◇中学生*高校生 | ナノ



その火はまだ華には頼りなくて

夏休み最後の日の夕方、宍戸さんからメールが届いた。

――今ヒマ?近所の公園で会わねぇか。

課題もすべて終わり、何もすることがなく終わっていくはずだった、夏休み残りの数時間。
俺は指定された公園へと急いだ。

(ラケット持って来いって言われなかったな。何するんだろう?)

明日から学校が始まると思うと、面倒な気持ちは大きいけれど楽しみでもある。
夏休みを振り返り、感慨深くもある。
宍戸さんは高校3年生で……一緒に過ごす夏休みは、これで最後。
なんでこんなに時間が無いんだろう。
勉強する教室も帰る家も俺達はもちろん別々だ。俺はそのことをつい最近まで気にも留めていなかった。ふと気になり始めた頃も、ただ気の合う先輩といるのが楽しくて、時間を惜しんでしまうだけだと考えたし、事実そうだった。
ところが、あるときから部活以外に費やす時間がすっかり物足りなくなってしまった。
部活の時間は驚くくらい早く時が過ぎていく。時折、なぜだか胸が熱くなって、泣きたいような痛みがやってきた。
そんな時に見ている光景は不思議と鮮明に記憶された。どれも何気ない日常だ。
テニスコートから眺める青空や、ベンチに並んだ二人分のペットボトル。それから、宍戸さんの姿――真剣なまなざしや、額に汗を浮かべた笑顔。
何十回、何百回と繰り返し見た光景だ。それなのに、すべて俺にとっては、どれも同じ瞬間には映らなかった。

この気持ちは何なのだろう。
同じような思いを抱いている人は、世界にどれだけいるのだろう。

眠れない夜はよくそんなことを思った。




「長太郎。こっち」

小さな公園に入っていくと、隅にあるベンチから声がした。外灯にぼんやり照らされて、そこに宍戸さんが座っている。

「お待たせしました」
「別に。つーか俺がいきなり呼んじまったしな。悪ィ」
「いえ、俺も暇してましたよ。…でも、突然どうしたんですか」
「どうもしねーよ。おまえと同じ」
「…そうですか」

帽子を後ろ向きに被って、相手コートを鋭く見つめる宍戸さんは、今いない。
それでも同じだった。縛りつけられたように目が離せない。
知らない仕草や表情が、まだあったんだ。
映像が隅々まで脳に刻み込まれていく。
俺にとって宍戸さんは、テニスを抜きにしても変わらず大事な人だけど、どうしてだろう。
穏やかだった心は徐々に波を立てていく。胸が痛くて、苦しくて。
宍戸さんに会えてうれしいのに。楽しいのに。すぐ傍にいると思うと指先が震えそうになる。話し掛けようと、笑いかけようとすると、耳の奥でキーンと不快な音がする。

