愛情補給 今日、長太郎は風邪で学校を休んだ。 熱出てるのに学校へ行こうとしてたらしいんだけど「母親に止められて諦めました」って……真面目なのか、ただのアホなのか。 俺ならラッキーって思って休むけど。テニスの大会前とかじゃなけりゃな。 それでまぁ、長太郎は丸一日ベットで大人しく寝てたみたいなんだ。 学校にいる間、何度かメールをしてそこまで聞いた(って寝てねぇじゃねーか、あいつ) でもメールだけじゃどんな様子なのか分からないし、結局気になって帰りに長太郎の家に寄ることにした。 もし長太郎が寝ていたら手土産だけ置いていこうかと思っていたけど、チャイムを鳴らすとおばさんに「長太郎に聞いてるわ。どうぞ上がって」と言われた。根回しばっちりだなぁ。 さすがに意外と元気なのかと疑い始めたが、部屋のドアを開けると、やっぱり長太郎はベットに寝込んでいた。 苦しいのか分からないけれど、膝を折り曲げてうずくまるように寝込んでいる長太郎。頬も真っ赤で、サイドテーブルに置かれたグラスは外側に汗をかいて空っぽだった。いつも見ない毛布が、一枚増えて被さっている。 「あ、宍戸さん。ホントに来てくれたぁ…」 「よぉ」 咽喉はやられていないのか、弱々しくも普段の長太郎の声がする。 俺はそれに少しホッとしながらベットの傍に腰を下ろした。 「ちょっとは熱下がったか?あ、起きなくていいぞ」 「はい。なんか俺もう元気になってきましたよ、宍戸さんの顔見たら」 「そんなんで治るわけないだろ。だから、起きなくていいって」 俺はタオルの乗っかっている額に手のひらをつき、嬉々として起きあがろうとする長太郎をベットへ押し戻した。 「あいた」 「これくらいで痛いわけあるかよ」 冷たくあしらうと、長太郎は「病人なんですから優しくしてくださいよ〜」と、唇を尖らせた。それは冗談のつもりで言ったんだろうが、俺は長太郎の赤々とした顔を見て真面目に頷いた。 「うん…、すぐ帰るから」 「えっ」 「病人に無理させらんないからさ」 「そんな、嫌です。ゆっくりしてって下さいよ」 長太郎は額のタオルがずり落ちるのも構わずバッと起きあがると、俺の方へ前のめりに叫んだ。熱に潤んだ目は“懇願”というようで、俺は思わず口をつぐんだ。 しかし長太郎はふと突然目を開き、慌てて枕元の何かを掴む。 「長太郎?」 「マ、マスクするの忘れてました!菌が、菌が…」 わたわたとマスクを耳にかける長太郎に、俺はプッと吹き出してしまった。 「おまえ今日落ち着きねえなぁ」 「だって…」 長太郎はマスク越しにくぐもった声で呟く。 せっかく顔見に来たってのに不繊布に半分も隠れてしまっている。 「別に大丈夫だって。外せば?」 「いえ。宍戸さんに移して、辛い思いさせたくないですから!」 力強い目でそう言う長太郎は、枕元に落ちた濡れタオルを額に戻し、薄いブルーのマスクと肌を隙間のないようぴったり付けて、布団も肩までしっかりと被り直していた。 「じゃあ、おまえは今辛いんだな」 「え」 「まぁちょっとくらい看病してやるさ。タオル替えてやるよ」 額に乗ったタオルを勝手に奪い取ると、テーブルに置かれた氷たっぷりの洗面器にざぶりと浸ける。 すると長太郎は大人しくされるがままで「すみません」と言うだけだった。 全体が冷たくなるように、氷水の中、タオルをゆらゆら泳がせる。 その時、ふとした疑問が浮かんだ。 「なんで冷えピタじゃねーの?」 「あぁ…あれ貼ったら赤くなるんです。あっ、今笑ったでしょう?」 「違うって」 「見ましたっ」 「……ごめん」 「やっぱり、ほら。ひどいですよぉ」 「わかったわかった。もう笑わない」 そう言いながらも、長太郎の額に赤く四角い痕が残るのが思い浮かび、口元が緩みそうになる。俺はそれをこっそり堪えてタオルを絞った。 冷たくなったそれをきれいに畳み直すと、まだ少し口を尖らせて拗ねている長太郎の額に乗せる。 