おじさん、目覚める
朝までのんきに眠り、目を覚ましたら右京がいなかった。
一瞬散歩にでも行ったかと思ったが、クローゼットを開けてみると右京の荷物が何もなかった。あまり使われていなかったけれど右京の部屋にも何もない。キッチンには、食器さえも。
玄関に探すのを止めるかのように携帯電話と合鍵が重ねて置いてある。
外は雨。
右京が自分の意志で出ていったとして、思い出すのは一緒に住み始めた頃俺が言った「嫌になったら出ていってもいいからね」ということば。右京はここが、俺が、とうとう嫌になったのかもしれない。ひとりぼっちにするわ忙しいわえろいわ、嫌がられる心当たりはありすぎるほど。
と、すれば探す権利はない。
着替えを済ませ、出勤準備をする。右京がいない部屋は静かで冷たい。「おはよう」の声も朝はキッチンにいてくれた薄い身体も、いつも少し困ったような笑顔も。腕時計をしていると目が合うのが好きだった。
玄関で靴を履きながら、息を吐いた。「いってらっしゃい」もない。振り返ると薄暗い廊下とリビングが見えた。天気が悪い。気分もかなり悪いが。
「おや、爽やかさが売りの君にしては凄まじい顔だ」
出勤してすぐ、エレベーターで上司に会った。十里木さんは朝早くても天気が悪くても、実に晴れやかに微笑む。
「おはようございます。早速なんですが、今日は有休をいただいても?」
「こんな朝イチで言うなら電話でも良かったよ?」
「いえ、駄目です」
「……加賀くんは有り余っているから、取るのは構わないけど」
フロアに着き、ふたりで降りる。歩きながら十里木さんは首を傾げた。
「帰らないの?」
「帰りません」
「そう。……ああ、その顔はいかがなものかと思うよ。お小遣いあげるからそこの自販機でコーヒーか何か飲んでから来なさい」
柔らかく笑み、ポケットにカード精算用のICカードをねじ込んでくる。ここでは食堂も自販機も、すべて一枚のカードが現金の代わり。かざすだけだから便利だ。
十里木さんは俺の肩を叩いて、先にオフィスへ入って行った。
言われた通り奥の自販機でコーヒーを買うことにする。ボタンを押し、カードをタッチする。しかし読み込まない。
よく見ればそれは十里木さんのIDカード。
俺は思わず笑ってしまった。あの人はどこまでお見通しなのだろうか。俺に何があり、何をやろうとしているのか、口に出してもいないのに気づいているのか。さすがだ。
何食わぬ顔でオフィスに入り、十里木さんのデスクにコーヒーを置いた。顔を上げ、俺を見たダンディな上司はいつぞやと同じ、柔和な笑みを浮かべて実に魅力的な低音で「気張りなさい」と。
右京を深く知る前なら、或いは、右京が自分を知ってくれるなと線を引いたのなら、俺は右京を探すことはなかっただろう。出て行ったのだ、と思い、新たな場所で幸せになってくれと願いさえしたはずだ。
けれど今は。
あの子を知れば知るほど愛しくなり、離れたくないと思ったから。話してくれないこともある。隠していることも、きっとある。それでも、今見えている分だけでも、右京がこんなに愛しい。
おっさんの愛し方は重いのだ。ハマらないうちは軽く接する癖に、ずぶずぶにハマった今はそう簡単に手放したくないと我儘を言う。
そしてすべてを駆使して逃げた子どもを得ようとする。その口から終わりを知らされないことには、辞めてあげられない。
ごめんね右京。そうされたくないと思うけど――俺、探すから。
探し当てて嫌いとか飽きたって言われたら諦めるから。多分。
自分がこんなに公私混同するタイプだとは思わなかった。もし上層の監視部にアゲられたら終わりだ。それでも、たったひとりが欲しい。
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