イチゴオレ 水が飲みたい。 たった一言を口にするのも面倒だと思ってしまうほど、宍戸はぐったり疲れていた。 目覚めても動けないでいると、背後で疲労の原因である長太郎がそっとベットから下りようとする気配がした。そろそろと衣服を身に付けて、静かにうーん、と身体を伸ばしているみたいな声がする。まだ宍戸が寝ていると思っているのだろう。 まだ眠くて頭がぼーっとしていたし、指先を動かすのも億劫なほど疲れきっている。 宍戸はまだベットから離れがたく思い、また目を閉じて、勝手に気遣いする後輩を放っておくことにした。 すると不意に長太郎がこちらへ近づいて、布団を宍戸の肩まで被せ直す。そして、また音を立てないようにそろそろと部屋を出て行く。 小さくドアの閉まる音がして目を開けた。身体の向きをゆっくり反転させ、背を丸めて毛布にうずくまる。長太郎の出て行ったドアを見つめて、そして目を閉じた。 もし長太郎の親でも帰ってきたら、部活の先輩が息子のベットで裸状態は危険だと思う。 けれど、まだこのままでいたい。だるい。動きたくない。 …なんだか最近、危機感が薄れてきてるかもしれない。 やばいよな。明日から気を付けよう。 自問自答していると扉の開く音がして、宍戸は現実へと引き戻された。 「あ。おはよう、宍戸さん」 「…いま夕方?」 「うん。はい、これ」 長太郎はベットの前に座りながら適当な相槌を打つ。 これ、と言われて見上げると、目の前にストローの刺さった紙パックのジュースが差し出されている。帰りがけにコンビニで長太郎が購入していたものだ。 「イチゴオレ…」 「ぬるくなっちゃってますけど、のど、乾いてません?」 目もと、口もとがきれいに弧を描き、微笑まれる。 イチゴオレはともかく、それは優しさや特別な愛情を感じる顔だった。 それはいいんだけど。 「長太郎。さっき、下降りてったよな?」 「あ…はい、トイレに。起こしちゃいましたね。すみません」 ああ、長太郎はやさしいな。俺がぐっすり眠ってて気持ち良さそうだから、起こさないようにしてくれたんだな。まぁ、起きてたけど。 でも俺は、口の中をすっきりさせたい。のどの渇きを潤したい。 それを実現できる、冷たい水道水というものが階下にはあったと思うんだけど。 「イチゴオレ、か」 朝食にかつ丼を出された気分だ。 急に話の飛んだ宍戸に、長太郎は不思議そうな表情をしていたが、イチゴオレ、と言われてまた笑顔になる。ますますストローを口もとに近づけてくる。 「はい。疲れた時は甘いものですよね」 ぬるい上に甘くてくどいやつとは。 今さらながら互いの思考と嗜好の違いに溜め息が出る。 「なるほどな」 宍戸は不満に思いながらも、結局は自分の口に差し出されたストローの先端を吸った。長太郎は紙パックを持ったまま、手元でのどを潤し始めた宍戸を嬉しそうに観察してくる。 「これ、なかなか美味しいですよね」 「いや不味い。激マズ」 「え〜っ。今ごくごく飲んでたじゃないですか」 「俺、甘いの好きじゃねえし。でものど渇いてた」 「…そういうことですか…」 長太郎はしょんぼりしている。 クソ不味いよ、こんな時にイチゴオレなんか。でも「水飲みたい」って言ったら、長太郎は部屋を出て行くんだろ?じゃあ、イチゴオレでいいやって思ったんだ。 本心をさらけ出さなくとも、いつのまにか機嫌を直したのか他に興味が移ったのか、長太郎は宍戸の髪の毛を弄り始める。 指先が心地良い。 話をする長太郎の頭頂部にツンと飛び出た寝癖を眺めて、宍戸は起きたら引っ張ってやろうと考えた。 End. 前 次 Text | Top |