先輩が僕にキスをした ジロー先輩に、キスされた。 「チュウしちゃったあ〜〜!!」 「………」 「………」 予告なしに奪われた唇。 一瞬呆気にとられたけど、すぐに切り返した。 「ちょ、ジロー先輩!いきなりなんですか!?」 男の先輩にキスされたのは衝撃だった。 それに普通に恥ずかしいよ。 顔に熱が集中していくのが自分でも分かる。 された方がこれなのに、した方が平気で笑ってるのってどういうこと? ジロー先輩って掴めない人だ……。 「なんかムラムラしちゃってさぁ」 「なんスか……それ」 「長太郎、”てきおーのうりょく”あるじゃん」 「はい?」 「宍戸なんてビックリして固まったまんまだし」 「あ」 そう。 さっきの「………」のひとつは宍戸さん。 こんな時間まで正レギュラー専用の部室に残っていたのは居残り練習を一緒にしていた宍戸さんと俺と、みんなが帰っても一人ソファで爆睡していたジロー先輩だけだった。 俺と宍戸さんはぽつぽつ会話しながら着替えをしていて、物音にようやく目が覚めたジロー先輩は半覚醒状態なのか無言でボーっとしたままだった。 そんな静かな中で突然、ジロー先輩が俺にキスしたのだ。 宍戸さんだって確実にそれを見たのだろう。 それにしても。 そんなびっくりされると、なんか。 ジロー先輩だってふざけただけなのに、そんな真顔になられると、さぁ。 宍戸さんて、男同士のこういうのとか毛嫌いしてるのかなぁ、とか思ったり。 俺はあんまりそういうの気にしない方かも。 ていうかその前に俺、被害者なのに。 そんなに引かれると悲しいです。 「し、宍戸さん?」 「――……っあ、わ、悪い。すまねぇ」 ようやく思考が動き出した宍戸さんはとっさに謝った。 「なんで謝るの?変な亮ちゃーん」 「あ、そっか。……だよな」 ジロー先輩はふざけている時や甘えている時などは、宍戸さんのことを「亮ちゃん」と呼ぶ。同じように跡部部長のことも下の名前で呼んだりする。 三人は幼なじみだからジロー先輩もこのように時々昔の呼び方になるんだろう。 なんかそういうのって、仲良い感じがしていいな。 「そんなに動揺しなくてもこれ以上しないよ」 「これ以上ってジロー先輩。やめて下さい」 俺が少し青くなって言うとジロー先輩はけらけら笑っていたが、ふいにハッとして大声を上げた。 「あー!もしかして亮ちゃん、俺とキスしたかったの!?」 宍戸さんはその発言を受けて一気に脱力したようだった。 突拍子も無いジロー先輩の閃きに慣れてるんだろうな。 「アホっ。んなわきゃねーだろ、バーカ」 ジロー先輩は再びハッとして(今回は真剣な顔つきで)言った。 「……てことは……そうゆうこと?」 「は?」 「どういうこと、ですか」 俺と宍戸さんは深刻な表情の天才ボレーヤーを覗き込んだ。 すると突然、ジロー先輩が上を向いた。 「ちょーたろにチュウしてぇんだろ!?」 すごくキラキラした目が金髪に負けないくらい輝いた。 「はぁ?」 「なっ!!ババババカ言ってんじゃねぇよ!!!」 「だってそれしかないじゃんか〜」 ……ジロー先輩のいたずら好きにはさすがに困った。 きっと、最初から宍戸さんをからかいたくて俺にキスしたんだろう。 宍戸さんはこういう手の話に疎くて、ちょっとしたことでも反応してしまうから。 「クソ野郎!ジロー、てめ……だー!もう!!バカじゃねーの!!?」 「宍戸くん、落ち着いてぇん」 ジロー先輩は楽しそうに身体をくねらせた。 ヒドイかもしれないけど、こういう時の宍戸さん見てるのって、なんていうかその……ちょっと楽しい。 「うるせぇ!テメーがバカなこと言うからだな――」 「あ〜ハイハイ。俺がバカだったよぉ。ごめんね?でもさでもさ、………長太郎のくちびる、気持ち良かったよ?」 ジロー先輩が自分の唇にそっと指で触れてぼそりと言った。 「………!」 怒りが沸騰したのか、宍戸さんは顔がどんどん赤くなってきている。 「ジロー先輩、何言ってるんですか……」 「なんかむにむにしてやぁらかかったよ」 「………!!」 わざと照れたように言うのも計算なんだろうか。 「宍戸さんがまた逆上しますよー」 「吸いつくようなって、まさにこのコト?」 そろそろ止めないとまずいかな、なんて思っていると、宍戸さんは押し殺した声で静かに言い放った。 「………いい加減にしろよ……」 やばい。 これはマジギレだ。 