シグナルレッド 1 日は次第に暮れてゆき、真昼の熱を残したまま夜はやって来る。 ようやく自主練習を終えた宍戸と鳳はコートを片付け、誰もいないだろう黒いガラス窓の並ぶ部室棟へと戻っていった。 風がそよぐと汗をかいた肌がひんやりと冷たい。秋はまだ遠いけれど、夏の匂いは次第に変化している。 鳳には十分遅いと言われてしまいそうだが、宍戸は早めに上がって良かったなと一人思った。明るいうちに帰れるだろう。例の特訓以来、親が心配症気味で困っている。 だが今日早めに帰っておけばしばらくはうるさくないだろう。 そんな子供っぽい打算的なことを考えていると、部室を煌々と照らしていた蛍光灯の光が不意に消えた。 考えに耽っていた宍戸は驚き、暗闇でびくりと肩を竦ませる。 犯人の笑い声がくすくすと響いた。 「…おーい。なんの真似だよ長太郎」 そういえば先ほどから鳳も静かだった。 こんな悪戯を計画していたのか。 鳳は何も答えず、そろそろと宍戸に近づくとそっと後ろから抱きしめてきた。 耳のすぐそばに呼吸を感じて宍戸は小さく身をよじった。 「帰る支度できねぇだろ」 「少しだけ」 回された腕に力が籠る。触れ合った身体は汗を残したまま熱を孕んでいる。 不満を漏らそうとした声が、つい喉の辺りで蟠ってしまう。 「真っ暗だから。誰も気づかないから。…ね?」 甘い声に唆されて宍戸は早くも観念してしまった。 帰路に向いていた思考はいつのまにか鳳の腕の感触ばかり確認している。 嬉しさと少しの動揺に心音がにわかに速まる。それでも呆れたような溜息を吐く癖が出てしまうところは自分でもひねくれていると思う。 宍戸は重心を後ろに預けると「少しだけだぞ」とやっぱり不満げな声で言った。 素直な了承の代わりにせめて、しばらく鳳の好きにさせてやるのだ。これが宍戸にできる最大限の譲歩。 鳳は「了解しました」と楽しげな返事とともに宍戸の左手に指を絡め、汗の引かない首筋に顔を埋める。 タオルは未使用のまま鞄の中で眠っている。こんな清潔じゃない身体を抱かれるのは正直気乗りしない。けれど、宍戸に気づかれないようこっそり深呼吸をして、さらに強く抱きしめてくる鳳にバカだなとか、恥ずかしい奴だとか、でもこのままこうしててもいいか、なんて思えてしまう。 「まだ、」 「…ん?」 「まだ帰りたくない」 「たまには明るいうちに帰らねえとさ」 「…嫌だな」 駄々をこねると言うより、独り言のように言う鳳が可笑しかった。これでは帰宅を促し宥めすかすのが可哀相になってくる。 「腹減っただろ?」 腹の前で組まれた手をぽんぽんと叩く。 これだけ一緒にいてもまだ足りないなんて。 でも、甘えられるのは悪くない。 「はい。しばらく宍戸さん食べてないから」 「…。アホか。言ってろ」 宍戸はふざけたことを言い出した鳳から同情を捨てると腕を解いた。 突然、何を言い出すんだ。 「宍戸さんてば」 鳳はロッカーを探り始めた宍戸の腰にもう一度腕を絡ませると着替えを妨害してくる。 「冗談よせよ」 「冗談なんかじゃないですよ。本当にお腹空きました」 耳に唇を寄せてくる鳳に、まさか今すぐ腹を満たせと言うのではと宍戸は内心ひやひやした。鳳なら言いかねない。 それに、コートで張りつめていた神経を甘い抱擁に懐柔されてしまった今、そんなことを囁かれては。 「んなこと言われても困る」 前 次 Text | Top |