そうする間、また長太郎は大人しくなった。いや、むしろなんだか…ワクワクしたような目になっているような気がする。どうせくだらないことを考えているんだろう。 けど今日の長太郎は構っていたらキリがなさそうな気がして、俺は俺で勝手に看病を続けることにする。 銀色の前髪が汗とタオルの水分でしっとり濡れていた。タオルを乗せたあと、それが額に掛からないように指先で梳いてそっとよける。 そうしているうちに、長太郎の表情はすっかり和らいでしまった。 「気持ちいいか?」 「はい。宍戸さんの手も冷たいから」 「そ」 よく考えたら、頭を撫でる(いや、かき回す?)くらいしか長太郎に触ったことがない。 手を繋いだり、キスしたりはあっても、こういう…目的の曖昧なスキンシップは少なかったかもしれない。 でも、俺も長太郎と同じように、こうしているのが心地良く感じた。 そう思うともっと触れてみたくなり、俺は長太郎の前髪を離れて赤くなっている頬にも触れてみた。それでもマスクに顔半分が覆われているので、手の冷たさが伝わっているのかは分からない。 けれど長太郎の目はじっと俺を見て、それを求めてくれているようだった。ただ熱でボーっとしていただけで、カン違いかもしれないけど、俺はやめなかった。 「宍戸さん、今日寂しかった?…俺が、いなくて」 きっと、いつもなら笑って流してしまったかもしれない。けれどこの時の長太郎の視線がすごく必死で、俺もそれに洗脳されたように真剣な気持ちになった。 「…うん。寂しかった。だから会いに来たんだろ」 頬を撫でていた手は、いつのまにか胸元で握られている。 言い終わる前にその手は強く引き寄せられて、キスをした。 タオルの冷気と、長太郎の高めの体温。 それから、布のような、紙のような感触。 「…マスク邪魔ですね…」 「外す?」 にやりと笑って言うと、長太郎は苦悶の表情で「う〜ん」と唸った。 「いえ。…外しません。風邪移しちゃいますから」 「お〜偉いなぁ、長太郎。じゃあもう一回チューしてやるな」 「えっ!いや、ちょっ、それはひど…」 文句に被せるようにキスをすると、長太郎は肩をすくめて動きを止める。 ……面白い。 俺はキスをしながらわざと片耳をなぞって、焦らすようにマスクの紐を解く。 長太郎はそれにますます硬直して、気が済んだ俺はようやく顔を離した。 見ると長太郎の頬は真っ赤になっていた。 「甘やかし過ぎた?」 「…誘惑し過ぎです。もぅ…」 マスクを整え直すと仕返しのように抱きしめられて、そのまましばらく長太郎は手を離さなかった。 一日ぶりにお互いの感覚を確かめ合うと、なんとなく落ち着いてくる。でも長太郎は頬も首筋も胸も熱くて、やっぱりどこか落ち付かない。 不意に回された腕が力強く抱きしめてきて、耳元に熱っぽい声が響く。 「俺、明日は学校行けるように頑張りますね」 「無理すんなよ」 「早く治して、宍戸さんにちゃんとチューしてもらうんです」 「はいはい、治ったらな。……あっ、アイス!」 「アイス?」 「見舞いにさっきコンビニで買って来たんだ。溶けたろうなぁ」 「わぁ、アイス。冷たくていいですね」 悠長にそんなことを言う長太郎から離れ、俺は慌ててコンビニの袋を探った。 アイスを出し、スプーンを探していると、ベットの上からクスクスと笑い声がこぼれてきた。 「何?」 「いえ…タイミングいいなって思って」 「?」 もうアイスも溶けかけているだろうに。 意味が分からなくて首をかしげると、長太郎はにっこり笑って、マスクをつんと指差した。 「ちょうど熱冷ましになるでしょ?」 「…明日学校に来れそうだな、長太郎君」 アイスとスプーンを突き出して、皮肉たっぷりにそう言った。 長太郎はきっとマスクの下でへらへら笑っていたと思う。 End. 前 次 Text | Top |