ケーキを買うおじさん
「加賀さんって、彼女いないんですか」
「いないように見える?」
「えー、いるんですか」
「いるよー恋人」
なんだぁ、という呟きとともに頬を膨らます可愛らしい女子たち。ここに所属する彼女たちは一様に自尊心が高くて能力もある。多分遊ぶのもうまい。見た目もいい子ばっかりで、他からは羨望ばかりが向けられる。
俺を見上げてきた彼女も、自分が一番輝く角度なりなんなりを承知しているように見えてしまう。
つい何ヶ月か前までは、そんなのもかわいいと思っていた。
けれど繰り返される駆け引きや、陰湿な一面などを見てしまってビビってしまった。
ずいぶん身勝手な理屈だとは思う。女の子が全員天使だなんて思っていない。けれど疲れてしまったのも、本音。
一週間前まで話しかけてきてくれて食事もしていた女の子が、次の週にはこちらを見もしない。取って代わったように新しい女の子が話しかけてきて、前の子に辛辣な嫌味を食らわせる。
水面下の戦いは仕事にも影響して、組むのが面倒にすら、なってきた。
そんな矢先に出会ったうちの子。
公園に毎日いて、ぼんやりぼんやり過ごしていた。男の子が好きなわけじゃないのに気になって話しかけ、食事に連れて行ってお持ち帰り。
帰る場所がないというのを聞いて、それにつけこんだダメな大人。
最初こそ何もしなかったが、何をしてもいいよ、と言われて、何故だが思いつく限りのことを確かめてしまった。
普段ならやらないような痛いことも。
しかし言葉通り、ウキョウはすべてを受け入れた。表情は変わるが、拒否する仕草はひとつもない。
最初に俺が一番きゅんとしたのは、ご飯を食べるときの幸せそうな顔。どこへ行っても何を食べても嬉しそう。
物をどんどん咀嚼する歯が、俺にも使われるなんて思っていなかったけれど。
あ、今日は何かケーキでも買っていこう。
「どこかない? 美味しいケーキ食べさせてくれるところ」
「あ、彼女さんに持って帰るんですねー! いーなー!」
「こんな彼氏ほしーい!」
甘ったるい声の彼女たちが教えてくれたのは、偶然にも通勤で使う道の一本違いだった。
『クレム』という名前と、看板の特徴、聴き知った店の外観を頼りに店を探す。普段使っていた道が、一本変わるだけで急に違う顔を見せる。
ちょっとした冒険気分で楽しかった。
「そうして、購入したのがこちらです」
ウキョウの前へ差し出した箱、蓋を開けるときらきら目になった。その輝きに負けない繊細なケーキたちが、箱の中からこちらを見ている。
「どれがいい? って、全部食べるよね。好きなのどうぞ」
「……」
このウキョウの目は、なにかお願いしたいやつだ。首を傾げて見つめ返すと少し視線をさまよわせ、それから改めてこちらを見た。
「……おじさん」
「ん?」
「……笑わない?」
「わかんない。聞いてから」
「やだ、笑う」
「わかんないよ。なに? 言ってみてよ」
「おじさん、が、」
「うん」
「食べさせて」
「……うん、うん」
かわいい。
ダイニングテーブルの椅子から滑り落ちたくなるくらい、かわいい。
最近、前より素直に表情を変えるようになった。今のこの照れた顔なんてどうしようもないくらいに、かわいい。
一瞬の迷いもなく俺は、ウキョウの願いを叶えるおじさんになろうと決めた。
「手がいい」
フォークに手を伸ばしたらやんわり止められて箱の上へ。
多分これがいいのだろう、生チョコレートのケーキを掴む。ベトベト絡むチョコレート。スポンジが指に優しい。
「口開けて」
素直に開いたそこへ差し出せば、白い歯がゆっくりケーキを中と外へ分断する。ウキョウの手が両手で俺の手を掴み、飲み込んでから引っ張るように追加を促す。
それを二度ばかり繰り返し、ケーキがなくなったら赤い舌が伸びてきた。ぺろぺろと、俺の指についたクリームを丁寧に舐め取る。
「おいしい?」
目も舌も手も離さずに、こくりと頷く。
熱くて厚い舌が這い回るのは何とも言えない。目に幸せ。
会社の彼女たちも恋人にこんなことをしたりされたりするだろうか。
なんの計算も無く、したいようにされると俺は一番幸せなのだけれど。
「おじさん、次その赤いのいっぱいのタルトがいい」
「ん、はいはい」
素直でかわいいうちの子は、多分あと二つぐらい食べたら俺の指を食べるんだろうな。
それを待つ俺。
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