- ナノ -




 一人取り残された私は、立ち上がったり座ったりという動作を繰り返していた。

 待っていろと言われたが、やはり落ち着かない。先輩に何かあったらどうしよう。やっぱりジッとしてなんかいられない。様子を見に行こう。

 そう思って立ち上がり、家具伝いに移動すると扉を開けた。すると、目の前に立っていたのは友人のデュースとジャックだった。

「うわあ!」
「うお!!?」
「デュース!? ジャックも! 一体こんなところで何してるの!?」
「何って、お前を探しに来たに決まっているだろう!?」
「さ、探しに……?」

 助けを求めるようにジャックを見上げると、ジャックは困ったように耳の後ろを掻いた。

「今日学校に行ったら、お前が昨日から帰ってねぇってグリムが騒いでて……。それでみんなで探してた」
「探して……くれてたの……?」
「マブなんだから当たり前だろ!」
「学園長にも相談したんだが、欠席届が出てるからって取り合ってくれなかった。ただ、オクタヴィネルの奴からお前の匂いがしたからおかしいと思ったんだ。俺はお前らより鼻がきくからな」
「それに今日の放課後、ユウがオクタヴィネルのリーチ先輩と一緒にいるのを見たって聞いて……それで、その……一か八か……」
「乗り込んできたんだね。……じゃあひょっとしなくてもラウンジで暴れてるのは……」
「エースとグリムだ」
「やっぱり……」

 くらっとめまいを感じ、思わず手で顔を覆った。なんという怖いもの知らず。あのオクタヴィネル寮で暴れるなんて。命がいくつあっても足りないじゃないか。

「とにかく逃げるぞ」
「いやあの……」
「無理やり連れてこられたんだろう!?」
「そうじゃなくて……」

 思わず後ずさると、足がズキンと痛んだ。

「痛っ……!」

 ダメだ。普通に立つとまだ痛い。ピョコピョコとベッドまで移動すると、とりあえずベッドへと腰掛けた。

「……足どうしたんだ?」
「ちょっと怪我しちゃって……」
「おい! 話してる場合か! あいつらが戻ってくる前に逃げないと!」

 言うなりデュースは私の腕を掴んだ。

「ちょ、ちょっと待って! 誤解してる。違うの、ジェイド先輩は……」
「あー! やっぱり居たー!!」
「ふなーッ! ユウ!!! 見つけたんだゾ!」

 バタバタという足音とともに現れたのは、エースとグリムだった。

「みんな……」
「お前……何やってんだよ! 心配すんだろーが!!」
「ご、ごめん……」
「そうなんだゾ! オレ様のツナ缶! もう無くなっちまったんだゾ!!」
「嘘でしょ!? もう食べちゃったの!? 一食一缶だよって言ったじゃん!」
「そっそれは……」
「おい! だから話してる場合か! 早く逃げないと! ユウ、僕が背負っていくから早く乗れ!」
「背負う? あれ、お前足どうしたわけ?」
「ああ……ちょっと話せば長いんだけど……」
「おい! 聞いてんのか! 早く!」

「そこまでですよ」

 ハッと顔を上げると、ジェイド先輩が怖い顔をして立っていた。

「まったく……油断も隙もないですね。彼女を離していただけますか」
「嫌だ!!!」

 エースとデュースに護られるように、後ろ手に庇われると、ジェイド先輩が大きく息を吐き出した。

「なるほど……では、力ずくというわけですね」
「やれるもんならやってみろよ」
「先輩! 二人もちょっと待って!」

「一体なんの騒ぎです?」
「うわ! また増えた!」
「アズール先輩……」
「おや、監督生さんじゃありませんか。ここはジェイドの部屋ですが……このようなところで何を?」

 アズール先輩はいつもの飄々とした様子でそう言った。そういえば、ここに来てからフロイド先輩には会ったけど、アズール先輩には会わなかった。ひょっとしたら私がオクタヴィネル寮に居たことを知らないのかもしれない。

「白々しい言い方なんだゾ! おめーらがオレ様の子分を攫って閉じ込めたんじゃねーのか!?」
「さあ? なんのことです?」

 言いながら、アズール先輩の目がジロリと私を睨んだ。

 ……あ、やっぱり知ってたんだ。そりゃそうか。厄介事を持ちこみやがってって顔だ。

「例えば……誰かが、この方を攫ってどこかに監禁していたとしても、咎められるべきはその者であり、我々ではありません。オクタヴィネルのモットーは『自己責任』ですからね。苦情はその者にお願いします。さあ、これ以上は営業妨害ですよ。お引き取りいただけますか」
「コイツはこのまま連れて帰るからな!」
「ええどうぞ。僕は構いませんよ。……ジェイド、お前が撒いた種なんですから、自分でなんとかしてくださいね」
「アズールに言われなくても、そのつもりですよ」