「長太郎?」
「…あっ。はい」

我に返ると、怪訝な顔で宍戸さんがこちらを見ている。俺は慌てて笑顔を作り、なんでもないようにしてみせた。

「これやんねぇ?」
「花火、ですか?」
「おう。こないだジロー達とした時の残りモン。線香花火しかねぇけど」
「ふふ。いいですね」

宍戸さんはポケットから取り出した線香花火を俺に渡して、ライターに火を点けた。

「先に落とした方が負けな」

その場にしゃがみ込み、二人で一つの灯に依った紙を近づける。すぐさま赤い火は移り、やがて細かな火花を散らしはじめた。

「…きれいですね」

見入ってしまうと物の大小がわからなくなってくる。宇宙に生じる爆発や、川岸に咲く赤い花を想像して、ふと喋ることも忘れてしまった。
そうしていると心が楽になる。

「長太郎、こういうの好きだろ」

柔らかく弧を描く黒い瞳に、朱色が燃えている。
こんな宍戸さんは初めて見た。
また、胸が痛んだ。

「…宍戸さんは?」
「ロケット花火だな」
「また趣味分かれちゃった」
「な」
「でも宍戸さんらしいですね。可愛いです」

ジロー先輩達と大騒ぎしながらやるんだろうな。火傷しないか心配だ。
想像して笑っていると、闇からひどく低い声がした。

「……可愛い?」
「え…」
「可愛いって、なんだ」
「……あ」

年下の男に可愛いなんて言われてうれしいはずがない。
なんでそんなこと言ったんだ、俺。

「あ、えっと…なん、でしょうか?」
「はぁ?」

どうして宍戸さんをそんなふうに捉えてしまったんだ?
謝ろうと思ったのに、瞳を見つめれば、やっぱり宍戸さんは可愛いなんて考え直してしまう。他の言葉が出てこない。

「俺は線香花火なんつーちっさいの好きな奴の方がそうだと思うけど?」
「……」

線香花火は形を変え、弾けては消えていく。火の粉はちりちりと音を立て、電球のようにまるく垂れた。

「えっと、か、可愛いって…いうのは…」
「いうのは?」

そもそも言った瞬間何も考えていないんだから、理由なんてあるはずない。そんなに睨まれたって何も出てきやしない。

「えっと、」
「…」

宍戸さんが愛らしい、というのとはちょっと違う気がする。
でも普段怖い先輩が友達と花火ではしゃぐなんて、意外な感じがして……可愛い?ほほえましい?
可愛いって、なんだろう。

「……」

目の前にある少し怒った顔にもそう思ってしまう。可愛くない。ほほえましくない。

「長太郎、なんか言えや」

睨みが一層鋭くなる。

「……」

また可愛いなんて言ったら怒られる。
どうしよう。
俺は宍戸さんの目を見つめたまま、瞬きも止まってしまった。宍戸さんも俺をキッと睨み据えてきていたけれど、待てなくなったのかすぐにため息を吐いた。

「…長太郎、それ落ちたら絶対なんか言えよ」
「えっ」

声を出した瞬間、火花は首ごと落下した。

「あー…」

立ち込める硝煙の匂い。
まだ宍戸さんの花火はパチパチと音を立てている。

「はは」

宍戸さんはにやりと口角を上げる。

「すぐ動揺するんだな」

ずるいとも言えずに、俺は困って口をつぐんだ。
動揺ならさっきから、いや、もうずっと前からしているけれど、なんて言えない。

「おまえは俺をなんだと思ってんの?」

自分の気持ちが理解できなくて。でも止まらなくて。気がつくと大きくなり過ぎていて。
もう、限界だ。俺は隠すことをやめにした。

「……一歳、違うだけなのに」
「え?」
「無理だと分かってても思うんです。宍戸さんと、離れたくない。そのくらい好きな人を尊敬して…可愛いと思ったって自然なことじゃないですか?年上だからそうじゃないってことはないでしょう?だから……言ってしまいました」
「…」

宍戸さんの小さな花火はだんだん勢いを失って、土の上にポタリと落ちた。でも宍戸さんは花火を持ったまま俺を見上げて硬直している。
やっぱり言わなければよかった。ちょっと強引でめちゃくちゃな理由だったかもしれない。気が動転しはじめて、俺は宍戸さんから顔を逸らしてしまった。
沈黙がずっしり肩にのしかかってきた頃、宍戸さんがやっと口を開く。

「おまえさ。……男に可愛いはなくね?」

やっぱり、変、だよな。

「そうですね……すみません」
「でも、」
「?」
「離れたくないっていうのはサンキュ。……まぁ、うん、俺もたまに思うしさ」

宍戸さんは小さな声でそう言い、手からようやく燃え尽きた線香花火を離し、後ろにあるベンチに座った。
外灯に照らされた顔は、怒っていなかった。

「引退したって、大学でも組む約束だろ?それ以外だって別に会いたきゃ会えばいい。……てか、会おうな?ブランク作っちゃまずいだろ」
「…はい」

宍戸さんにそう言ってもらえただけでひどく安心してしまう。
実際、不安の大きさは変わらないのだけど、うまく言えないけど、それを包み込むような安心感を与えられたんだ。

「よし」

まだ胸にひっかかるものがある気がする。でも、いい子いい子と慰めるように頭を撫でる宍戸さんを、それ以上困らせる真似はできなかった。
それに今夜はきっとよく眠れる。
俺は胸のつかえを無視して笑顔を作った。

「宍戸さん、また犬扱いしてるでしょう」
「おー、黙って撫でられとけ。花火取って長太郎」
「…はい」


そのあと。
宍戸さんは笑った俺に「単純で可愛いヤツ」とこぼしてしまい、反撃されることとなる。




End.





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