雨の始まり 愛する人 一 なぁ長太郎、俺は最近思うんだ。 こんな真冬のど田舎でそんなにお前を駆り立てるものはなんなんだ。 もうすぐ出逢って季節が一回りする。 確かに最初の出逢いはいいものだとは言えなかった。 でもあの雨の中で俺を助けてくれなかったら、今の俺達は無かっただろう。 幸せだよ、今の俺はとてつもなく幸せだ。 けどたまに前しか見てないお前にものすごく不安になる時があるんだ。 長太郎は俺と一緒にこの土地に骨を埋める覚悟があるのか…。 雨の始まり 愛する人 一 「おい、亮よ!そんなとこで座ってないでちったぁ手伝えってんだよ」 「岳人…、文句言うんなら長太郎に言ってくれ。俺は腰が痛くて今日は動くの億劫なんだ…」 「あ…っそ…」 稲作が主流の宍戸村には冬には暇な農民が沢山いる。 そして変わった農民も沢山いた。 春先ここに鳳が居付いてからというもの、最初は興味本意で付き合っていた鳳や亮に今では腕まくりしてこの男夫婦の新居建て付けに自ら名乗り出て手伝っているのである。 そんな部落のみんなと鳳が今日もはよから亮の目の前で、あぁでもないこうでもないと新居について言い合いながら作業している。 昨日は亮も手伝った。 ただ今日はいけない、昨晩の行いが腰にきた。 鳳のどこにそんな体力が残っているのか、毎日新居を建てるのに奔走していて疲れているはずなのに、三日も連続で身体を求められれば最後には亮にだって支障が出る。 「お盛んだな…」 「言ってくれるなよ…」 そのまま向日は牛の世話に行ってしまった。 この部落に新居を構えるということは、この土地で一生を過ごすということだ。 亮は帰る場所なんかない。 江戸の街にも未練はない。 そして意外に農作物を育てることの楽しさを知ってしまった。 つまり亮を受け入れてくれたこの部落を出ていく理由がない。 しかし鳳はどうだろう。 剣の腕前は幕府も惜しむ強さ、両親共に亡くなってはいるが向こうには誰も住んでいない鳳の屋敷が存在する。 跡部が後ろ盾になっているならば、あの花札の一件での鳳の不治の病という偽りも消し去ってくれるだろう。 そしてもう一度役をもらえるかもしれない。 長太郎は武士だから…。 俺とは違うから。 鳳があまりにも過去の件を引きずっている素振りも見せず、また未練も微塵も感じさせないのが亮には却って不安の材料になった。 今更鳳と顔を突き合わせて問いつめることは宍戸には出来ない。 毎日笑顔で汗を掻き掻き作業している鳳を見ながらどうしてそんなことが言えよう。 ここにもう少しで二人の新居が建つ。 後戻りは出来ない。 「亮さーん!」 少し向こうから鳳が笑顔で手を振りながら近付いてくる。 後ろに見える人達も腰を下ろしているところを見ると休憩なんだろう。 そういや日が高くなっている。 いつの間にか昼飯の時か。 「握り飯向こうにも持っていったか?」 「はい、皆さん頂いてますよ。…それより…その…大丈夫ですか?身体の方は…」 亮は埃だらけで裸足に草履の鳳の足を見下ろしていた。 真冬の作業はこんなところにも影響がでる。 親指や小指に皹が入っていて固くなり踵の辺りは赤切れが出来ていて汚れた皮膚からぱっくり顔を出した赤身が痛々しい。 歩くたびに控えめな痛みが走るだろうに鳳は亮の身体の心配をする。 「心配すんだったら控えてくれよ…。嫌いじゃねぇが身体がもたねぇ…」 「すみません…」 亮の隣に腰を下ろした鳳に握り飯を手渡してやる。 海苔なんて高級なものがついてない真っ白な塩むすびを大口で頬張る。 そんな鳳の姿を眺めながら亮は遠まわしに確認の言葉を口にした。 「長太郎はさ…、ここが好きか?」 「何れすか、いきなり…」 口に入っている握り飯が邪魔してうまく話せない鳳の口元についている米粒を取ってやりながら、亮はもう一度言葉にする。 「この土地が好きか?」 「好きですよ!皆さんいい方ばかりですし、私の血筋はここからきてますしね」 「…そうか。わかった」 何度か頷くと亮も握り飯を頬張った。 鳳は亮の真意を図りかねて手の指に残った米粒を舐め取りながら無言で亮を見ていた。 「亮さん?」 「来週慈郎さんの命日に一緒に墓参りするって言ってただろ。あれ俺一人で行かせてもらうことにする」 「えっ!私も行きます!行かせてください」 「いや、いろいろ慈郎さんと話したいんだ。長太郎は新居の作業やっといてくれ」 「でも…」 「お願いだ、長太郎」 もっと理由を詰め寄られたら鳳のその足の傷を言い訳にしようと考えていた。 本意はもっと別なところにあるのだが、今は言えない。 しっかり慈郎の墓参りを済ませてから鳳に言いたいと亮は思っている。 「…わかりました。行ってらっしゃい」 「ありがとな」 慈郎の墓のある場所まで片道二日。 久し振りの長旅になる。 前 次 Text | Top |