雨の始まり 愛する人 四 芥川家の墓の前には綺麗な花など気の利いたものは飾られておらず、線香の煙とともに置いてある牡丹餅。 昨日の小料理屋の親仁がお供えとして作ってくれたものである。 「よかった…、慈郎さんの命日に長太郎への気持ちも新たにお参りできた。……そ、それにしても頭痛い…」 「あんなに飲むからですよ…。このまま出立するんですか?今日は無理なんじゃ…」 昨夜はあれからしこたま飲み明かし、先客が間借りしているという小料理屋の二階で寒さの中雑魚寝となった。 泊まる所を探すのに苦労しなかったのは良かったが、普段あまり飲み慣れてない亮は記憶を失う寸前まで泥酔して今日を迎えた。 そして午前中のうちに墓参りして旅立とうという計画が、起きたらお天道様は真上に差し掛かりすっかり寝過ごしていた。 しかも酷い二日酔いだ。 「…すまないが、もう一日厄介になる…」 「どうぞ、お好きなように」 「あぁ…、慈郎さんに笑われているだろうな…いてて…」 あの屈託なく笑う慈郎さんの笑顔を思い出しながら、慈郎さんといえば亡くなった一年前の今日のあの惨劇を思い出していた頃を考えると、随分と気持ちに余裕が出来ていることを実感する。 それは長太郎と過ごした時間が俺の記憶を癒していったからに他ならず、やはり長太郎と一緒になってよかったと再確認できた。 「さて、親仁さんが薬湯を用意してくれているはずです。明日発つのでしたらそれを飲んで今日はゆっくり休んだ方がいい」 「…おう」 一日遅れの村への到着は長太郎を心配させるだろうなぁ…、と思いながら亮は痛む頭を抱え小料理屋に戻っていった。 二日後、亮が宍戸村に到着したのは太陽が山へ傾く手前だった。 すでに家々に灯りが点り始めていて、やっと着いたと亮は鳳に会いたい衝動を抑えきれず、旅の疲れも何処吹く風で自然と足早になった。 自分達の造りかけの新居が見えてきた時、何だかその新居の前が騒がしい。 村人数人が誰かを取り押さえているようだ。 「放してください!一日遅れてるんですよ。亮さんに何かあってからでは遅いんです!!」 「だからって今から行ったらお前まで野垂れ死ぬぞ!」 「お前までって…、亮さんは生きてます!!縁起でもない!」 「…何やってんだ…」 「………りょ、亮さん!!」 村人に掴まれていた腕を無理に引き剥がし鳳は少し離れた亮まで全速力で駆け寄った。 そのまま体当たりで亮を抱き締めると亮は堪え切れずに後ろに尻餅を付いてしまった。 「帰ってくる日より…遅れたから…何かあったのかと思って、良かったぁ…亮さんが帰って、来た…」 亮の肩口に顔を埋めてぎゅうぎゅうと締め付けてくる鳳の背にゆっくり亮は手を回し落ち着かせるように上下に撫でる。 肩に湿った感触があるのは多分鳳の瞳から溢れ出ているものが原因だろう。 鳳を止めに入っていた村人たちはそんな二人を見てほっとしたのか呆れたのか去っていった。 「ただ今、長太郎…」 「お、お、お帰り、なさい…」 久し振りの長太郎の温もり。 久し振りの長太郎の匂い。 絶対手放したくない。 簡単なことだったんだ。 俺の帰還日が一日遅れただけでこんなにも動揺する長太郎も、長太郎が江戸に未練があるんじゃないかって不安で堪らなかった俺も、要は相手の事を想うからこそ相手の動向が気になり振り回されるんだ。 あの先客が言っていたように、そんな俺たちは物凄く幸せなのかもしれない。 「長太郎はこの土地が好きか?」 「前にも同じこと言われたような…、勿論好きですよ」 「じゃあ俺のことは好きか?」 「あ、当たり前じゃないですか!」 「うん、ありがとな…俺もだよ」 一番伝えたかった鳳への想いを吐き出して安心したのか、亮は瞳を閉じて鳳の温もりをより感じるようにその身体にしがみついた。 これから村人に支えられながら、この土地で長太郎と二人で幸せになります。 もう迷いなんてありません。 長太郎を信じ続けます。 だから許してください。 髪に霜を置くころになったら彼方の命日を忘れてしまうかもしれません。 でもそれは幸せに暮らしている証ですので、どうかその時は慈郎さんの太陽のような笑顔で俺たちを許してやってください。 終 前 次 Text | Top |