4.5時間目の僕ら 2 屋上は本当に静かになった。 けれど深夜のように無音ではなく、遠くから生徒の声がしたり、姿のない飛行機のエンジン音が雲の彼方から届いたりする。 そして、すぐそばで白河夜船の少年がかすかに呼吸を繰り返す音。 それらがかえって忍足に静寂を感じさせた。 ……別に二人きりになるつもりはなかったんだけれど。 夏に向かって温度を上げる陽光は暖かく、過ごしやすく、二人だけとなった屋上は広々として開放的だ。 「……ジーロー……」 見上げれば青い空に白い雲。 ふと視線を下ろすと金の癖っ毛が風にそよいでいる。 どれも爽やかで、どれも清々しい。 きれいだ。 「………」 自分の発した声の余韻が途切れ、雲が数センチ進むのを待っても返事はない。 弁当を片づけると、忍足は少しだけジローに近づいた。 音をたてないようにすぐそばのフェンスによしかかり、飲みかけのペットボトルを横に置く。 とりあえず本でも読もうか、そう思ったときだった。 「なに読んでんの」 驚いて振り返ると、仰向けに寝そべっていたジローがいつのまにか地面に片肘だけ頬杖をつき、こちらをじぃっと見つめていた。 「起きてたんか」 「今起きた」 のそのそと四つん這いで近づいてきたジローは、胡坐をかく忍足の膝をまっすぐに伸ばし、きちんと揃えた。 「寝こけてるジローのこと教室送らんとあかんから待ってたんやで」 なにやらされていると思いながらも、ジローの行動に一々理由など探していたらきりがないので無視をする。 「ふうん」 「ふうん、て」 ジローは眠そうな目をしたまま、行儀良く揃えた忍足の腿に頭を乗せた。 俺は枕か。 「飯は?」 「……食った。ジローもはよ食べ。あ、これ食うか?」 忍足は残した弁当を差し出す。 ジローも今度ばかりは眠たそうにしていた目を丸くする。 「ウッソ」 「嘘やないわ」 「くれんの?食べていいの?俺、一応、ポッキー持って来たんだけど」 ジローがズボンのポケットから取り出したその箱は押し潰されて凹んでいる。 「そんなもん、すぐ腹鳴るやろ」 「そうだよね。そうだけどさ。でも、ちょっと勿体なくて弁当食えないかも」 「アホ。残したモンだしそない珍しい中身でもないわ。普通の卵焼きに普通の……って、なになに!?」 「うれしい」 突然しがみついて腹にぎゅっと顔を埋めてきたジローに驚き、忍足は誤って手から本を落とした。 それはジローの上に落ちなくて一瞬安心したが、忍足の膝を見事に強打した。 「いった……角がっ」 悶えていることにジローは気付きもせず、幸せそうにすり寄ってくる。 「食べて寝る。そんで本読んでる忍足と一緒にサボりながらまた寝る」 忍足はじんじんする膝をさすりながら切り返した。 「……待て。誰がサボる言うた……しておまえ寝過ぎや」 「じゃあ電車で読む本持って来んなよ。カン違いするじゃん」 都合のいいことばかり言うジローに嫌気がさして、忍足は少しだけ声を強める。 「アホ言いなや。付き合っとれん」 腹からジローを引きはがして、でも膝には乗せたまま、忍足は拗ねたように本を読み始めた。 ジローは膝に寝そべったまま真顔で言った。 「かわいくねえ。けど、いい」 「なんやそれ」 その時、昼休み終了の予鈴が響いた。 チャイムに導かれ、次第にグラウンドから届いていた人の気配が途絶える。 屋上はいっそう静かになっていく。 「忍足はさ」 ジローはうんと伸びをして起き上がった。 「本当はすごい喜んだり悲しんだり、感情的。俺とおんなじくらいさ。でも、俺より気遣えるし、細かいし、周り見えるからそんなんなんだよね」 忍足の弁当を広げて、ジローは「いただきます」と手を合わせた。 褒めているのか貶しているのか、むしろただ事実を述べているだけのようなジローに、忍足は本から視線を逸らすことができなかった。 「責めてんのか」 「まだ途中。アドバイスしてんの。なんか気ぃ詰まってない?無理してない?ていうか、今日元気なくない?」 このように心の奥を詮索されるのは好きじゃない。 でも、朝練習も寝坊して、授業中も別クラスで接触がなく、今日初めて話すジローにすぐ浮かない気分を見破られたことが忍足の口をわずかに緩めた。 「…………少、し……」 「じゃ、もう悩むな。気楽に行こうぜ。アドバイス終わり」 「は?」 ちょっと素直になってみたのに、ジローの返事はなんとも淡白だった。 忍足は肩透かしを食らう。 「気楽て。……無理や。俺はジローみたいになれん」 「もうすでに無理してんだから、忍足に無理なことなんてねえよ」 人の気も知らないでもぐもぐと食べながら話すジローが、忍足は面白くない。 不満を隠すことなく、声を低くした。 「あるわ」 「ねえよ」 「ある」 「ねえって」 「ある」 「ねえ」 「あーる」 「じゃあキスしねえ?」 「はあっ!?」 突拍子もない発言に驚いて本から顔を上げると、ジローはいたずらをやってのけた子供のような顔をして忍足を見ていた。 「ウソ。本気にすんじゃねーよ」 「るっさいわ。脈絡ないこと突然言うなやアホ」 怒るとジローはけらけらと大笑いする。 そんなにおもしろい反応をしたのか。 怒ったのがそんなに楽しいのか。 ああ、違う。違う。 ジローの行動に一々理由など探していたらきりがないのだった。 「あーあ、俺ってやさしー!」 「………」 ジローは完全に覚醒したようで、その飛び回る思考回路についてはいけない。 ぶすくれた忍足をフォローすることもなく、おいしい、素晴らしいと叫びながら弁当を食べる。 今日は朝から浮かない気分だった。 小難しい理由はない。あると言えばあるのだが、どれも慢性的に溜まっていたもので今さら忍足にはうまく解消する方法が見つからない。 自分のことは自分が一番分かっている。 こんなに晴れた空とも、楽しそうな仲間達とも無関係な暗い気分。 今日はもう、この沈んだ気持ちと付き合うしかないと諦めていた。 それなのに。 それなのに、こんなにも簡単に、すっきりと回復してしまっている。 「ごちそうさま」 そう言ってジローが箸を置いたとき、授業開始を知らせる本鈴が場違いに大きく鳴り響いた。 「ジロー」 スピーカーが近いのだろうか、騒音に混ざりそうに小さく呼んだのに、ジローは聞き逃さなかった。 「ん?」 「俺、本読むから寝てもええで」 本当は優しい笑顔でもできそうなくらい穏やかな気分だったけれど、つい澄ましたような態度をしてしまった。 気付かれたわけではないが少し恥ずかしい。 「もう遅せーよ」 「え?」 「聞こえねぇの?チャイム鳴ってっし」 それにさ、こんな気持ちいい空の下じゃあ寝るしかねぇんだよ。 そう笑ったジローの口の端についた海苔を見て、忍足はもう取り繕った顔などしていられなかった。 End. (Thank you for 11000hit!!) 前 次 Text | Top |