なのにジロー先輩はそんな宍戸さんに気付きもしないで笑ってるだけ。 俺は慌てて二人の間に割って入った。 「あー、はいはい!もう帰りましょうねーッ。この話はお終いですよ!ほら、ジロー先輩もさっさと着替えましょう!」 「はぁーい」 「………」 ジロー先輩はおもちゃを取り上げられた子供のように拗ねた口ぶりで、宍戸さんは凄まじい冷気を発しながら無言で着替え始めた。 一番ひどい思いしてるの、俺なのになぁ。 * 三人での帰り道、ジロー先輩はいつもと変わらない態度で、宍戸さんもそんなハイテンションのジロー先輩に毒気を抜かれたのか徐々に機嫌を直してきていた。 「ほいじゃね!おふたりさん☆」 「おつかれさまでした」 「またな、あほジロー」 「うっせぇよ、また明日な!」 別れる頃にはもうこんな感じに戻っていた。 すごい。 さっきはあんなに険悪な雰囲気だったのにもう普段通りだ。 また二人の幼なじみっぷりを見せつけられてしまった。 羨ましい、なんて思った。 俺と宍戸さんはどうやっても先輩と後輩だから。 なんだか寂しい気持ちになって俺はぽつりと呟いた。 「俺、宍戸さんにならキスされてみたいかも」「……ハァ!?」 別にキスしたからってもっと仲良くなれるとはもちろん思ってない。 むしろ罰ゲームものだろう。 でもさっきの様子だと宍戸さんはこんなこと言ったらきっと焦って慌てて、困った顔するだろうなと想像がついた。 今こんなもやもやした気持ちなのは、うーん、やっぱり。 やきもち……妬いてるんだよね。 俺だって宍戸さんのダブルスパートナーだし、氷帝のゴールデンペアで最高の絆だし、自分でいうのもなんだけど宍戸さんに一番可愛がって貰ってる後輩だし。 とにかくもそんな気持ちを解消したくて、身勝手だし的外れなのは分かってるけれど、宍戸さんの困った顔が見たいなんて思ってしまった。 「だって、こうしたら――」 俺は立ち止まって、隣にいる宍戸さんをひょいと引き寄せて腕の中に収めた。 「おわっ」 うん。後でどやされるのは覚悟してる。 それでもこうしてみたい衝動にわけもなく駆られてしまった。 続けて、やさしく宍戸さんの顎をつまみあげ、上を向かせた。 俺が俯けば(宍戸さんには失礼だけど)身長差がちょうどいい感じで、今すぐにでもキスできそうだった。 俺はこのシチュエーションが思った通りすごくいい距離感だったことと、宍戸さんの身体がすっぽりと俺の腕に収まったことがなんだか嬉しくなって、唖然とする帽子の先輩に笑いかけた。 「ほら、ね?それにジロー先輩よりは胸が高鳴る気がしますよー。あはは、なんでだろ」 それはきっと、心地よい間隔が俺達の間にあったから。 それに俺は宍戸さんが大好きだ。 宍戸さんに触られるのも好きだ。髪を撫でられたり肩を組んだりとか、宍戸さんの手は気持ちいい。 そんなスキンシップの延長みたいなもんだよ、これだって。 さっき部室でジロー先輩にキスされた時はうんと屈んで、さらにぐいと引っ張られて無理やりなキスだった。突然なのもあったけど態勢も苦しかった。そして触れた唇も確かに柔らかかったけど、ジロー先輩のように気持ちいいとまでは思えなかった。 あれは宍戸さんをからかうための発言だと思うけど。 俺は宍戸さんの唇がどんなのかなんて知らないけど、今目の前にあるそれは何故だかとても魅力的に映った。 それに宍戸さんは俺の胸に両手を添えたまま見上げた顔を硬直させていたが、耳から首まで真っ赤にしていて、年上の男の人に対して思うことじゃないだろうけど、それがすごく扇情的で。 考えに耽っていると、宍戸さんがぐいと胸を押して俺の拘束を解いて離れた。 まだ耳から首まで真っ赤にしたままで、それを少しでも隠そうとしたのかうなじに手をやって顔を背けた。 「……冗談にしちゃ……笑えねんだよ」 「えへへ。すいません」 いつものように、宍戸さんが悪態吐いて、俺が笑って、また帰り道を歩きだした。 誰もいない住宅街の外れにある道は、陽も落ちて薄紫色の空気に包まれていた。 俺は宍戸さんと明日の練習メニューについて話し合いながら、くだらないことかもしれないけど、どうしても気にかかったことをぼんやり考え始めていた。 …………何でかなぁ?宍戸さん、怒らなかったな。 それになんか、反応が……可愛い。 いや待てよ。宍戸さんて…… いつも可愛いじゃないか。 End. 前 次 Text | Top |