目が覚めた。そんな感覚はあったが、未だ夢現。

体を動かしてみようと試みる。横に寝返り。成功した。

俯せになる。腕を立てて上体を持ち上げる。膝を立てる。よし。起き上がれた。

目を開く。飛び込んできた色は白。眩しくはない。

「新」

誰かが俺の名前を呼ぶ。
…名前?
そんなものはあっただろうか。

「ここぢゃ、新」

拙く、幼い少女の声が、再度名前を呼ぶ。
声の主を探すため下に視線を向ければ、その姿はあった。

人間離れした青い髪と青い瞳。ふっくらとした頬。裾の長い着物に身を包む、少女。
少女の周りには無数の蝶が飛ぶ。幻想的な、姿。少女をヒトではないと実感させた。
神とでも言うか、妖精とでも言うのか。いずれにせよ頷き納得するだろう。

「妾はお蝶。この世界の支配者にしてそなたらの創造主」

想像とほぼ似たような言葉を、少女――お蝶は言う。

「新、理解出来るか」

問われる。頷く。
別に異論はない。

「さようか。ならば、新。御主が死んだ、という記憶はあるか」

「……。…?!…」

その問いには、目を見開いた。夢から覚めた感覚だった。
慌てて己の両の脚、右肩、そして銃弾を撃ち込まれた胸の中心を、手で探る。手足は、ちゃんと繋がっていた。胸の傷も、消えていた。

「…あ、る」

小さく、震える声で答えた。
ここで漸く、自分が喋れる事に気付いた。

「…ここ、は。死後の世界って事でええ、の?」

問い返してみた。
お蝶は少しだけ眉を寄せ、首を振る。

「違う。…御主が死んだ事には代わりはないが、死後の世界ではない。そして、御主が生きていた世界でもない。ここは、世界を統括する場所ぢゃ」

「世界を、統括…?」

「うむ。…失礼」

お蝶は袖の下から何かを取り出した。この幻想的な空間には中々異質な、赤い色をしたハンマー。叩くとピコッと可愛い音を出すやつだ。お蝶はそれを持ち、頭を下げろと命令する。従えば、頭に向かってハンマーが振り下ろされた。ピコンッと良い音が鳴る。

「ん。…なんやの」

可愛い悪戯かと思えば、ハンマーで叩かれた瞬間、ぶわっと情報が頭に叩き込まれたような感覚が襲った。…なんだコレは。

「御主に妾の補佐を務めて貰おうと思ってるんぢゃ」

お蝶はハンマーを持ちながら言う。補佐?と首を傾げるが、理解している頭があった。

この少女は世界を統括する支配者であり創造主であり、世界そのものである事。そして世界は複数あること。己が生きた世界もその一部でしかないこと。それらを、“記憶”していた。…あのハンマーは謂わば住人に対しての情報入力の手段、といった所だろうか。多分、情報を消去する事も可能だろう。だから今まで理解していなかった事を一瞬で理解出来たのだ。

「どうぢゃ、新。やるかの?」

「……急やなぁ」

渋るが、別に拒否するつもりはなかった。この少女がその気になれば、どんな相手でも忠実な下僕にすることが出来ることも、先程のハンマーで叩き込まれていた。

「まぁ、良い。ゆっくり考えるがよいぞ。時間はあるからの」

お蝶はそう言いながら、周りを飛ぶ蝶の中から、綺麗な橙色をした蝶を指に止まらせた。再びその蝶が指から離れ飛んでいくと、足元の地面に止まり、そして、地面に吸い込まれていくようにその体が溶けていく。気付いた時には、大きな水溜まりがそこに出来ていた。

「…何やこれ」

「これが、御主のいた世界の現状ぢゃ。覗いて見るとよい」

言われた通りに覗き込む。そこには、何処かの街の風景が映っていた。今までいた世界、というわりには、知らない景色だ、そう思っていると、そこに赤毛の少年が映り込む。

「そやつはイービルという」

「…知らんのぅ」

「今、御主が知る者も来る」

お蝶が言うと、背の高い黒髪の男が続いて現れた。少年と似たような服を着ている。何処かの軍隊だろうか。そんなことを、思いながら顔を、見て。その面影に、あ、と、思わず声が漏れた。

「…直人…?」

「そうぢゃ、ナオトぢゃ。今年で24になったぞ」

「俺より、年上やないの…」

口が歪んだ。嬉しくて。眉は情けなく八の字だけど、微笑んだ。良かった、元気そうだ。立派になりやがって。

「こない男前になって…」

良かった、良かった、良かった。そんな想いばかりが溢れて、視界が滲む。そんな歪んだ景色の中で、また、新しく現れた人物の笑顔に、胸が、ギュッと締め付けられた。

「ああ…これ…班長やな?…班長…やんな…?」

「うむ、ブシぢゃ。もうオジサンぢゃぞ」

「ああ…も…。渋いお人になっとるやん……」

唯一、短い人生の中で、大切な人だと言える二人が、笑って今を、生きていた。
足が震えて、立てなくなって、膝を折り、しゃがみこむ。
水溜まりにぽたぽたと、水滴が落ちて。

「よかった…よかっ…た…、ぁ…う…あっ、あぁぁあ…」

崩れ落ちるように、泣いた。
嗚咽が、暫く、止まなかった。
突然、お蝶にふわりと抱き締められ、涙を抑えてお蝶を見る。
お蝶の両目からも、涙が流れていた。

「…すまぬ」

短い謝罪。

「あの場に御主を連れていけなくて…すまぬ」

ぎゅ、とお蝶の小さい手に力が入る。再び水溜まりを見れば、そこは何とも幸せそうな空間で。

「…ええよ」

本心を、告げた。

「あの二人が幸せなら、それでええ…」

「…新」

「おおきに。二人が幸せな事を知れて、良かった…」

それだけで、己が生きた価値はあったのだと、信じられたから。

お蝶はゴシゴシと自分の腕で涙を拭うと、水溜まりを指差した。すると、水溜まりは再び蝶となり、お蝶の指先に止まる。

「新、妾は御主を消すのが惜しい。故に、妾の傍にいてほしい」

「……」

考える、必要もなかった。

頷いて。微笑む。

「よろしゅう、お嬢」





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