 なんだか場の空気がピリピリしている。

「ねぇみんな、本当にちょっと待って……」
「待って待ってってさぁ、さっきから何なの? 何でユウはそっちの肩持とうとすんの? コイツに拉致られたんじゃねえのかよ!」
「違うんだってば!」
「違うって何だよ!」
「だからっ! ……付き合ってるのっ!!!」

 一瞬、部屋の中が静まり返って、ワンテンポ遅れてエースの声が聞こえてきた。

「……は?」

 鳩が豆鉄砲とはこのことか。ポカンと口を開けたまま固まっているエースと、そのとなりで同じような顔をしているデュース。ここからは見えないけど、ジャックやグリムもきっと同じような顔をしているだろう。だってあのアズール先輩ですら、エースやデュースと同じ顔をしてるんだから。

 ……ジェイド先輩の顔だけは怖くて見れなかった。

 
「だから……その……ジェイド……先輩と……つ、付き合ってる……。だから……監禁とかじゃ――」
「いや、ぜってー嘘だろソレ。だってお前今鼻の穴ピクピクしちゃってんじゃん」
「えっ!?」

 呆れたような顔でエースに言われ、とっさに自分の鼻を隠すように手で覆う。

「お前嘘つく時いっつも鼻が動いちゃうじゃん? 気付いてねーの?」
「……そうなの?」

 思ってもみない指摘に、思わず他の友人たちへと視線を飛ばす。

「いや、僕は気付かなかった」
「ああ、俺もだ。お前よく見てるな」
「へっへー、まあねー。……ってそうじゃなくて!」
「う、嘘じゃないから! 本当に付き合ってるの。だから別に拉致されたとかじゃないから!」

 エースはジッと私を見つめてから、ふと部屋の中を見回した。

「……あの手錠は?」
「え……」

 言われて恐る恐るベッドのそばを見ると、昨晩私を拘束していた手枷が落ちていた。

 なんでまだ置いてあるの……。

「あれは……その……オブジェ! オブジェよ! ほら、人魚って変なもの集めるのが好きでしょ? アトランティカ記念博物館にもフォークとかパイプとか他にもいろいろ変なもの飾ってあったじゃない! だから、その…………オブジェです……」
「……オブジェ、ねぇ……。でも使われたんだろ?」
「使っ……うわけないじゃん……」
「でも手首んとこに痕ついてるし」
「えっ!? 嘘!」
「ウッソー。ほら、やっぱり捕まってんじゃん」

 慌てて手首の辺りを確認した私に、エースは呆れた視線を向けた。

「…………わ、私が……そういうのがしたいって……言ったの……ふ、普通のに……飽きたから。……だからその……そういう、プレイ……です……」

 自分でも何言ってんだろうとは思った。でも、このまま先輩が悪者になってしまうのだけは嫌だ。最初のキッカケはどうであれ、私は攫われたなんて思ってないんだから。

「うっわー…………引く」

 エースの言葉にギクリとして視線を上げると、心の底から呆れたような目でこちらを見るエースと、ショックを受けたのか心なしか青ざめた顔で佇むデュースの姿が目に入った。どちらかというとデュースの反応の方が辛い。



 部屋の中が沈黙に包まれる。誰も何も言わない。普段うるさいグリムですら、ただ黙っていた。
 すると、それを破るようにエースが大きくため息をついた。

「……って、言ってっけど。本当っスか? ジェイドセンパイ?」
「ちょっとエース!」
「お前は黙ってろよ。俺は先輩に聞いてんの」

 ジロっと睨まれ、思わず口を噤む。


 ……ああもう、サイアク。

 ジェイド先輩とは当然そんな話はしていない。『欲しい』とは言われた。キスもされた。でも、好きだとか付き合おうだとか、そういったことは一切言われていない。そばに居てくれるとは言われたけれど、どこまで本気か分からない。それに、種族の違う私との『この先』を、先輩が考えているとも思えない。
 それなのに、勝手に付き合っているなんて嘘をついて、先輩はどう思っただろう。もしかしたら、一気に冷めちゃってるかもしれない。だって人魚だもん。いつどこで興味を無くされるかなんか分からない。
 やっぱり言わなきゃよかった……。

 自己嫌悪と闘っていると、ジェイド先輩が小さく笑う気配がした。
 顔を上げると、すぐ目の前にジェイド先輩が居た。私を見下ろす目は、あの時の冷たい氷のような目ではなくて、あの優しい目だった。

