月兎 「十五夜…」 午前0時過ぎのこと。 クローゼットの奥から引っ張り出してきた来客用の敷布団で熟睡中と思われた人は、ふと小さく呟いた。 「……宍戸さん…?起きてたんですか…」 少し喉が乾燥している。思ったより掠れて響いた声に沈黙が大きくなる。 振り返ってみると、宍戸さんと目が合う。 「今夜は十五夜だったんだな。すっかり忘れてた」 「んー…とくに祝う行事でもないですからね…」 また窓の方を向いて横になり、目を瞑る。 暗闇に響く優しい声を聞きながら再び夢の中へ。 「…でもさあ。長太郎が食ってた学食のデザートがさ、月見団子だったじゃん。星型の寒天もついてた。うまかった」 ところが、他愛無い呟きは終わらない。 「ああ、あれ」 「そうだ。なぁ、月見。お月見しようぜ」 「…今から?」 「うん」 「えっと…それはつまり、」 これから外へ行こうという意味ですよね。尋ねようとした寸前、宍戸さんは布団から起き上がり俺のベットへ乗り上げた。 「さみ」 「おわ」 「そっち寄れ」 「あ、はい」 「晴れてっかなあ」 宍戸さんが俺を跨ぎ、窓側のスペースに仰向けになる。 そのまま腕をのばすと遮光カーテンが開かれた。 「おお。きれいじゃん」 「…ですね」 ぽっかり浮かぶ、きいろい月。 腕に伝わる好きな人の体温。 恋人の突然の行動に寝惚けた頭が追いつかない。 少し震えるタンクトップの肩にふと気づいて撫でると、パシリと手を掴まれた。 「寒そう」 「楽だから寝やすいんだよ」 「ふうん。…でも、やっぱり寒そう」 「……じゃ、もっとくっつけよ。さみい」 手は宍戸さんの胸のあたりに捕えられてしまった。俺の腕は宍戸さんの二の腕と脇に挟まれて、俺は宍戸さんを抱きしめて。最初から俺のベットで寝れば良かった。こうやって、二人で温め合えるから。 俺はシャツを着ていたけれど、部屋の空気は確かに冷たい。お風呂を出てぽかぽかしていた時はその冷たさが心地よかったのに。宍戸さんの身体が、自分よりも冷たく感じる。 「もっと早くに窓閉めれば良かったですね」 「ちょっと前まで夜中窓開けてても平気だったのにな」 「ね。もうすっかり秋」 「九月だもんなぁ…」 ぼやく宍戸さんの、その短い黒髪に頬を寄せる。 冷たい髪の毛は相変わらず柔らかい。ワックスもなにもついていないから、余計にそう感じるのかもしれない。 「くすぐってえ。頭くんくんしてるだろ」 「ばれた」 「犬みてえ」 そう言ってくすくす笑う宍戸さんを、俺は少しきつく抱きしめた。 「ワンワンって鳴いてみろよ」 「…もお。やめて下さいよ。忍足先輩とかにも散々言われてるんですから」 「おお、確かに今夜の月は忍足の眼鏡みてえだなぁ」 「犬の話逸らした…」 「十五夜って満月だっけ。あれって満月かな、長太郎」 「え。まんまるに見えますけど…、十六夜(いざよい)が少し欠けてるんじゃなかった?」 「十三夜は?」 「ええ?…んー。分かんないです。……地学で先生が話してたような気がするけど…忘れちゃいました」 「月食って見たことあるか?」 「……宍戸さん、眠たいの?」 「なんでそうなるんだよ」 「…いえ、なんとなく…」 宍戸さんは俺を少し睨んだ後、再び窓の方を向いてしまう。 もう他愛ない会話はお終いなんだろうか。 寝るのかな。 目を閉じ、向けられた背中を包み込むように抱きしめると、少しだけこちらへ寄り添ってくれた。 「ねえ宍戸さん。起きてる?」 「…月、見てる」 「俺…。宍戸さんがあんまりくっついてくるから、ちょっと…あの…」 「なに?」 耳の淵にキス。冷えた肩にも、キスを。 暗闇に溶けている黒い髪から知っているシャンプーの匂いがした。 「目が覚めちゃった。……から、えっちしたいなぁと思ってるのですが」 「……」 あたたかい背中はぴくりともしない。 もう一度同じことを呟くと、宍戸さんは不意に寝返りを打った。 目が鋭い。 「でも、明日は早朝からテニスデートなんですよね」 「デートとか言うなっつの」 「できなくなってもいい?」 「…だめって言ったら?」 「なんでもしてあげるからお願いって言って、キスしてしゃべれなくしてみます」 「んだよそれ」 暗くて表情ははっきりわからない。 けど、笑う口調がほんのちょっと熱っぽい。 俺は気付かないフリをして、シーツに冷えた身体を縫いつけると少し強引に口づけた。 End. 前 次 Text | Top |