り人形。惑星……っと、こんなもんかなぁ。マイナーな楽器なんですけど、耳に覚えのある音だと思います。どう?」
「……ちゃっちい。オモチャみたいだ」

無愛想な俺の答えにも長太郎はにっこり頷いて、再び鍵盤に視線を落とす。

「そうですね、なんだか玩具に見えます。でも音がね、きらきら眩しくて、ツンとしてるけど、どこか柔らかな響きで……可愛いんです。独特なのに安っぽくないんですよ。俺、好きです」
「ふうん…」

新たに『こんぺいとうの踊り』を弾きながら、長太郎は頼んでもいないのに解説を始める。

「同様の構造をした楽器で、鍵盤付きグロッケンシュピールと呼ばれる楽器もあります。モーツァルトの『魔笛』などで使用されていますね。それはきらびやかな音で、チェレスタはより柔らかい音色がします。似てるからって代用すると、曲がおかしくなっちゃうんですよ」
「…へえー」


わかんねっつの。

俺は心の中で不貞腐れる。
また始まった…。長太郎は音楽の話になるといつもこうだ。それだけしか見えなくなってしまう。
俺が興味を失くしているのにも気づかないで、延々と音楽の講義をする。
もう慣れたけどさ。うっとりした目で話し続けるもんだから、俺は時折求められる同意にもいつだって「うん」と素直な相槌を打ってやった。…どうせ聞いちゃいないだろうから、適当な相槌で十分。
つーか、ただのテニス部の先輩でクラシックなんざさっぱりの俺に、他にどうしろっていうんだ。


「音域は、ピアノの中央ハから上へ4オクターブ。音が高すぎて楽譜からおたまじゃくしが飛び出ちゃうので、移調楽器として記譜されるくらい高い音が出るんですよ。…ああ、そうだ。昔、ある作曲家が間違ってチェレスタを5オクターブある楽器と勘違いして使用したことから“5オクターブのチェレスタ”なんて但し書きされたスコアも存在してね、その曲に合わせて5オクターブまたは5オクターブ半のものも生まれ……」

この先もまだ長いだろう。
俺は伸びをしたついでにそのまま後ろへ倒れ込み、頭の後ろで腕枕をした。
俺の経験上だが、おそらくこのチェーなんとかはマニアックな楽器だからそんな話も広がらないはず。ピアノの講義に比べりゃマシだろう。
最後まで邪魔しないで聞いてやるか。
……なんて、俺も健気だよな。
我ながら感心する。

「……と、まぁ、ちょっと複雑なんですけど。……どうです?」
「え?ああ、うん」
「おもしろい楽器でしょ?それに、宍戸さんが言うみたいに、小さくて玩具みたいで、可愛い」
「…うん」
「家にはないからたまにこうして会いに来るんですけど。宍戸さんに見せたの、初めてですよね」


指先がやさしく鍵盤を打つ。
楽器に命を吹き込むその横顔は、幸福そうな笑みが広がっていた。


どうやら長太郎は毎日稽古している2つの楽器とは別にこのチープな楽器がお気に入りらしい。
でも俺にはその良さがまったく分からない。長太郎の熱の入った講義を聞いてもだ。
それでも最後まで付き合ってやっている。クラシックに疎いくせに、俺もバカだけど。
話して聞かせようとするこいつも相当バカだよな。
知らない話をそんな楽しそうにされても、俺は困るってのに。

「あー宍戸さん、あくびした」
「わり」

困る、というか。
楽器に触れる長太郎を見るたび、どこか少し戸惑っている自分がいるのに気付いていた。

「だって天気も良いし。長太郎の話は小難しいし」
「……クラシックも分かったら楽しいのに……」

そうかもしれない。
でもそんな日、一生来ねぇんじゃねーかな。

そう思ったけど、拗ねて唇を尖らせる長太郎にブサイク、と笑ってやっただけだった。

「なぁ、長太郎」
「…なんですか」
「俺だってさ、おまえのピアノがイイ音してんのは分かってるつもりだぜ。週一で聞くのも悪くねぇくらい、さ」
「……宍戸さん……」


誰かが言っていた。あたたかく繊細で、水のような柔軟性と深みのある音色だと。

部活のない水曜日。
誰もいない音楽室。

その心地良い響きを、いつまで聴いていられるんだろう。
その優しい笑顔を、いつまで見ていられるんだろう。





中学を卒業して2度目の夏も、そろそろ涼しくなってきた。

ここまであっという間だった。
高校生活は毎日がめまぐるしくて楽しい。
今年はまた長太郎とダブルスを再開できたし、ますます充実した日々を過ごしている。

でも、中学を卒業したあたりからお互いの知らない世界が増えていった。長太郎がこんなにピアノを好きだと知ったのもこの春のことだ。
きっと、これからもその世界が縮まることはない。
長太郎が気付いているのかどうかは知らないけれど、俺はあるときそれに気付いてしまった。

あるとき。
長太郎のことが大事で大事で仕方ないって、好きだって思ったとき。
そのとき、未来へのびる仄暗い道程も少し視えてしまった。

これからもゆっくりと、けれど確実に広がっていく俺とおまえの距離。
その亀裂と一緒に胸の奥もちくりと痛んだ。

でも、気付かないふりをし続けた。


これでいいんだ、これが正しいんだ。


こうしていれば、いつか忘れられる日が来るから。
だから否定を叫ぶもう一人の自分から必死に目を背けた。


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