桜回廊 そんなふうに笑ってみせるなんて酷い人だ。 俺がその笑顔に漠然とした期待を抱いてしまうのを知らないんでしょう。 それでも。 深い意味なんてないと分かっていても。 俺は追いかける足を、立ち止まりそうになる足を、また一歩踏み出してしまう。 あなたの、その笑顔ひとつで。 「きれいに落ちたな」 桜の散った侘しい道を歩く宍戸さんの声が届き、俺は遠くに飛んでいた意識を戻した。 見上げると、昨日まで満開に咲いてたのが嘘のように寂しい枯色の枝が清々しく晴れ渡った空に向かって伸びている。 「今日で良かったですね」 昨日は卒業式が行われた。 跡部先輩たち三年生が、宍戸さんが中等部を卒業した。 「…なんで?」 宍戸さんは不思議そうに俺を見つめる。去年の夏から短いままの黒髪が小さく風にそよいだ。 「なんでって…。自分が卒業する日に桜が満開だった、なんて素敵じゃないですか。心に残りません?」 なんて、一秒前までは思ってもみない言葉がするすると唇からこぼれていく。嫌なのに建前ばかり上手くなる。 本当は桜が一斉に咲き誇っていようが、無残に散って道路の淵にこびりついていようがどうでもよかった。花がどうであろうと卒業式は行われる。宍戸さんは昨日卒業してしまった。 それをどうしたら素敵に思えるのだろう。 「…そうか…」 独り言のように呟くと宍戸さんは地面へ視線を落した。 …釈然としない、声と表情。 どうしたんだろう。今の言葉に納得できないんだろうか。 歌でも小説でもその薄紅色は門出を祝福してくれるものなのに。 もしかすると、宍戸さんにはそうではないのかもしれない。どうしてだろう。 でも、俺と同じだ。そう思うと、宍戸さんにはいつも笑顔でいてほしいと思っているはずなのに、目の前のどこか憂いた顔も悪くはなかった。 「長太郎」 「はい」 宍戸さんは顔を上げた。さきほどの翳りはもうどこかへいってしまったようだった。 「こっち、まだ誰も歩いてないみたいだぜ」 ほら、と言ってうれしそうに少し先を指差す。 公園の一角にある桜並木。続く道は未だ誰の足跡も付かないまま、淡く優しい色が一面に散っていた。 宍戸さんはなにか言いたげに俺を見た。 「きれいですね」 まるで桜色の絨毯を敷いたように、雨に濡れたコンクリートを覆い隠して。 けれど秋の落ち葉とは違って鮮やかなまま落ちてしまう運命の桜は、俺にはどこか哀しく映る。 「なぁ、今日こっち走ろう。明日っからは俺がロードやってる道行くからさ」 ちょっと遠回りだけど、付き合え長太郎。宍戸さんは悪びれた様子もせず、白い歯を見せて笑う。 もう、忘れちゃったのかな。 去年の冬、水たまりにできた氷を踏む俺をガキみたいだって笑ったのは、宍戸さんの方なのに。 けれどそれを口にすることはなく、俺はいつもみたいに「はい」と笑って頷いた。 断る理由なんてない。些細な時間であろうと、少しでも長く一緒にいたいと願っている俺には。 ねぇ、宍戸さん。 一歩先の景色は違いますか? これからはいつものように会えなくなるね。 一年なんて、俺には長いよ。 辛いよ。寂しいよ。泣きたいくらいだよ。 ねぇ、宍戸さん。 一歩先の世界は楽しいですか? 「しばらく離れ離れってやつだけど、まぁ頑張ろうぜ」 「はい」 「俺達のダブルスも高校で完全燃焼だ」 散ってしまった桜がその笑顔を霞ませることはなかった。 「はい、宍戸さん」 明日からは別の道を行くとしても。 この足は、まだ前へ。 一歩先行くこの人に追いつくまで。 前へ、前へ。 End. 鳳→宍と見せかけて鳳→←宍です。 前 次 Text | Top |