「貴女には困ったものですね。二人だけの秘密を、そうやってやすやすと話してしまうんですから……」
「……怒ってないですか……?」
「怒る理由がないでしょう? ……本当のことなんですから」

 そう言ってジェイド先輩はそっと私の髪を撫でた。思わず顔が緩むのを止められなかった。この時の私は、さぞかし緩んだ顔をしていたに違いない。

 しばしの間ジェイド先輩と見つめ合っていると、隣でエースがわざとらしく咳払いを一つした。

「……じゃあ、付き合ってるっつーのは、本当なんスね?」
「ええ。昨夜はあの『オブジェ』を使って楽しんでいたんですが、少々盛り上がりすぎてしまいまして……とても帰せる状態じゃなかったので、そのまま僕の部屋に泊まっていただいたんですよ」

 愉しそうにギザギザの歯をチラリと見せながら笑うジェイド先輩は、いつもの先輩に戻っていた。そんなジェイド先輩へ呆れたような視線を向けると、アズール先輩は大きくため息をついた。

「やれやれ、茶番は終わりですか? 僕はラウンジに戻ります。フロイドだけではいささか心配なので。次に騒ぎを起こしたら出禁にしますので、そのおつもりで」

 そう言い残して去っていくアズール先輩の背中を見送ると、今まで比較的大人しくしていたジャックがようやく口を開いた。

「あー……じゃあ、俺らもそろそろ帰るか」
「そ、そうだな。遅くなってローズハート寮長に首をはねられたくない」
「うわっ! もうこんな時間かよ! あー、誰かさんのせいで疲れたー。……で? 俺らは帰るけど。お前はどうすんの?」

 チラリとジェイド先輩を見つめる。

「今日はこのままみんなと一緒に帰ってもいいですか?」
「ええ。……では、少しだけ待っててくれますか?」
「はい?」
「もうすぐ届くと思うのですが……」

 先輩がそう言ったのと同時くらいに、扉がノックされる音がした。

「失礼します。副寮長宛に購買部からお荷物が届いていますが……」

 そう言ってオクタヴィネル寮生が持ってきたのは、一組の松葉杖だった。ご丁寧にピンク色のリボンまで付いている。

「ユウさん、足が治るまでしばらくかかるでしょうから、これをお使いください」
「えっ……? これ……いつの間に……?」
「魔法での治療が出来ないと分かった時点でサムさんに連絡を入れておきました。昼間のうちに話はつけてありましたので」

 あまりの手際の良さに、思わず息を吐き出した。さすがというかなんというか。ジェイド先輩が寮長の間で『スーパー秘書』と呼ばれているらしいという噂は聞いたことがあったが、きっとこういうところなんだろうと思った。

「高さも良さそうですね。歩けますか?」
「……はい、大丈夫そうです」

 杖を支えに数歩歩いてみたが、問題なく歩けそうだ。

「……じゃあ、帰ります」
「ええ、また明日。おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 みんなの元へと向かうと、ちゃんと私を待っててくれていた。

「お待たせ」
「さーて、帰るか」
「ノートとテキストは僕が持とう」
「腹が減ったんだゾ」
「ツナ缶は明日までお預けだからね。この時間じゃお店も開いてないし」
「なにぃー!」
「自業自得だろ。諦めろ」

 いつものメンバーでいつものように軽口を叩きながら歩く。さっきまで感じていた孤独が嘘のようだった。





 鏡舎を通ったところでふと足を止める。

「……ん? どした?」
「足が痛むのか?」
「なら俺が背負ってやろうか?」

 みんなに心配をかけてしまった。あんなところまで来て、騒ぎを起こしてまで助けようとしてくれた。それなのに、まだちゃんとお礼を言えてない。

「……連絡もしないで、外泊したりして……心配かけてごめん。でも……探しにきてくれるなんて思ってなかったから……本当に嬉しかった。……ありがとう」

 この世界に来てから孤独を感じずに済んだのは、きっとみんなのおかげだ。いつかこの恩を返したい。

「さっきも言っただろう? 僕たちはマブなんだから、探しに来るのは当然のことだ」
「マブって……お前そういうの恥ずかしいからホントやめてくんない?」
「う、うるさいな!」
「そう言うエースも十分顔が赤えぞ」
「うっせー! ジャック君こそお顔が赤いんですけどー?」

 ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた三人を見守りながら、鏡舎を振り返る。

 長い一日だった。色んなことがあった。元の世界に帰る日が来ても、きっと今日のことは忘れないだろう。

「おーい、かんとくせー! 帰るぞー」
「はーい」



***



 数日後、私はジェイド先輩と一緒に中庭で昼食を摂っていた。あれから何度か食堂で一緒に昼食を摂ったが、食堂は人も多いしガヤガヤしていることが多いので、今日はのんびりと中庭で過ごすことにしたのだ。

