novel | ナノ

疲れたおじさん


 
「おじさん、おはよう」


 ちゅ、と、頬にキスされる。
 朝から好きな子の声を聞き、キスされて起きるなんてまるで映画かドラマみたいだ。
 目を開けたもののベッドで少しうだうだして、完全に目が覚めたら顔を洗いに行く。
 鏡に映る顔がひどい。
 昨日まで激務だったせいだろう。ようやくできた半休の日。超過労働が深刻で辛い。夜中二時から会議もざら。おかしいだろう。

 ふらりとキッチンへ行くとウキョウがいた。エプロンをしてまな板を洗っている。
 その姿がとってもかわいく見え、後ろから抱きしめると少ししあわせになった。
 さびついた歯車に油を差したら、歯車はこんな気持ちになるのだろうか。


「……疲れてるね」


 くるりと振り返っておれの目元を撫でる。心配そうな顔をするから、笑いかけて腰を抱いた。


「大丈夫だよ、今だけ。もう少ししたらお休み取れるから、そしたらいっしょに旅行でも行こうかー」
「うん、いく」
「どこがいいか考えといてね」


 作ってくれてあった朝ごはんを食べながら、ウキョウの背中を眺めた。
 Tシャツにハーフパンツ、エプロン。足首の曲線がたまらない。
 小さくため息。
 疲れすぎだ。いやらしい妄想ばかりが浮かんでは消える。

 すべて終わったら思う存分撫で回そう。それがいちばん癒やされる。


「ウキョウ」
「なーに」
「忙しいの終わったら何したい? 旅行は行くとして、他になにかある?」


 手を拭いて向かいの椅子を引いて座る。猫のような目がじぃっと見つめてきた。これはものを言いたい目だ。たぶん。


「あるんだね?」
「……あの」
「うん」
「いっぱい、いちゃいちゃしたい……」
「……うん、わかった……」


 なんだいちゃいちゃって、かわいい。うちの子かわいい。
 恥ずかしそうな顔からむりやり視線を引き剥がし、ご飯を見る。見つめていたら何もかもがどうでもよくなり、休みたくなってしまいそうだったから。

 疲れた身体を引きずって仕事へ行き、帰ってくればかわいい子が迎えてくれる。
 そう思えば、少し頑張れるような気がした。

 ウキョウを拾ったのは冬。
 そして今は夏の始まり。
 確実に時を重ねている。ウキョウに対する愛しさは増す一方。
 ときどき、ここまで思える自分が怖くなるくらいにかわいい。


 支度を終え、玄関に行く。
 後ろをついてきたウキョウの頭を撫で、いってくるね、と言ったら頷いた。
 それから撫でていた手を取り、手首に軽く噛み付いてくる。

 そういえば最近噛み付かれてもいない。
 帰りが遅いから、ソファで寝ているウキョウを起こしベッドに連れて行って一緒に眠る、というのが当たり前になっている。

 どこにも歯型がないのは少し寂しい、と感じるのはおかしいだろうか。

 手首、手の甲、親指、中指と甘噛みしてから解放された。


「行ってらっしゃい、おじさん」


 ウキョウの声に背中を押され、ドアを開けると明るい日差し。
 今日も暑くなりそうだ。


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