平穏の終わり テストは下から数えた方が早いけれど、別段悩むほどでもない。 女子から少し怖がられるけれど、クラスメイトから良くも悪くも飛び抜けるものもない。 どこにでもいるような、平均的な人間。 「表の通りにでるまで。誰も見てないですよ」 小首を傾げて「ね?」なんて――彼女に笑顔を向けられたなら、俺だって遠慮がちに握りしめられた手を払いのけようなんてしない。 「怒んないでください。急にしてごめんなさい、宍戸さん。……ちょっとだけ、ダメですか?」 甘えたような、どこか憂いたような表情が夕焼けに染まる。 (…なんでこう、好きな奴ってのは何をやっても絵になるんだろう) 咎めようとした声を飲み込んだ自分。 嫌気がさす。 一応周りを確認する自分。 なにもかもに嫌気がさす。 「…なんだ、急に」 誰かに見られたらと思うと怖い。けど、手を解くことも悲しませるんじゃないかと思うとできない。 俺はふと、もどかしいってこういう感じだろうかと考えた。 「理由なんてないです」 微笑まれ真っ直ぐに見つめられると頬のあたりが熱くなる。 もしやこれが熱視線。違うか。分からねえや。 一度焦ればもう終わり。 支離滅裂になっていく思考は止められない。 「イヤですか?」 常に頭がぐるぐる動いている感覚。 ものすごく疲れる。 でも。 「イヤとかじゃない」 そりゃ、好きだけど。 俺の頭を悩ませる原因が、一つある。 「俺たちだけですよ」 長太郎は微笑んだ。 長太郎―――俺の恋人の名前。 一人称「俺」。身長は俺より10センチ以上高い。試してみたことはないけれど、力もおそらく敵わないだろう。……と言うと剛健な奴に聞こえるだろうが、気が利くし優しいし、甘え上手なところがなかなか可愛い性格だったりする。他の誰より安らぎと幸福を感じて、すべて奪いあいたいと願う相手だった。 けれど愛した人は立派に同性、男だった。 「愛情表現は毎日欠かしちゃいけません」 「開き直るんじゃねえよ」 自分が選んだこととはいえ、同性の恋人ができたなんてとんだ非常事態だ。 こうなって一週間が過ぎたが、秘密を抱えながら平凡なフリをするというのはとても大変なことだった。どこにでもいるような平均的な人間とは何なのか、今はもうその感覚すらも思い出せない。 テストの点数や、教室で会話したクラスメイトのこと。 そっちの方が嘘のように思えてしまう。 昼ドラなんかによく見かける、同僚と不倫するサラリーマンに共感できそうだ。 俺は誰とも浮気なんかしていないけど、誰にも秘密な関係というのはうんざりするほど面倒くさい。 面倒くさいけど、鮮烈な時間になる。 「最近一緒にいられなかったから…寂しかったです」 「甘えるな」 「新発売のポッキー盗み食いしたこと、ジロー先輩に言っちゃおうかな」 「脅すな」 「じゃあ、あそこの曲がり角まで」 ね?宍戸さん。 一応張ってみた虚勢。 長太郎は後輩らしい態度を、二人きりの時は少しだけ恋人の様にできる。 俺はまだ、二十四時間、先輩のまま。 「……誰か来たら離せよな」 手に力を込めれば、大好きですと囁かれる。 その瞬間から、平穏な日常より失い難い時間が始まるんだ。 (あの曲がり角まで、誰も邪魔するなよ) こんなに思っているのにな。 俺の口は閉じたまま。 ああ、うんざりするほど面倒くさい。 けれど愛しい鮮烈な時間。 End. 前 次 Text | Top |