「足の具合はいかがですか?」
「はい。もう杖なしでも大丈夫なくらいです」
「ではなぜまだそれを使っているのです?」

 先輩の視線の先には、先日もらった松葉杖があった。

「だって……せっかく先輩に用意してもらったから……」

 なんとなく恥ずかしくてゴニョゴニョと語尾を誤魔化した。隣で小さく先輩が笑った気配がした。

「あ! それより! 先輩、嘘ついたでしょ!」
「嘘、ですか?」
「グリムはいつもどおりだったって言ってたのに。あの日、私を心配して大騒ぎしてたって聞きましたけど?」

 あの一言のせいで、というわけではないが、要らぬ被害妄想をしてしまったのは事実だ。無駄に傷ついた心の分くらいは文句の一つも言いたくなる。そのくらいしてもバチは当たらないだろう。

「ええ。貴女が居ないと騒いでいましたよ。グリムくんは普段から騒がしいことが多かったので……『いつもどおり』とお答えしました」

 先輩はニッコリと笑いながら悪びれもなくそんなことをのたまった。

「……ひょっとしてわざとだったんですか?」
「おや、わざとだと思うんですか?」

 キョトンとした顔をして質問に質問を返してくる先輩に、ムッと口を尖らせる。

「……これでもちょっと傷ついたんですけど?」
「弱っている貴女に付け入るには絶好のチャンスだと思ったのですが……とんだ邪魔が入りましたね。残念です」

 再びニッコリと笑うジェイド先輩を見て、背筋がゾッと凍った。

「うわ……怖……」

 身震いするように自分の身体を抱き抱えると、先輩はいつもの様子で続けた。

「おや、風邪ですか? 陸の生き物はか弱いですねぇ」

 そう言って、先輩は着ていた制服のジャケットを脱ぎ、そっと肩からかけてくれた。


「そういえば、もうすぐホリデーですね」
「ホリデー? そっか、ホリデーにはみんな故郷に帰省するんですよね? 先輩たちも帰るんですか?」

 ホリデーなどの長期休暇では、故郷に帰る生徒がほとんどだ。私のように故郷の無い者は当然寮に残ることになるが、それ以外はほとんどの生徒が帰省するだろう。当然先輩たちも故郷の海に帰るのかと思ったが、先輩の返事は意外なものだった。

「いいえ。僕たちの故郷は珊瑚の海の中でも北の方なので、ホリデーシーズンは海面が流氷に覆われていて帰るのが大変なんです。なので昨年のホリデーは寮で過ごしました。おそらく今年もそうなるでしょうね」
「そうなんですね。……じゃあ、ホリデー中に会えますか?」
「もちろん。オンボロ寮では隙間風が寒いでしょうから、オクタヴィネルにいらしてはいかがですか?」
「遊びに行ってもいいんですか?」
「もちろん。そのまま僕の部屋に泊まっていただいてもよろしいんですよ」
「……フロイド先輩居るんですよね?」
「おや、フロイドが居ては都合が悪いんでしょうか?」
「いえ、そういうわけでは……」

 しまった。この流れは私が赤っ恥をかく流れだ。

「ユウさん。お顔が赤いようですが」
「気のせいですよ」

 口元に手を当てながら、先輩が優雅に笑う。そして、そっと私の横髪を耳に掛けると唇を寄せた。

「何をするつもりだったのか、後でゆっくりお聞きしますね」

 鼓膜に先輩の艶めいた声が響き、背中がぞわぞわと震える。ゆっくり、というところを強調しながら、先輩は私の手をそっと握った。まるで逃さないとでも言いたげな先輩のひんやりとした手をぎゅっと握り返すと、素早く先輩の頬に口づけた。
 驚いたように目を瞬かせながら固まった先輩が、ワンテンポ置いてからこちらを見た。

「……お、お返しです」

 小さな声でそう言うと、先輩は口元に手を当てながら俯いてしまった。一瞬、照れているのかと思ったが、よく見ると肩がプルプルと震えている。

「……笑ってます?」
「……くくっ……すみません。……あなたは本当に……っ……何をするか予測がつきませんね」
「……? 褒められてます?」
「ええ。本当に貴女と居ると驚きの連続で飽きることが無いので、とても楽しいです」

 そう言って、キノコを見る時のあの目で私を見る。なんだか褒められている気がしないけど……でも、先輩は楽しそうだし、まぁいいか。

「あなたと一緒なら、寮でのホリデーも悪くないかもしれませんね」


 そう言って、先輩は私の額にキスをした。
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