シグナルレッド 2 正直なところ、少し流されかけている。 日もとっぷり暮れ、人通りのない部室棟。 その片隅の部室に二人きり。 すっかり警戒が解けてしまった。 だがここはいつ誰の目に触れるかも分からない危うい場所。 誰にも秘密の恋人を感じたいなんて少しでも考えてしまった自分はどうかしている 。 理性はそう訴えてくるのに、それと真逆のものが胸の奥でずきずき疼く。 盾となり鎧となるのはもう普段の「先輩として」の自分だけ。 宍戸は鳳を制するようにきつく睨み上げた。 振り向いて見上げた鳳は、意外に落ち着いた様子だった。――いや、放心している と言った方が正しいような、間の抜けた表情をしている。 「困る、って…」 途切れた声でそう呟き、鳳は宍戸に目を見張る。 さっきまで誘う声も触れる手も少し強引だったのに。 なんだ、その反応は。 「困るってことは、その…」 再び宍戸のセリフを繰り返した後、鳳は肩にくたりともたれてきた。訳が分からない。 そのとき、腕の力がすっかり抜けた。宍戸は隙を突いて抜け出そうと試みるが、鳳はそれより一歩早く宍戸の身体を抱きしめた。 「ちょっ…痛えよ、馬鹿力」 「困るってことは、拒否しないんですね」 「……は…?」 宍戸は、頬を赤く染めてはにかむ鳳に一瞬抵抗を忘れた。 普段から噛み合わないことが多い後輩だが、今の喜びに満ちた彼の様子はまったく理解不能だ。意に沿えないと言っているのに、なぜ嬉しげにすり寄ってくるんだろうか。 宍戸が動きを止めていると、鳳はえへへと笑い、生意気にも先輩の頭を撫でてくる。 「んん、やめろ。鬱陶しいな」 相変わらず身体はぎゅうぎゅう抱き締められたままで、宍戸は頭をぶるぶる振って鳳の手を払う。 「またまたぁ」 「………ぁあ?」 だらりと緩んだ目が腹立たしい。 殴る気はなくとも思わず右の拳に力が籠る。 「宍戸さんが欲しいなぁって俺は言ってるのに」 「何が言いてぇんだ」 はっきりしない鳳にだんだん怒りが募っていく。 それでも短気な宍戸に慣れっこの鳳は暢気に笑いながら一言ひとこと区切って話した。 「宍戸さんが欲しいなぁって俺は言ってるんですよ」 「困るっつってんだろ」 「…そうですか。困っちゃうんだ」 「けっ、俺があっさりOKするとでも思ったのか?」 「いえ、思いませんでしたよ。だから驚いたんです」 「え?」 「だって、そう言われて“拒めない”から、宍戸さんは“困る”ってことでしょ?つまりあっさりOKとはいかないけれど、イエスかノーかと言われたらイエスってことだ」 「――なっ、ちが、…違、」 違わなかった。 肝心なところでハッタリもかませず宍戸は言葉を止めてしまう。 それが肯定になるとすぐに気付いて慌てるが、もう遅い。 薄闇の中、本心を暴かれてみるみる身体の熱くなっていく宍戸が楽しいのか、鳳は唇を噛んで喜びを堪えている。 「こんなとこでしたいなんて…宍戸さんに夢中すぎてバカな俺だけかと思ってました。…けど宍戸さんって結構俺のこと好きなんですね。うれしいです」 「てめ…自惚れてんじゃねえよ…クソッ!」 「うれしいです」 鳳は自分の推理を確信してまた口元をだらしなく緩めた。 本心を悟られてばつの悪い宍戸は今さら素直になることも出来ず、歯噛みして羞恥と悔しさに耐えるしかない。 どうして先ほどきっぱり嘘をつけなかったのかと後悔ばかりが思考を巡る。 「俺のこと甘やかしすぎ」 「…うるせえ」 分かってんだよ。 もう頭を撫でる手を振り払う気力もない。 「大好き。宍戸さんも?」 「いちいち聞くな」 「好きって言うのそんなに恥ずかしいなら、イエスかノーかでもいいよ?」 「あー好きだ長太郎」 負けず嫌いの宍戸がその妥協案に乗るわけがなかった。 即答した宍戸に鳳は一瞬止まって声を上げて笑い出す。「格好良い、宍戸さん」なんて笑いの合間に漏らしていたが、それに「可愛い」の意味合いが込められていることは鈍感な宍戸にも伝わる。 けれどぐったり疲れてしまった宍戸は怒りすら湧いて来ない。 幸せそうに笑いやがって。 黄昏は空の端。 帰り道には白い星が小さく瞬いてるだろう。 End. 前 次 Text | Top |