伊織と雫の場合
「そう言えば」
伊織はソファーに横になりながら読んでいた雑誌から顔を上げて、至極当然のように尋ねてきた。
「背、伸びたのか、お前」
夕飯の片付けをしていたわたしは、ピタリと手を止めて静かに食器を置いた。ちらりと伊織を横目で見てみると、ばちりと視線がぶつかった。
頬杖をつき、どうなんだと言わんばかりの視線をよこす。
「別に……どっちだっていいじゃん」
「前に短冊に願い事書いてただろ。あれが叶ったか聞いてるんだよ。まあ、俺が見る限り変わってるようには見えないけど」
「じゃあそれでいいじゃん! いいの、背の話は」
「伸びてないのか」
伊織はやっぱりな、と呟き意地悪く笑っている。たとえわたしの身長が二センチ伸びたとしても、伊織は絶対気付かないだろう。百五十センチも百七十センチも、俺から見たら変わらないと言った男だ。
「どうせもう背は伸びませんよー」
ふんっとそっぽを向き、食器の片づけを再開する。せっせと棚に食器を戻しながら、ふと思う。
――わたしの背の高さでも無理なく届くように、よく使うお皿やグラスを移動してくれたことには感謝はしているんだけどね。基本俺様なんだけど、ちょっとしたところで優しくするから油断しちゃうんだよなあ……。
そんなことを考えていたら不意に背後に気配を感じた。ばっと振り向くと、そこにはソファーにいたはずの伊織が立っていて、じーっとわたしを見下ろしている。その瞳は、どこか意地悪く輝いて見えるのは気のせいじゃない――むしろいやな予感しかない。
「えー……と、もう終わるから向こうで待ってていいよ?」
「いいよ、手伝ってやる」
「だから大丈夫だって」
ぐぐっとお腹の辺りを押して押し返そうとしてもびくともしない。
――少しくらい動いてくれたっていいじゃない。
抗議の視線を送ってみたものの、壁に寄りかかってニヤリと笑うだけ。そのまま手首を掴まれて抱き寄せられてしまった。全くもって柔らかくない、むしろ固いくらいの伊織の胸元に顔を押し付けらた。
――抱き締められるのは嫌じゃない。伊織に抱き締められて包まれてる感触とか匂いとか、むしろ好きかもしれない。そんなこと口が裂けても言わないけれど。
「伊織っ! ちょっといい加減離してっ」
とりあえず多少の抵抗で、もぞもぞと身体を動かして伊織を見上げた。伊織と目があった瞬間、わたしの手首からパッと手を離し、おもむろにわたしの背後に手を回したと思ったら少し前屈みになった。伊織の顔が近づいてきたので急いで顔を背けたけれど、「残念でした」と耳元で囁かれ……お尻を撫で回された。
「まあ、尻はいい感じじゃない? 胸もデカくなったし」
俺のおかげだよなあ、とお尻を揉みながら耳を甘噛みされた。
「ちょっ、お尻! 耳もっ……」
必死の抵抗も所詮伊織の腕の中では意味をなさず、そのまま抱き上げられて伊織の視線と同じになる。真正面から見つめられて居たたまれない。自然と視線が泳いでしまう。
「雫、こっち向け」
「いや……」
「いいから」
有無を言わせない伊織の言葉は、まるで魔法のようにかかってしまう。わたしはおずおずと伊織の方を向くと、さっきとは全く違う笑みでわたしを見つめていた。
「雫」
――これだから伊織はキライ。
わたしはゆっくりと腕を伊織の首に回し、唇に軽く触れるだけのキスをした。
「こうすりゃ背も伸びた気になるだろ。あいつらに願うより俺にお願いした方がいいって言ってるだろうに」
言うこと聞かないやつだよな、とため息混じりに呟いて、そのまま下ろされることなく寝室へと歩いていく。
わたしははたと意識を戻し、慌てて伊織から身体を離した。ちょっと待って、そうじゃなくて、そんな流れじゃなくて……。
「ま、まだお風呂入ってない!」
「どうせ汗かくし」
「そうだけどっ……て違っ! 伊織下ろしてっ」
「耳元で喚くな……お前の願い叶えたんだから次は俺の番だろ」
「だから背の話はもういいって……ひゃっ」
確かに、ついついキスしたのも悪いけど、でもわたしそんなに悪かったかな!?
伊織の背中をポカポカ叩き足をジタバタさせていると、スカート越しに触っていたお尻を直に揉んできた。
「このまま弄られたいならいいけど」
「……エロおやじ」
「そんな目で見ても意味ないから」
わたしの睨みは効かないようで軽くあしらわれ、抵抗も虚しく、わたし達は寝室へと姿を消すのでした。
織姫様彦星様。
伊織のこの性格をどうか何とかして下さいませ。
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